Right Action

6.

 業務が終わって、呼びつけられた建物の前を何度か往復した。
 本当にここでいいのか悩み、しかしあの影浦が住所を間違えるはずがない、と考え直す。
 東京のナントカ族が住んでいそうな、白とグレイで統一されたスタイリッシュなタイル貼りのマンションは、バブル期にでも建てられたのかと疑うような意匠のこらしっぷりだ。広い敷地の中には小川が流れ、人口の森があり、ようやくオートロックのエントランスにたどり着くと、小鳥のさえずりのような音楽が延々流れている。自分がどこにいるのか一瞬、分からなくなった。森か?ここは紀伊山地の中か。
 指定された部屋の番号を押すと、無言のまま通信は切れて、ドアが開いた。シュッ、という洗練された音を立ててガラス戸が開き、最上階の角部屋へと足を進める。
 影浦は財閥系企業の直系だ、と課長や人事の男が言っていたが、どうやらそれは本当のことらしい。自分には一生縁がないであろう高級マンションの中を歩いてドアフォンを押しながら、あのとき――働き出してすぐのころ、はじめて影浦に会い、ライターを渡されたとき――のことを思い出していた。
「入れよ」
 ドアが開かれ、招き入れられる。玄関で立ったまま框の上に立つ影浦を見上げると、黒の半袖サマーニットに、高そうなデニムを履いたラフな姿のまま腰に手をあて、じっとこちらを見下ろしてきた。
「これから何をするのかわかってるのか?」
 家の中に入ろうとすると、影浦が言った。はっとするほど美しい顔には陰があり、どことなく、気が進まない、といった様子が見て取れる。
「肉体労働だろ?」
 廊下の先に見えるいくつかのダンボールを指さして、おれは言った。
「まだ引っ越しの荷物が片付かない、って言ってたし、おれがやるんだろう、それを」
「成田、お前はなかなかのアホだな」
 おれの言葉にかぶせるように、影浦が首を振りながら言った。
「そんなことで五百万、まあ五十万はまけといてやるよ……が返せると思うのか」
 無慈悲な言葉だが、そこは影浦の言う通りだ。おれは靴を脱ぎ、立ちふさがるようにして廊下に立っていたヤツを押しのけて、勝手にリビングへと入っていく。
「それも含めて相談させてもらいに来たんだ。借用書を――」
「金はいらないって言っただろ。同じことを何度も言わせるな」
 ネクタイを緩めながら勝手にソファに座る。ぜいたくなことに、一00㎡は超えているであろうフロアは1LDKで構成されていて、広々としたリビングには高そうなソファとガラスのローテーブルが置かれている。圧迫感がないように配置されたブラウンの本棚には所せましと本が詰められ、テレビは壁に埋め込まれており、壁沿いには、空調システムと連動しているらしい、薪ストーブの姿が見えた。
「――じゃあ、どうしたらいい。何が望みだ」
「弟と縁を切ることはできないんだな?」
「それこそ、同じことを何度も言わせないでくれ。周平のことを何も知らないくせに」
 ソファの前に立っていた影浦が突然足を上げ、おれが座っているソファの背もたれをドンと蹴った。腕スレスレのところを蹴られて、視線だけを持ち上げる。
 どういうわけか、影浦はひどく苦い顔をしていた。
「お前って目つき悪いよな。顔は悪くねえのに」
「影浦は口が悪くて手癖足癖が悪いな。お前も顔は悪くないぞ」
 睨みつけてそう言い放つと、ぐっと足に体重をかけて影浦がこちらに顔を近づけてきた。
「肉体労働ってのはな、成田。性的奉仕を指すんだぜ?」
 胸倉をつかんでソファから引きずり降ろされ、代わりに影浦がそこに座った。性的奉仕、という言葉の意味を考える前に、影浦はデニムのファスナーを下ろし、凶悪な顔で笑った。
「舐めろ。イカせたら終わりだ。一回二十万引いてやる」
「な……!」
「拒否権はねえぞ。お前はおれに借金がある。そしてお前の弟が犯罪を犯した証拠も握っている。断ったり噛んだりしてみろ、弁護士使ってお前の弟をムショ送りにしてやる」
 茶色い柔らかそうな髪の下にみえる、ヘーゼルの眼だけが言葉と不釣り合いに優しく、唇は歌うように動いて最低最悪の命令を下す。
「簡単だろ?いままで女にさせたみたいに、おれにしてみろよ」
「冗談じゃない、断る」
「じゃあムショだな。いや、あえて払った五百五十万をとりかえして、お前の弟が健康長生きできねえようにしてやろうか?そっちの方が世のため人のためかもな」
 呪詛のような言葉を吐いているのに、影浦の顔は完全無欠に美しく、完璧に上品だった。そして容赦がなかった。おれに逃げ場を与えず、屈辱を味わえと微笑みかけてくる。
「やればいいんだな。分かった」
 身長こそおれよりも高い影浦だが、腕や肩幅などの体格は、完全におれのほうが上だ。やってみて、本当に無理なら、力に物を言わせて逃げればいい。――そんな選択肢が、万に一つもあれば、だが。
 多分、今おれは能面のような顔をしているだろう。自分でもわかる。影浦が驚いたようにこちらをのぞきこんできて、「とっとと済ませてメシにしようぜ?」と挑発的に唇を釣り上げた。ああ、ここに刃物がなくてよかった。もしあれば多分、心臓に突き立てていただろう。この美しい顔をした悪魔のような男の、あるのかないのか分からない心臓に。

 チャックを下ろしてとりだした影浦のそれは、まだ柔らかいのにもかかわらず立派な重みがあり、手のひらで握ると温かい。当たり前のことだが、こいつにも一応血が通ってはいるらしい。
 嫌悪感はなかった。薄々感じていた自分の真実に目を閉じ、ソファの前で犬のように座り込んだまま、影浦のものを指でなぞった。自分でするときのように、根本からそろそろと扱き、舌を這わせれば、みるみるうちに脈打って大きくなった。
「男でも、やられると気持ちいいもんだな」
 ひとごとのように影浦が言い、「続けろ」と命令する。目を閉じて違うことでも考えているのだろう、と思っていたが、こちらが溶けそうなぐらい爛々とした眼で、影浦はおれを見下ろしている。何が楽しいのか知らないが。人に屈辱を与えるのがたまらないのかもしれない。だとしたら真正のクズは周平ではなく、お前だ。
 根本からくびれにかけて何度か往復して舐め、その間も右手でゆるゆると扱いていると、影浦の手が伸びてきて後頭部を掴み、無理やり口の中に突っ込まれた。すっかり形を変え、硬くなったそれが上あごに擦りつけられ、必死で先を吸った。髪を掴まれて乱暴に頭を動かされる。右手が止まりがちになると、促すように逆の手がおれの手の上から添えられ、扱くようにと促された。
「ん、んぐ、……ンンッ、ふう、う」
 自然と眉が寄り、苦しさで生理的な涙が浮かんでくる。喉の奥まで突っ込まれると吐き出しそうになるのに、なぜか少しずつ、もぞもぞとした快楽のようなものが身体の中心から這い上がってきて、おれは必死で影浦のものを舐め、喉で絞った。
「は、……そんな顔できんのかよ、あの成田が」
「ンンッ、う、ううっ!」
 無口で淡々としていて、他の誰にも興味がない、そんな顔してるお前が。
 そんなつぶやきを、まるで睦言のように耳元に落としながら、影浦がおれの髪に指を入れて頭皮をさわり、ぐっと髪を引っ張る。痛みと驚きに、喉の奥から声が漏れる。情けない声だ。低くて掠れた、誰がきいたって男のうめき声。まるで色っぽいことなんてないのに、興が乗ったように影浦は笑った。
「事務所で一番、いいガタイしてるお前が。おれのチンポしゃぶって涙目になって、自分も興奮しておったててんの、やばくねえ?」
 ああ、いく。
 なめらかな頬をわずかに紅潮させた影浦が、溜息のような声でそう言い、両手でおれの顔を自分の股間に押し付けてくる。おれは影浦のふとももの上に両手をついていて、苦しさのあまりぎゅっとデニムを掴んだ。目尻から涙が数粒零れ落ち、ぽたぽたと、影浦のブルーデニムに染みを作る。喉の奥に、生暖かい体液の味が広がって、本能的に吐き出したくなった。
「全部飲んだらプラス十万な。頑張れ」
 鼻水が出ている。涙を出したせいだ。それでもなんとか喉の奥の精液を飲み下し、むせながら影浦のものから口を離す。荒い息とせきこむ声に、影浦がティッシュを差し出してきた。口元を拭い、鼻をかんでから、無意識に影浦を殴ろうとして、すぐに制圧されてしまう。俺よりも細いくせに、どこにこんな力があるんだ、と思うほど強い力で、リビングのラグの上でうつぶせにされ、後ろ手に拘束されて足でふまれた。
「やめたくなったか?今ならまだ、やめられるぞ」
「――縁は切らない。周平は……」
「もういい。その名前も聞き飽きた」
 うつぶせのまま腕を踏まれている状態で顔をひねって影浦を見上げれば、そこにいたのは、感情を殺しているみたいに無表情のあいつだった。
「続けるぞ」
 ジャケットとスラックスを脱ぐように指示され、のろのろと起き上がる。ソファの上に脱いだ服を乱暴に投げて、シャツのボタンに指をかけたとき、唐突に影浦が言った。
「ライターやったときのこと、覚えてるか」
 覚えている。
あのときは、影浦の強烈な言葉と不釣り合いな輝かしい笑顔に、圧倒された。おれもいつかこんな風になれるだろうか、ならなければ、と思った。みっともなく半べそをかきながら、焦がれた。誰よりも堂々としていて、強くて、頭がいいこの男に。けれど、
「もう、忘れた」
 忘れた。影浦を尊敬していた気持ちも、同じものを好きで嬉しいという瞬間も、接してみると思っていたよりも温かみのある人間だということも、全部勘違いだった。こいつは表面と内部が乖離していて、心を許しそうになったら必ず裏切られる。
「そうかよ」
 腕を掴まれ、寝室に連れていかれた。クイーンサイズはありそうなマットレスに首をつかんだまま叩きつけられたが、おそらく相当高級なものなんだろう、ふわりと受け止められてまったくダメージはない。
 おれの上にまたがった影浦が、右手でおれの抵抗を封じながら、左手で器用にボタンを外していく。視線の冷たさや先ほどの押し倒し方とは対極的にその指は丁寧で、すべて外し終わった途端に背中に手を回され、引っこ抜くようにしてシャツを脱がされた。
Vネックのノースリーブとボクサーパンツだけの姿にされているというのに、おれはどこか他人事のような気持ちだった。
「何ぼんやりしてんだ、成田。お前これからヤられるんだぜ、おれに」
「いくら減るんだ」
「何?」
「お前と一回寝たら、いくら借金が減るんだ」
 手のひらが下着の中に入ってきた。冷たい指が触ったことも触られたこともない乳首に触れて、爪でカリカリと弾かれる。う、とうめいて顔をそむけたおれを見下ろしている影浦が、唇の端にほんの少しだけ笑みをうかべた。
「そうだな……じゃあ二十万へらしてやるよ。今時高級コールガールでもこんなに取らねえぜ、せいぜいサービスしてくれよな」
 頭の中で計算した。口でして十万、精飲で十万、本番二十万だとしたら、今日だけで四十万返済できる。つまり、業務だ。未経験業務なのでそれなりに苦労はあるだろうが、今のところ嫌悪感はないのでなんとかできそうだった。
 背けていた顔の向きを変えて、正面から影浦と向き合う。上に乗っている影浦の指が止まって、何か言いたげな顔をした。何もききたくない。おれは両手を伸ばし、影浦のデニムを脱がせた。開き直ればどうということはない。その下にまとっていたボクサーパンツに指をかけて、少し驚いた。生まれてこの方触ったことがないほど柔らかく、肌触りのいい下着だった。きっと恐ろしく高いものなんだろう。野郎の性器と尻を隠すだけの布にここまで金をかける感覚が、おれには全く理解できない。けれども、それこそが影浦仁という男なのだと思った。
「いい布だな」
「真性のバカなのか?それが今からケツにちんぽいれられるやつのセリフか」
「実感がないんだろうな」
「いつまで余裕ぶっこいてられんのか楽しみだ」
 言葉はまるでやさしくない。けれど指は、唇は際限なく丁寧に、わき腹を舐め、胸を噛み、その先を意地悪くつまんで引っ張ったりした。過去付き合った彼女にもそんなところを弄られたことがなかったから、気持ち悪さしかない、はずなのに、おれの体はいまだかつてないほど反応し、燃え上がった。
―――想像したせいだ。
ずっと触ってほしかった指や唇と重ねて、いまの行為が、あいつとなら良かったのに、と思った。そう思うことはひどく後ろめたいことでもあったけれど、その後ろめたさは影浦に対してではなく、主にあいつに対してだった。
 のしかかってきている影浦は、髪が乱れ、息を荒くしていた。はじめは腕をおさえつけていた左の手のひらは、おれが無抵抗だと分かると、髪に触れたり顎を撫でたりした。
「……は、」
「後ろ向けよ」
 腕を掴まれ、ベッドの上で四つん這いの姿勢をとらされる。屈辱とそれを上回る興奮で振り返ってにらみつければ、あの優しい、それでいて何もかも見抜いているような聡い眼が、おれをじっと見下ろしていた。あろうことか、欲情の切れ端を目に浮かべている、長い睫毛の下にみえる美しい、ヘーゼルに灰色を混ぜたような虹彩。その下には、刷毛でなぞったように薄く赤くなった頬が見えた。毛穴一つみえない、つるりとした陶器のような肌だと思った。
 爪先まで手入れの行き届いた手は、おれとはまったく違う、繊細で長い指をしていた。整った指が何かのぬめりを帯びて、穴……言葉にしたくないけど、後ろの……に触れ、一本ずつぬるりと入ってくる。その間も背骨に沿うように舌が項へとのぼってきて、左手はうつぶせのまま腰をあげているおれの乳首をはじいたり、ぎゅっと摘まんだりした。
「う、や……やめろ。とっとと挿れればいいだろ」
 声が上ずる。両腕の中に顔を埋めて呻くと、指が二本に増やされて中でぐねりと曲げられた。
「……っ!」 
 体を電流が走ったらこんな感じになるのだろうか。自慰や女性とのセックスでは感じたことがない、強烈な快感が背筋を突き抜けて、おれはベッドに突っ伏した。影浦の指が探るようにそこを撫で、ゆるゆると擦ってきて、体を震わせて射精してしまった。
「なんだ、いまの、は」
 自分の呼吸がうるさい。全身がしっとりと汗で濡れている。シーツに崩れ落ちたおれの背中に覆いかぶさった影浦が、「ふうん、本で読んだ通りだ」とつぶやいた。
「もう気づいたか?自分の本質に」
 耳を甘く噛まれる。影浦は声だけで誰かを操れそうだ、と思うほどに、柔らかく低い美声で、囁きを吹き込まれる。
「成田は、ずっと誰かにこうされたいと思って生きてきたんだろう?」
 沸騰していた頭が瞬時に冷えた。息を呑む音に、影浦はせせら笑った。
「誰かじゃねえな、……あのクズの弟に抱かれたかった。抱かれたいと思いながら行動に移す勇気がなかった」
 とっさのことだったので、力加減を忘れた。気が付けば影浦を殴り、ベッドに叩きつけていた。
「黙れ」
 頬は腫れ、唇の端から血を流しながらも、影浦は余裕の笑みを浮かべたまま言った。
「――成田、お前の性愛の対象は女じゃなくて男なんだよ。それも弟のことが好きで好きでたまらない変態なんだ。認めろよ。認めて楽になれよ」
「その口を閉じろ!」
 のしかかってもう一発殴ろうとすると、足で腹を蹴られてベッドから転がり落ちた。腹をおさえて咳込んでいたら髪を掴まれ、ベッドに上半身だけを乗せて腰を突き出すようなポーズを取らされた。
「立場が分かっていないらしいな。じっとしてろ、さっきみたいに弟のことでも想像してな」
 見抜かれていた。どうして。いつ。
 恐慌状態に陥って、滅茶苦茶に抵抗した。けれど影浦は細いわりに腕力が強くて、どれほど暴れてもすぐにねじ伏せられてしまった。最後には腕を縛られてベッドのヘッドボードに括り付けられ、うつぶせにされ、ひどくいい匂いのするオイルを腰から下に塗りつけられて脱力した。
 もはやどちらも言葉がなかった。黙々と、職人の作業みたいに、影浦はおれの中に指を入れて広げたし、その合間に前を触って興奮させることも忘れなかった。怒りと快楽が混じり合い、もはや自分が嫌なのかそうでないのか、それすらも分からなくなったころ、腰をかかえてゆっくりと影浦が侵入してきた。外見は細身なのに、あいつのものは凶悪なぐらい大きくて硬く、体がふたつに裂かれるのではないかと思った。
「い、……痛い、やめ、やめてくれ……!」
「狭いな……おれも痛いから…ゆっくり呼吸しろ」
 シーツを掻きむしり、逃げようとしても腰を引き寄せられて容赦なく中をえぐられた。何度か中を出入りしたあとで、影浦はおれの体をひっくり返して正面から犯した。肩の上に自分の両足が載せられて、動くリズムに合わせてゆらゆら揺れている。ぐちゅ、ぐちゅという水音は聞くに堪えないほど淫猥だ。おれは今、男に犯されているのだ、と逃れようもなく実感した。泣いたりわめいたり、気がおかしくなったりしそうなことをされているのに、おれの中は次第に影浦のものに慣れ、気持ち良ささえ感じ始めている。
 硬く閉じていた目を開いて、影浦の顔を眺めた。ナチュラルブラウンの前髪がひと房、高い鼻梁に張り付いている。眉を寄せて汗をにじませ、くっきりとした二重の、目尻の下がった形のいい双眸がおれを睨みつける。目を細め、荒い息を吐いていても、影浦の顔はぞっとするほど美しかった。
「成田……」
 持ち上げられたおれのふくらはぎに、影浦が舌を這わせ、歯を立てる。左手が、硬くなって先を濡らしているおれのものに絡みつき、根本から強弱をつけて擦りあげられた。
「あ、ああっ、……う、いや、だ」
「硬くなって、濡らしてんのに?……後ろまで垂れてる」
 性器を突っ込まれて開ききっている場所の縁を、影浦の指が撫でた。その指はローション以外のもので濡れていた。
「男も、後ろでヤんのも初めてだけど、悪くねえな。なかなか気持ちいい」
 肩からおれの両足を下ろして大きく開かせ、奥まで深く挿し込まれた。ひ、と漏れたその声はすっかり欲情していて、もはや自分の興奮はすっかり露出してしまっていた。奥をごりごりと擦るように動きながら、指で亀頭の先をふさぐように強く押される。爪で穴をいじられ、くびれのところをしつこくこすられながら激しく中を突かれて、おれは声もなく達してしまった。
「く……すげえ締まった。あー、もういきそう」
 影浦が伸びあがってきて、おれの喉に噛みついた。肉食獣が獲物にとどめを刺すみたいに犬歯が喉に食い込んで、痛みと気持ち良さでのけ反って悶えた。一番奥まで突き入れられた影浦の性器が腰と一緒にビクビクと中で震えているのが分かる。生暖かい感触があって、抜かれると同時にそれはシーツをドロリと汚した。
「中に出した。あと……」
 呆然としているおれに向かって、悪魔のような笑みを浮かべた影浦が言った。
「結構、セックス好きなんだよな。とくにお前みたいな、普段『性欲なんかありませーん』って顔してるやつを泣きわめかせるの、めちゃくちゃ興奮する」
 腕を縛っていた布をほどいて、後ろから抱きしめるようにおれを抱き寄せ、そのまま突っ込まれた。縛られていた腕は赤い痕が残っていて、抵抗も忘れて握りしめられたまま俺の口元に寄せられた。拳を噛み、必死で声を出すまいとする。
「声出せよ。気持ちいいんだろ?」
 出してたまるか。絶対に出さない。
 歯を立てた手の甲から血の味がする。痛みで涙がにじんできたが、首を振って耐えた。
「まあいいや。時間ならあるもんな。明日休みだし」
 項に鼻先を突っ込んでから肩に吸い付いた影浦が、掠れた声でそう言って、腰を掴んで押し付けてくる。腹の下に腕を通されて四つん這いにさせられ、両手で尻を開くように強く揉まれた。屈辱的なはずなのに、ゆっくり出し入れしたり、中の気持ちいい場所を何度もかすめられたりして焦らされ、しまいには涙を流しながら腰を揺らしてしまう。
 何度めか分からない絶頂を迎える寸前、影浦がおれのものを強く掴んで、先の穴をふさいだ。出したいのにせき止められた欲望が体の中で大暴れして、噛んでいた拳から口を離してしまう。
「いきたいか?ならお願いしてみろよ、成田ァ」
 乱れた声で、音が鳴るほど強く腰を打ち付けながら、影浦が言った。激しく首を振って拒絶すると、汗がシーツの上に飛び散った。
 後ろから酷薄な声が容赦なく命令を下す。
「言えよ、変態。おれにこうされて嬉しいんだろ?いつも物欲しそうな顔しておれをみてたもんな。ほしいものには手を伸ばせない。罪深いことだと思っていたから。けど、お前は罰が欲しかったんだよな。誰でもいいから罰してほしかった、そうだろ?」
 早く言えよ。なあ!!
 体を合わせているのに、そして確かにお互いの体は熱くなって汗がにじみでてくるのに、影浦の声は氷のように冷たくおれを突き刺した。
――図星だったからだ。

 おれはずっと、だれかに罰してほしかった。責め苛まれたいと願っていた。どうせ誰にも許してもらえないのだから。
 好きになってはいけない。そう思えば思うほど、心は周平を追いかけた。どれほど傷つけられても利用されても、嫌いになることなんかできなかった。あの日約束した言葉が、今こんな状況でも忘れられずにいた。周平は言ったのだ。「悠くんがピンチのときは、絶対おれが助けるからね」と。そしてあのとき、本当に周平は助けてくれた。見てみないフリをしていた、卑怯なおれのことを。

***

 ……カン…カン……カン…

 音がきこえる。
 ライターのフタを開く、渇いた音。新人のころはじめて聞いたあの音だ。

「なんだ、営業のくせにライターのひとつももってないわけ?」
「申し訳ございません……」
「なんでもかんでも、心のこもってない謝罪で解決できると思うなよ。アンタが入荷数間違えたせいで、こっちはとんでもない損害被ったんだよ。どうしてくれんだよ。入れろ入れろってしつこいから鳳凰ビールなんて流行らないのいれてやったのにさ。やっぱりユウヒビールに乗り換えようかな」
 夏の暑い日だった。
 取引先の料飲店のオーナーとその部下に連れてこられたのは歌舞伎町のキャバクラ店だった。当時は新人だったから、今よりももっとコミュニケーション能力が低かった。連絡の行き違いから発生した小さなミスをしつこく責められ、嫌味やセクハラめいた言葉をうまく受け流すこともできず、おれはひたすら頭を下げていた。
「まあでも、いいよ。おれ野球好きでさ、昔良く球場まで見に行ったんだよね。……まさかあの成田悠生が、ビール会社の営業やってるなんてなあ。やっぱ、いい体してるよね」
不自然に何度も肩を抱いたり背中を触ったりを繰り返してくるその男に突然尻をわしづかみにされて、驚きのあまり固まったとき、隣のボックス席から声が掛けられた。
「部外者が突然失礼いたします。――その気の利かない社員、おそらく弊社の人間ではないかと気になりまして。私でよろしければ、火を点けさせていただけませんか?」
 物腰が柔らかく優美なのに、有無を言わせない口調。高貴という言葉がぴったり似合う男が柔らかく微笑みながらオーナーの前に膝立ちになり、流れるように火を点けた。
「うるせえ、なんだてめえ。引っ込んでろ!」
 隣の酔った部下にハイボールを顔にひっかけられ、挙句胸にグラスを投げつけられても、美しい男は眉ひとつ動かさずに微笑んだまま、まっすぐオーナーを見つめた。その様子に、その場を見守ることしかできなかった風のキャバ嬢たちが、一斉にオーナーや部下を諫めにかかった。場が白けたことに焦ったのか、オーナーは「もういいわ。おい、帰るぞ」と金をテーブルに叩きつけて店から出ていってしまった。
 高そうなスーツについた水滴を拭おうとする嬢たちを笑顔で退けてから、その男はただ席に座ってぼんやりしていたおれをみつけて「バカ野郎」と怒鳴った。
「どこの世界にライターもってねえ営業がいるんだよ。やる気がねえならやめちまえ、どうせお前なんか続かねえよ!」
 さきほどまでのノーブルな雰囲気を蹴散らす勢いで怒鳴り散らし、ライターをおれに投げつけてから、男がその場を後にする。
 その男の名前が「影浦仁」、同期だと知ったのは、ずいぶん後になってからのことだった。