8 ピース オブ ケイク(三嶋顕の過去Ⅱ)

「アキの父親は、母親に暴力を振るってる。物を投げたり、罵倒したり…馬乗りになって殴ったりする。止めても、警察呼んでも、おばさんが…逃げようとしいへん」
 六人部の顔から、表情が消える。
 この表情には見覚えがある。親に暴力を振るわれている子供や、強いストレスを感じている子供がよくこういう顔をするのだ。きっと、すぐ側で行われている暴力に、心を痛めているのだろう。
「アキとおれと、オトンと、三人で止めてもアカンかった。なんでかわからんけど、絶対アキは殴ったりせえへんけど…おばちゃんには酷い。なんかわけ分からん こと言いながらいつも殴る。裏切り者とか、バイタ…?とか。おばちゃんは、殴られてる間ずっと謝ってる。ごめんなさい、許してくださいって、ずうっと。何も悪い事、してへんのに」
 共依存、という言葉が頭に浮かぶ。アルコール依存症の人間は、その表面の症状にとらわれがちだが、実は共依存を起こしている事が多い。三嶋の母親のよう に、『内罰的』であったり、『自己犠牲心が強い』女性は、共依存を誘発しやすいのだ。相手に尽くし、我慢することでより相手の依存が高まってしまう。
「生活に必要なお金も、酒買ったり飲んだりしてすぐに使ってまう。最近は、それだけじゃなさそうで…なんか目がおかしいときがあるんです、こう、焦点が定まってないっていうか」
 聞いた内容をなるべく正確に、手帳に控える。
「三嶋自身は、何ていってる?」
 僕の言葉に、六人部はますます表情を曇らせる。
「…ほっといてほしいって。何もしていらんって、言います。お前らに迷惑かけたくないからって。でもおれ、ほっとかれへん。だから、暴力始まったらすぐ、自分ちにアキ連れて行って…オトンがおったら、オトンに止めてもらってて」
「六人部のお父さんは、確か…」
「測量事務所をやってます。最近ようやく仕事も軌道に乗り始めて、忙しくなってきて…前ほど、家にいてられへんけどずっと、アキのことは気にしてる。なん やったら養子にするって、うちに来いって。でもアキの父親は、アキのことなんかこれっぽっちも愛してへんくせに、絶対許さんって…。もうおれ、どうしたら いいか分からん。どうしたらいいんか…!」
 六人部の目から、涙が零れ落ちる。僕は六人部の肩を撫でて、ハンカチを手渡した。
「ごめん。辛いことをよく話してくれたよ、ありがとう」
「おれは全然辛くない。アキが、そのうち、あいつのこと殺しそうで。あいつさえおらんかったらって……時々めっちゃ怖い目で言うんです」
 涙を拭った六人部が、唇をかみしめながら言う。
「三嶋自身には、被害はないんだな?」
「はい。それも、おれは気になってて。なんでおばちゃんだけなんやろうって」
 三嶋は何度も、離婚しよう、シェルターに避難しようと母親を説得したらしい。だが彼女は、なんど隔離しても保護しても、数日すると家に戻ってしまうのだという。やがて三嶋は説得することも止めることも諦め、目の前で起こる暴力から、遠ざかるようになった。
「アキは、二人がどうなっても別にどうでもいいって言ってました。腹が立つのは……学費とか、衣食住に必要な金までとられてしまうことやって。それだけは許されへんってゆうて…あいつさえおらんかったら、って怖い目するんです」

 

 

 

 

 話を聞き終わって、六人部を落ち着かせてから職員室に戻る。教師の書類仕事の多くは、この放課後の時間を効率的に生かしてこそ片付いていくというのに、僕は赤ペンを握ったまま固まるばかりだ。
「おい、おーい、京一郎。どないした」
「どないもこないも…ですよ」
「ちょーっと違うねんなあ、発音が。さっきの六人部やろ。三嶋のことか?」
「すごいですね、根岸先生は」
 職員室の窓の外は、すでに夕暮れに染まっている。グラウンドも、それを囲うように生えている木々も同じ色だ。うつくしい色なのに、まるで心が動かされない。
 頭の中は、さっき聞いた話で一杯だった。
「三嶋な。生まれてくる家さえ違ってたら、あいつはすごい人物になれたやろうになあ」
「根岸先生、そういう発言は」
「ほんまのことやろ。なあ、京一郎。お前、東大、京大、阪大行くやつの、共通点が何か知ってるか?」
 突然変わった話についていけずに、首を傾げる。根岸先生は、「察しの悪いやっちゃなあ」と苦笑して続けた。
「世帯年収や。具体的に言えば東大生の半分は、親の年収が一千万以上って言われてる。統計的に見れば、学力は世帯年収に比例する。そして将来の収入 は、学歴に比例する。どんだけ顔がきれいでも、地頭が良うても、あのへんの大学はな、金が物言う世界なんや。塾にやる金、家庭教師をつける金、好きなだけ勉強させて遊ばせてやるだけの金。子供は親を選ばれへんのに、生まれながらにして親によってある程度の人生、運命がさだめられとる。残酷やけど、これって真実やからね」
「…それでも、この国はまだ勉強するものにチャンスが与えられている国だと、僕は思います」
「そやね。世界的に見ても、日本の教育は熱心な方やと思うよ。奨学金制度も特待生制度もあるにはあるし。ただなあ、出る杭は打たれるという悪しき習慣も強いやん。あとなあ……あいつ文系科目壊滅的やろ?とくに暗記を必要とする科目が」
「そうなんですよね…理系科目は満点以外取ったことないんですけど」
「テスト問題が簡単でつまらんゆうてきよんねん。腹立つから、こないだテストの後、職員室呼び出してあいつにだけ別の問題渡したったわけよ。お前だけこれ解いてみろ、ゆうて。おれ様自慢の超難しい問題三問やってんけど、どうなったと思う?」
 逡巡して、首を振る。解けたんですかと言うのも根岸のプライドを傷つける気がして、僕は黙って答えを待った。
「五分や。その時ちょうどあいてた京一郎の席座ってな、五分で解いて言うた言葉が『まあまあ面白かった』や」
「うわあ」
「正直、中学レベルの数学テストやない問題やってんで。なんで解けたんか…。こういう言葉はあんまり好きちゃうけど、あー、天才ってこういうやつなんやろうなって思ったわ。みた事ない楽しそうな顔しとったけど、解けた後はなあ、ふーっと冷めた顔に戻る。『答えが決まってる問題は、おもろない』ってな。ああ いうやつは学者になったらええのにっておれ、思ってるんやけど。国公立のいい大学行くには、文系科目も出来なあかんからなあ」
「そういえば、いつも難しい専門書読んでますね。一心不乱にルーズリーフに数式書きながら本読んでるの見た事あって、何してるのか聞いたら、『地球から月までの距離、計算してた』とか言ってましたよ。だから、数学者でも目指したらどうだって聞いてみたんですけど…」
「なんてゆうてた?」
「金を稼げない仕事に、興味ない、って」

 僕は何度か、三嶋を図書室で見かけたことがある。仕事と趣味を兼ねて、僕は度々図書室を出入りしていて、常に十冊程度の本を借りているが、三嶋はそれ に勝るとも劣らないほどに本を読んでいた。図書委員の子に頼んで図書カードを見せてもらうと、一年のときからすでに十数枚もの図書カードを一杯にするほどで、借りた本のタイトルも見事に数学の専門書や物理学の基礎学問の本ばかりだった。
「ちょっと図書室に行ってきます。もしかしたら三嶋がいるかもしれないんで」
「おう、行ったれ。でもな京一郎、教師いうても、家庭の事情までは踏み込まれへんで。本人が暴力振るわれてるっていうんやったら話は違うけどな」
 結局この日、三嶋は図書室にいなかったので話をすることは出来なかった。そのまま時間が過ぎて、二か月後の今に至る。

 

 

 

 

 随分長湯をしてしまった。
 僕は風呂から出て、毎日つけている日記帖を開く。
 六月が終わり七月に変わろうとしていた。扇風機の風が火照った身体に気持ちがいい。

『六月三十日 今日はよく晴れていた。朝五時に目覚めると、ひぐらしの鳴き声が聞こえて夏の到来を感じる。
 中間テストの結果、うちのクラスの平均点はあまり芳しいものではなかった。個別に指導していくことも考えなくてはいけない。終わりの回でテーマの一つに 取り上げてみたが、皆イマイチ認識していないようだった。僕には本当に説得力とか、教師としての威厳というものが足りてない。反省した。
 三嶋がまたかかとを踏んでいたので、注意する。彼はいつものごとく笑いながら立ち去った。その後市岡が好きな人がいることを僕に打ち明けてくれた。
 帰りの電車で三嶋の保護者らしき人と遭遇する。思わず後を追うも、時間が遅いので訪問するのはやめにした。どれだけ自宅に電話をしても連絡がつかないし、懇談の日程が決められなくて困っていたが、六人部を通じて連絡をしてもらうことにした。
 六人部の外れかけたボタンをつけた。飯田先生に教えてもらった技術がさっそく役に立って嬉しい。明日は三嶋がかかとを踏んでいないことを願う。

明日すること:夜、早めに上がって由記市役所の地域福祉課にいる友人にもう一度電話をする』

 万年筆を置く。息を大きく吸って、ゆっくり吐いた。名前の分からない虫の、泣き声が聞こえた。立ち上がって冷蔵庫からアイスコーヒーをとりだし、砂糖もミルクも入れずにゆっくりと飲んだ。
 文字を書くと心が落ち着いていく。これは僕がほんの子供の頃からの習慣で、悲しいことも辛いことも腹が立ったことも、書いているだけでなんとなく昇華されていくのだ。証券会社に勤めている頃は、日記にすべての苦しみを吐き出していたので、ひどい日になると『もう死にたい、やめたい、あいつを殺したい殺したい殺したい』というネガティブな言葉で埋め尽くされているページもあった。
 でもそのおかげで、僕は死なずにここにいる。
「そうだ…日記だ」
 提案してみるのもアリだ、と思った。三嶋のような人物が、容易に乗ってくるとは考え難いが、文字を書くことで彼も楽になるかもしれない。
 人は誰かに何かを語りたい生きもの、なのだから。
「確か買ったまま置いてあったノートが…あったあった」
 真新しいノートをカバンに入れる。跳ね除けられるかもしれないが、聞くだけ聞いてみよう。

 

 

 

 

「家庭内暴力にさらされた子供のケアを考える」という本を読み終えて分かったのは、子供自身が暴力にさらされていなくても、母親と同じぐらい傷ついている事が多い、ということだった。
 その本は外国の本で、具体的な事例を上げながら解決策を示してくれる画期的な内容で、辛かった体験を語ろうとしない子供に絵本の読み聞かせをしたり、手紙のやり取りをして少しずつ心情を吐き出させる、というやり方が提示されていた。
「松浦先生って、単純やなあ」
 突然後ろからかけられた声に、慌てて本を隠す。真後ろに、三嶋が立っていた。
「摂に聞いたんやろ。何もしてくれんでええから」
 怒るでもなく、哀しむわけでもない顔で、三嶋が言う。
「そんなわけにいくか。お前は僕の生徒だぞ」
「情熱だけでこんがらがった人間関係が全部うまくいくなら、この世界からいじめ自殺もパワハラもなくなるわ。気持ちだけありがたーく頂いとく。先生おおきに」
 七月の半ば、提案した交換日記は三嶋に素気無く断られ、僕は肩を落として帰路についた。あれから一週間経った今、夏休み前に借りた本を返そうと寄った図書館で、三嶋に声をかけられたのだ。
「交換日記の次は、カウンセリングでも提案されるんかと思ったけど、違った?」
 溜息が出た。隣の空いた席に三嶋が腰掛け、僕が隠した本を取り上げてパラパラと目を通す。
「この手の本も色々読んだけど、大体書いてることおんなじやねんなあ。とにかく暴力振るわれてる本人が、どうにかしたいとおもわんと」
 肘をつき、身体をテーブルに預けて話している三嶋の顔は、側でみると見慣れているはずの僕でも言葉を失ってしまう。少年から抜け出したばかりの白く鋭利な横顔はほとんど笑うことがなく、それゆえに大理石を切り出して作ったような、冷え冷えとした神秘的な美しさを際立たせていた。
 立っていても座っていてもきれいだなんて、まるであの諺のようだ。
「…芸能界とか、考えた事ないのか?」
「ない。容姿で仕事するなんて、考えただけで吐き気する。大体収入が安定せえへんし、ローンだって組みにくいやん。あ、その仕事してる人を揶揄してるわけやなくて、おれには向いてへんって意味で」
「ローン組む予定あんのか、お前」
「家買うときとか……。何笑ってんの腹立つな」
 思いのほか生真面目な回答に、僕は思わずニヤニヤしてしまう。からかっていると思われないように、慌てて表情を引き締めた。
「そうか。もったいないなあ。お前みたいな容姿の人のことを、『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』って言うんだぞ。何してても人目をひいて、美しいってことだよ」
 僕が頷きながら言うと、三嶋は嫌そうに眉を寄せた。
「別に望んだことない。顔なんかふつうでいいから、もうちょっとまともな家に生まれたかったわ」
 なんてな。まあ、言うてもしゃあないけど
 珍しく本音を晒したかと思えば、すぐにふざけて無かったことにしようとする。
「真面目でわかりやすい松浦先生のことやから、福祉事務所にも相談したんやろ?」
「……三嶋、カリスマ占い師になれるよ」
 三嶋が声を出して笑う。途端に、図書委員の子が飛んできて「静かにしてください!」と注意を受ける。
「同じこと言われるだけ。大体、何回隔離しても自分で戻るんやもん、役所の人が面倒くさがっても仕方ないわ。施設探して入れるだけでも大変やのに手間かけさせるだけかけさせて元通りやもんな。本人になんとかしようという気がないのか、共依存なんか分からんけど」
 六人部の言った通り、一通りのことは試したようだ。母親を説得したりカウンセリングを受けるよう勧めたり、施設に入所させたり。本や行政から得た知識で、必死でやれることはやったのだろう。
 他のふつうの中学二年生は、塾に行ったり友達と遊んだりゲームをしたり、ちょっとした恋愛にうつつを抜かしたりしているのに、三嶋は崩壊しつつある家族 を必死に立て直そうとしている。何度も失敗して、打ちのめされて、…それでもたった一人で戦っている。
 ただ人よりも頭が良くて家庭環境に恵まれていないというだけで、こんな目に合わないといけないのか。彼の言う通り、相談に訪れた市の福祉事務所は消極的で、三嶋自身は被害を受けていないから隔離も出来ない。彼の両親に会おうと何度も家に足を運んだが、そのたびに居留守や留守で会うことすらままならない。
 僕には何も出来ないのだろうか。
 三嶋は、まだ子供なのに。僕は担任教師なのに。何も。
「えっ…ちょっと松浦先生…泣いてんの?!」
「ふ…ふぐっ…んなわけあるか。これは…アレだよ。汗だよ、汗。暑いから…ウグッ」
 みっともないことに僕は泣いていた。ありえない話だ。教師としてあるまじき事で、ダメだすぐに泣き止まなければと思えば思うほど、止まらない。
 悔しかった。本を読んでも相談しても、どれだけ調べても足を運んでも、僕は何の役にも立てない。
「ごめん、おれはほんと…ウグッ。情けないよ、馬の糞より役に立たないクズだって、罵ってくれていいよ」
「何ゆってんの。ああもう、それ以上なかんといてよ。泣かれるの弱いねん、おれ」
「だから泣いてないって…ック。明日から夏休みだし」
「全然繋がりないけど。なあ、松浦先生はクズなんかやないよ」
「いや、おれはクズだ。一ツ橋出て、証券会社に勤めて……フグッ、調子に乗ってたんだ。教師なんか、ぬるいって。公務員余裕だぜーとか内心思ってたんだきっと。でも、おれの学歴なんか何の役にも立たないって、思い知ったよ。おれはウマのクソなんだ」
「馬の糞よりは、役に立ってるって」
「そうか…?じゃあ、交換日記、してくれるか?」
「ええええ…それはめっちゃ嫌なんやけどぉ…。でもこのまま泣かれる方が困るしな。ええよ、するから。なんでもするから、ええ年した大人が泣くのん止めて、頼むから」
 何の話をしているんだろう。不意に笑いがこみあげてきて、おれは泣き笑いのようにしゃくりあげてしまう。三嶋が貸してくれた白いハンカチに思い切り鼻をかむと、彼は手のひらを額に当てて天井を仰いでしまった。
「よし。約束したぞ。これ日記帳な、毎日、その日あったこととか報告したいことを書いて、朝職員室に持ってくるように」
 さっさと涙を拭いてしまう。三嶋が唖然とした。
「え……演技?!今の?!」
「おう。おれ高校と大学のとき演劇やってたんだぜ。まあまあいい線いってただろ?こう見えて劇団にも所属してたんだ。金欲しさにとっとと就職しちまったけど、所属してた劇団が結構有名になってさ、テレビにも出るようになって、毎日くやしさにハンカチ噛みしめてるよ」
「騙された…」
 眉を下げて情けない顔をしていても、三嶋はきれいだった。
「男に二言は無いだろ。さ、明日からこれな」
「くそお!めっちゃ腹立つ。まさかこんな手にひっかかるとは」
 泣いた気持ちに嘘はない。…ただ、表現を少し大げさにしただけだ。
 三嶋は手渡されたノートを嫌そうに眺めてから、無造作にカバンの中に投げ込んだ。
「すみません、もう閉館の時間なんですが」
 図書委員の女生徒が、三嶋の方を見ないようにしながら僕に言う。地味でおとなしい女生徒からすれば、三嶋は声を掛けるのもためらうような人間らしい。それは、普段クラスの様子を見ていても分かる。彼に気に入られようとか、話をしようとする女子は、みな平均よりも容姿が上だと自認しているタイプ…つまりスクールカースト上位の子ばかりだった。
「ごめんな、もう出るから」
 三嶋がそう言って立ち上がり、図書館を出て行く。僕は女生徒に礼を行って後を追った。
「あ、松浦先生」
「六人部。三嶋待ってたのか」
「ハイ」
 校門の近くまで来ると、六人部が立っていた。
「おいおい、アスファルトの照り返しもあるのに、こんなとこで待つなよ。次から木陰でな?」
 指さして、近くに生えていたメタセコイヤの影に移動する。
「摂が熱中症になったら松浦先生のせいやな」
 いじめっ子のような口調で三嶋が言った。
「うぐっ。でも三嶋、お前のせいでもあるぞ。お前がさっさとウンと言わないから悪いんだ」
「何の話ー?」
 よっぽど無かったことにしたいのか、三嶋が惚ける。
「とぼけんなよ。男の約束を破るつもりか」
「うぐっ」
 今度は三嶋の番だった。さっきの僕と同じような声を出して、そっぽを向いた。正午近くの強い夏の光が、三嶋の好き勝手に跳ねる黒い髪に、天使の輪を作っている。眩しい日の光と、肌の色が白い所為で、学校の塀と同化して見えた。
「六人部、三嶋と交換日記するって決まったから、週一取りに行くな。お前んちに行けばいいか?」
 僕の提案に、六人部が目を丸くする。こうして彼を巻き込んだ方が、より成功率が上がると見込んでのことだ。
「はい。土日なら部活もないんで家にいます」
「よし。じゃあ毎週土日どっちか、取りにいくな。三嶋、さぼらずに書けよ」
「そんなこと言われてもな…何書いたらええの?クソ親父の暴行記録とか?」
「かきたいことでいいよ。それが三嶋の書きたいことなら書いてくれたらいいし、書きたくないならほんとにふつうの日記でいい。今日はテレビで何を見たとか、六人部とどんな話をしたとか、そんなのでいいから」
 三嶋が不服そうに眉を寄せ、フンと鼻を鳴らす。
「先生、携帯電話持ってないからさ、何かあったらここに電話して」
 家の電話番号をふたりに手渡す。
「日記の内容、数式でもいい?今星と星の距離を計算するのにはまってんねん」
 思いついた、とばかりに目を輝かせる三嶋に、僕は首を振る。
「国語の教師に数式は勘弁してくれ」
「あっそ。分かった、なんか適当に書くわ。騙されたとはいえ、男同士の約束やからな。おれは約束守らへん奴は、この世で三番目に嫌いやねん」
 一番と二番が気になるところだが、とりあえず良しとする。
 手を振りながら並んで家路に着く彼らを、僕は、見えなくなるまでずっと見送った。