4

 千葉の寝顔はいつになく子どものようだった。

 見捨てられるのを危惧して、親のあとを追いかけてくるこどものような顔で、千葉は部屋に入ってきた。それからおれの浴衣を手のひらで乱暴に脱がせ、無理矢理布団の上に押し倒した。
 口の中から食われそうなキスをされて、もがくように胸を押すと、逸らした首筋に歯を立てられた。にじんだ汗を舌で舐め取られ、その濡れた場所が、冷房でみるみるうちにかわいて冷えていく。
 抵抗をわずらわしく振り払われ、浴衣の帯で両手首を縛られる。頭の上で自由を奪われた腕は、そのまま、置かれていた一枚板のテーブルの脚に結びつけられた。
「本当にひとりで来たんだな」
 目を細めた千葉は、おれの胸元をまさぐり、下着をずらしながらそう笑った。獲物をいかに残酷に殺そうか、と思案している肉食獣のような顔だった。その顔をみて、おれは悟った。
 千葉はおれを迎えにきたんじゃない。
 ひとりでいることを確認しにきたのだ。
「そう言っただろ。そんなに信じられないのか」
 指が陰毛を意地悪にひっぱる。痛みで顔をしかめると、その手がぎゅっと性器を握りしめた。
「お前の周りにいる人間、全員怪しいからな」
 仰向けになったまま身体を起こそうとしても、腕がしばられているせいで起きられない。本気を出せば机の脚ごと壊して帯を抜けたかもしれないが、高そうなテーブルだったのではばかられた。
「あいにくそこまでモテねえよ」
 皮肉をいうことぐらいは許されるだろう。自分の腹にできたあざをみながらそう吐き捨てると、千葉は強引に下着を抜き、足首までズリ下ろした。
「そう思ってんのはお前だけだろ」
 両足の間からみえる千葉の顔が、侮蔑を浮かべた。ローションを乱暴に腹から股間にかけてかけられ、冷たさに身がすくんだ。
 大きくてつめたい手が、ぬち、ぬちとおれの性器をゆっくりと扱く。潤沢すぎるぬめりが尻のほうまで垂れていき、ときおり竿に舌をはわされて身もだえした。
「ん、あ……、や、やめろ」
 濡れた指が後ろを探る。おれの羞恥をあおるために大きく広げられた足が、ぐっと顔に近づけられた。
「エロい穴。いれてほしそうにしてんぞ」
 指が入ってくる。もうおれのことを全部しっている指が、中を探り当てて好き放題暴れた。
「ああっ、あ、千葉ァ……」
 不自由な両腕を動かす。もはや肩にひっかかっただけの浴衣の中に両手を突っ込まれ、すでにたちあがっていた乳首を乱暴に弾かれた。
 指はすぐにふえて、性急に中が広げられていく。千葉は服を全部脱いでいたから、興奮しきった凶悪な性器がはっきりと見えていた。それはすでに先が濡れ、避妊具もつけられずにおれの中に入ろうとした。
「なあ、ゴムつけて。腹痛くなるからっ……、お願い」
 中に出されると腹の調子が悪くなることがある。それに寝具も汚れるし恥ずかしい。そう訴えても、千葉はまったく聞こえないふりでおれの中に身を沈めてきた。千葉のもののかたちにそって中が開かされ、熱のかたまりに息がつまる。
「一保……っ、あーくそ、気持ちいい」
 両足首を掴まれ、開かされたり、ぐっと胸に近づけられたりしながら、千葉が好きに動く。ゆっくり抜ける直前まで引き抜いたかと思うと、強く中に押し入るのを何度か繰り返してから、音がなるほど激しく腰を打ち付けられた。
「ん、んんっ、いい……、きもちいい」
 意志に背いていても、ないがしろにされていると感じていても、身体は気持ちいい。理性なんてあっという間に性欲に服従した。
「うで、外して。いてえんだよ…っ」
「ダメだ。おれの電話を無視した罰を与えないとな」
 肩に噛まれた。じわじわと歯が食い込んでいき、ぷつりと皮膚が切れる。焼けそうな痛みと血のにおいがした。
 腕は動かない。おれの意志はすべて無視され、身体中を支配されている。
 それなのに気持ちいい。この上なく満たされる。
「一保、好きだ。おれにはお前だけなんだ。愛してる」
 身体を裏返され、腰を突き出す体位を取らされる。バックで激しく犯されながら、千葉の帯で首をしめられた。苦しくて嗚咽が漏れる。
「んぐ、あ、あ、」
 背中に噛みつかれた。手のひらが激しく尻を打つ。痛くてびくびくと身体が震えた。
「中が締まった。――変態だな、一保。痛いのが好きだもんな?」
 そんなわけない。優しくされたほうがいいに決まってる。
 でもおれは感じてしまう。嬉しく感じてしまう。千葉がおれに心を開いてくれているのだ、と勘違いして、自分から腰を振って感じ入った。
「どこで覚えてきたんだよ、淫乱」
 尻を両手できつく掴まれ、奥の奥まで突き立てられた。奥がうねり、吸い上げるように収縮する。頭の中で火花が飛んだ。下腹が、重だるくなって足が震えた。
「中に出すから」
 首を振った。もちろん無視される。
 千葉が腰を震わせながら、おれの中に放出する。熱い。身体も、頭も、全部熱くなって真っ白になった。
 それから3度も千葉に抱かれた。内風呂では口にタオルを突っ込まれてナカイキさせられ、最後は畳の上で騎乗位で動いた。いく寸前に何度も寸止めされ、泣きながら「いかせてください」と懇願させられて、お礼を言いながらおれは達した。

 何に対する礼だよ、と冷静になった頭で思う。射精してもらえたこと?それとも、捨てられないことだろうか。いや、便所扱いにしては優しくされることか?
 どれも最悪だ。終わっている。エロマンガに出てくる性奴隷じゃあるまいし、なんで射精管理に礼なんて言わなきゃいけないんだよ。
 疲労と苛立ちは確かに自分の中に渦巻いているのに、隣で眠っている千葉のあどけない寝顔のせいで、おれの中の怒りは霧散していく。怒りたいのに。こんな理不尽な扱いはやめてくれと、主張したいのに。体が丈夫なので、無理が効いてしまうことも良くなかった。
 乱暴なセックスのあとでおれが抗議をすると、必ず千葉は謝罪しながらこういう。

「でもお前もイッただろ?気持ちよさそうに」
「悪い子なのはお前も一緒だろうが、一保」と。

 本当に嫌なら、とっくに殴っている。首を絞められたら締め返している。抗わないのは嫌じゃないから。
──本当にそうだろうか?少なくとも、心は痛い。
 こうなったきっかけを思い出そうとしたが、「好きだから付き合ってくれ」「了承した」といったやりとりがあったわけではない。
 おれたちが一緒にいるのは、知ってしまったからだ。お互いのことが好きだということが、死にそうなぐらい切実に、心臓に槍が突き刺さったみたいに鋭い痛みと同時に知ってしまった。おれは千葉の痛みの一部を引き受けたかったし、千葉はおそらく生まれて初めて、他人に甘えたのだ。
 起き上がる。腕に結ばれていた帯は、いつの間にかほどかれていた。
 アザが出来た腕をさすりながら室内に視線を走らせる。もうすぐ朝が来そうだった。

(二見)

 命にかかわることだと分かっていたので、上司の怒号も当然だった。でもまさか、船に上がってすぐに顔を蹴られるとは思っていなかったので、驚きと同時に困惑した。
「お前は潜水士向いてない!やめちまえ」
 厳しい人だと聞いてはいたが、ここまでとは。おれの考えが甘かったのかもしれない。
 さらに殴られそうになってとき、目の前に一保先輩が立ち塞がった。
「殴ったからって、仕事ができるようになるわけじゃないでしょう」
 こういうのってエネルギーの無駄ですよ、と、日本社会では摩擦になりそうな言葉をはっきりと言ったので、おれは怖くて目を閉じた。自分がクズなせいで、先輩まで殴られてしまうのが怖かった。
「体罰は人事が目を光らせてますし。もうやめましょう、隊長」
 佐藤隊長は険しい顔を一瞬こわばらせたものの、一保先輩の柔らかな言い方に首を振った。
「二見はほかの隊員の命まで危険に晒した。お前の指導不足だぞ」
「申し訳ありません。自分の落ち度です」
 身体を直角に折るように、一保先輩が頭を下げる。佐藤隊長はまだ何か言いたそうな顔で船内の奥へと消えて行った。
 その後ろ姿を神妙な表情で見送っていた一保先輩は、完璧に隊長の気配が消えると、頭の後ろで腕を組んでこちらを向いた。
「あ~~終わった終わった。帰ろうぜ」
 おれがぼんやりしていると、一保先輩は眉を寄せた。
「もしかして蹴られたところ痛えの?大丈夫?」
 自分で頬をこすってみる。そこまで痛くはなかったが、先輩が叱られる羽目になったのは痛恨の極みだった。
「すみません、おれのせいで一保先輩の評価まで下がったら……、」
 言葉が続かなくて、立ったまま俯いてしまう。船内のつるりとした床をじっとみていると、一保先輩がのぞき込んできた。
 そのとき気づいた。この人の眼はすごく澄んでいてきれいだ。
「腹へってる?」
 返事のかわりに腹が鳴った。最近は食欲も落ちていたので、自分でも驚いた。
 一保先輩は満面の笑みで「よし、なんか食いにいこう」といっておれの肩を叩いた。その瞬間、しめって暗くなっていた自分の心に、風が吹き抜けた気がした。

 当直明けだったので、ふたりとも一度官舎に戻って仮眠をとってから、桜木町で待ち合わせた。ほかの隊員と鉢合わせせず、昼からのめる場所…、と懸命にスマホで検索して探したが、一保先輩はふつうにぴあシティの中の立ち飲み屋におれを連れていった。
「お前とシャレた飲み屋にいったって仕方ねえだろ。瓶めんどくせえから生でいいよな?」
「それは確かに…すみませーん!!生ふたつで!」
 おれが注文している間に、一保先輩は札束を筒の中に入れた。キャッシュオン会計、つまり注文ごとに清算するスタイルの店だが、何を食べて何を飲んだのか分かりやすくて良いらしい。
 めごちの天ぷらともつ煮を頼んで、ふたりしてジョッキのビールをひといきに半分まで飲んだ。あーうめえ、最高、と幸せそうな顔をしている一保先輩をみていると、上司とあわなくて鬱々としている自分が少しバカバカしくなってくる。
「厳しいってか、古いよな。人材育成のやり方が。まあ命かかってっから仕方ないんかもしれんけど」
 何もいわずにめごちの美味さにしびれていたおれに、一保先輩が唐突に言った。
「飯はちゃんと食えよ。夜は眠れてるか」
「どっちもあんまり……」
 さわがしい店内だが、周囲の視線はときどき一保先輩に向けられて留まるので落ち着かない。かっこいい顔に豊かな表情。適当な服を着てリラックスして立っているだけなのに、イケメンはずるい。とにかく「光」のオーラを放っている人なので、注目されることには慣れているみたいだけど。
 四月に配属されてから数か月たったころ。上司である佐藤隊長のやり方がどうも合わないことに悩みはじめていた。説明が少なく、見て覚えろというくせに、ミスをすると厳しく叱責する。時々手も出る。
 潜水士の仕事は救助業務が主なので、厳しく指導されても仕方がないのだが。佐藤隊長は特殊救難隊出身のすごい人だときいているから、自分が仕事ができないことが悪いんだろう。
「スープでいいからさ、ちゃんと食えよ。食って、寝て、話したいときはおれに話せ。あ、彼女いるんじゃなかったっけ?休みの日は仕事忘れてしっかり遊べよな」
「そういう先輩はどうなんすか。彼女できました?」
「うるせえ。何ニヤニヤしてんだお前?隊長に殴られて泣きそうな顔してたくせによ」
 ぐりぐりと拳で頬をこすられて、おれはとうとう笑ってしまった。
 一保先輩は頭が良くて能力が高い人だ。偉い人に対しても物言いが率直だからたまにびっくりするけど、持ち前の愛嬌で愛されているし許されている。面倒見がよくて優しいクソイケメン。その割に恋人がいるという話はきかない。不思議だ。ハチャメチャにもてるだろうに。
「ヘリパイ志望の同期、紹介しましょうか?めっちゃ可愛いっすよ」
「いや~海保の女はいいわ。尻にしかれるどころじゃ済まないだろ」
 しばらく彼女の話をして盛り上がった。一保先輩は刺身をつつきながら適当に相槌をうち、時々おれの失敗をおかしそうに弄った。とくに、今の彼女とはじめてそういう雰囲気になった夜、デニムのファスナーに陰毛が巻き込まれてしまい、結局何もできずに帰った話には、腹をかかえて笑っていた。
「なんで日本の男はムダ毛処理しねえの?蒸れるし不衛生じゃね」
 一保先輩がそういってビールからハイボールに飲み物をかえた。店員の女性は、めちゃくちゃ嬉しそうな顔でジョッキからこぼれそうなぐらいたっぷりのハイボールを持ってきた。えこひいきだ。
「そういや先輩、足もそんな生えてないですよね。処理してるんですか?」
「もとから薄いんだけど、妹が永久脱毛するとき付き合わされてさ。家族紹介したら安くなるとかで、おれヒゲ生えてこねえんだよ。足とか陰毛もやられた。けど楽だし衛生的だし、海外だとみんなやってるよ」
 小麦色に日焼けしている頬もそうだが、一保先輩は肌がきれいだ。ムダ毛も見おぼえがないなと思っていたが、まさか脱毛していたとは。
 陰部すら毛がないのか…と先輩の股間を眺めていると「みないでよスケベ!!」と叫ばれた。酔っぱらいふたりで何をやっているのか…でもちょっとムラっとした。男の人相手にこの表現でいいのか悩むところだけど。
「ぜんぜんないわけじゃねえからな!手入れしてるってだけ」
「エッロ……でも彼女いないんですよね、意味なし」
「やかましいわ」
 そろそろ行くか、と一保先輩が言い、全部おごってくれた。おれは彼を〆ラーに誘い、今度は自分が出した。腹がいっぱいになると、鬱々とした気持ちがかなり楽になった。
「佐藤隊長が怒りっぽいの、多分お前のせいじゃないと思うよ」
 一緒に官舎に帰る道すがら、一保先輩がぼそっと言った。
「奥さん乳がん見つかったんだって。早期発見だったから手術で治りそうなんだけど、やっぱり不安でイライラするんだろうな。子どももまだ小さいしさ。本当の不安や苛立ちは別のところにあって、それが仕事であたりやすいところに出ちゃってんだろ」
 勝手に言っちゃまずいんだろうけど、二見がどんどん沈んでいくの見てられねえから。
 そういって一保先輩が振り返った。
 人通りの少ない路地だった。夕日を背に先輩が苦笑した。
「だから許せって言うのもへんだけど、人間、いつもコンディションがいいわけじゃねえから」
 そうだったのか。気が付かなかった。
 腹にたまっていた重いものがするする溶けていく。自分が何か悪いことをしただろうか、嫌われているのか、そんなに能力が低いのか、と悩み続けていたけれど、原因は別のところにあるなら、おれのメンタルの持ちようで変わってくる。
「でもさ、やっぱ当たられるとしんどいじゃん。だから、お前一緒に走んない?」
 毎日ランニングしてんだけど、身体動かすとすっきりするよ、と先輩が言った。そういえば、一保先輩もおれほどじゃないにせよ佐藤隊長に叱られていることがあった。ケロリとしているから羨ましく思っていたのだ。
「身体動かすと心も動くよ。考えが凝り固まってるときは、走るに限る」
 そうして、一保先輩と都合があえば一緒に夜、走るようになった。

「おっす。じゃ、いくか」
 おれたちは基本無言で走る。ペースは遅いおれに合わせてくれるのだが、途中で飲み物休憩をはさむときだけ、少し仕事の愚痴を話した。今日の八つ当たりやばかったな、とか、手術上手くいったらしいよ、よかったな、とか。
 一緒に走り出してからふたつきが過ぎ、お互いのペースがつかめてきたころ、突然一保先輩が「明日からもう一緒に走れないかも、ごめん」と謝ってきた。
「迷惑かけてました…?」
 いくら優しい先輩だからって甘えすぎていたかもしれない。お互いに用事がある日は走らなかったが、それでも休日以外はほぼ一緒だった。相手のスケジュールを圧迫していたのかも、と思い、おれは即座に謝った。
「いや全然。ちょっと家でいろいろあってさ。また走れるようになったら連絡するから」
 目が合わない。めずらしいことだった。
 一保先輩は人の眼をまっすぐ見る。日本人ではめずらしいぐらい、視線を外さない人だ。とくに真面目な話のときほど、絶対に目を合わせてくる。
 何かあったんだ、とすぐにわかった。
「誓っていうけど、二見は何も悪くない。家の都合なんだ。けどお前に迷惑かかるかもしれないから続けられない。本当に悪い」
 夜の公園は静かで、街灯のジジジという音と虫の鳴き声しか聞こえない。
 自動販売機の前で俯いた先輩の肩に手を置く。少しおれのほうが背が高いので、彼は見上げるように視線を上げた。
 めずらしく不安そうな表情に、おれの心臓は騒いだ。相手はおれよりも強い男性だというのに。
「もしおれが相談に乗れることがあったら……、」
 そこまで言って、トレーニングウェアの首元に目がいく。絶句した。
――首元に、アザが残っていた。くっきりと、人の手のひらの形で。そう、ちょうど首をしめたら残るような跡が――。
 その日を境に、一保先輩は様子がおかしくなっていった。飲みに行かなくなり、人の誘いに応じなくなった。笑顔が減り、ぼんやりと考え込んでいる日が増えていった。
 そうしてあの日になった。
 明確に殴られた痕跡が残る腹部。あれを見つけたとき、おれは気づいてしまった。
 
 父にDVを受けていた母と、一保先輩の変化が、そっくりだということに。