6 王子か王か恋人か(後編)

 新郎新婦に見送られ、三次会への誘いをなんとか断って店を後にした。影浦もおれもどちらもなぜか不機嫌だったが、実家に帰る選択肢だけはなかったので、友人の家にとめてもらうつもりだった。
「どこへいくつもりだ」
 駅前でタクシーを拾おうとすると、影浦に腕をつかまれた。声も顔も不機嫌そのものだったから、おれも伝染してますます不機嫌な顔になった。ただでさえ顔が怖いと言われるのに。
「友人の家」
「実家に帰りたくないんだろ。おれの家に来い」
 見抜かれている。嬉しく思いそうになって、慌てて顔を引き締めた。人に甘えることに慣れてはいけない。
「いい。大丈夫だ」
「うるせえ、口答えすんな」
 横暴な口ぶりに眉をひそめる暇もなく、駅のロータリーに横づけされたBMWの後部座席に無理やり蹴り入れられた。なんというタイミング。なんという鮮やかな拉致。
「持つべきものは有能な乳母だな。静かにしろ、はつに手間をかけさせるな」
 隣に乗り込んできた影浦が、おれを指さしながら命令すると、すかさずはつさんのおっとりとした声が運転席から挟まれた。
「まあ仁さま、そのような言い方は感心いたしませんよ、まるで誘拐犯の言い分ではありませんか」
 まるでじゃなくて、誘拐犯だと思う。言わないが。
 発進した車は影浦の神奈川での住まい(和歌山の分譲マンションと同様に、高級タワーマンションの最上階が影浦の部屋だった)にまっすぐ向かい、地下の駐車場に入った。一度体当たりして逃げようとしたが、「危ないですよ、成田さま」とはつさんが悲しそうな顔をしたので、逃げ損ねてしまった。わざとらしく倒れて見せた影浦がほくそ笑んでいるのが分かっても、おれはそこから逃走することができなくなった。影浦のやり口は卑怯だ。この卑怯者。お前なんか……、お前なんか、眠っている間にさかむけになった指にレモン汁塗りこんでやる。今は無理だ。どうみてもこいつの指はすべすべのつるつるだから。でもいつか必ずやってやる。目にもの見せてやる。

 おれと影浦を地下の駐車場まで送り終えると、はつさんは「それでは失礼いたします」と礼儀正しく頭を下げて帰ってしまった。
 エレベーターの中、目を閉じたまま壁にもたれ、腕を組んでいる影浦。どうしてこいつは、おれの前でだけこんなに横暴で偉そうで不機嫌なんだ。パーティ会場ではあれほど愛想を振りまき、王子様然としていたのに、おれの前でだけ王様気どりなのは一体どういうわけだ。
 嘘の影浦と接したいわけじゃない。ただ、ふつうでいてほしい。よくわからない怒りを向けられると、おれも腹を立ててしまって優しくできない。
「なんなんだ一体。説明しろ」
 腕を引っ張られて家の中に押し込まれ、靴を脱ぐ暇もなく廊下に倒れこんだ。背中に感じる大理石の冷たい感触に身震いしている間に、影浦がおれのジャケットを引っ張って脱がせた。シャツの中に侵入してきた手を振り払おうとすると、影浦は自分のネクタイを引き抜き、おれの両腕を縛り上げた。
 ――以前なら遠慮なく自由に動く足で影浦を蹴ったのに、今はできない。その理由は考えたくないが、蹴ることができないので顔を近づけてきた影浦の額に思いきり頭突きした。
「いっ……、この石頭」
 額を両手でおさえた影浦が、廊下にしゃがみこんでこちらを睨んだ。
「目が覚めたか?セックスならあとでしてやるから、その態度の理由を言え」
 影浦は片目を細め、「してやるだと?」と鼻で笑った。
「勘違いするな。してやってるのはこっちの方だ」
 身体を起こそうとしたおれの肩を強く押して仰向けに押し倒してから影浦が呻く。シャツをスラックスから引き抜き、ボタンをすべて外された。いつも思うがこの鮮やかな手口、素人とは思えない。長い指が肌着をたくしあげ、爪で胸の先を引っ掻かれて息が止まった。
「恩着せがましく言うな。おれはしてもしなくても、どっちでもいいんだ」
 声に説得力がない。影浦に触られるといつもこうなる。
「してもしなくても?へえ、そうなのか」
 余裕の笑みを浮かべたまま、影浦がおれの足のあいだに顔を沈めた。片手でおれを抑え込み、もう片方の手で器用にベルトを外してスラックスを足から抜き、あっという間に下着が膝までずり下げられる。
「あ……っ」
 あらわになったものを右手でなでさすられ、羞恥で顔が熱くなった。影浦のととのった薄い唇がその先端にキスをしてから、舌で割れ目を開くように舐められた。腰が重くなり、身体が熱くほてっていく。
 顔をそむけたいのにそれができない。触覚だけではなく視覚でも興奮していた。あのプライドの高い傲慢な男が、おれのものを舐めたり吸ったりしている。そのビジュアルとシチュエーションに興奮してしまう。
 手の動きと一緒に、口淫の動きが激しくなっていく。
 イク寸前、おれは縛られたまま両手を前に伸ばして、影浦のやわらかい髪に触れた。顔をあげた影浦が、すっかり興奮した性器から垂れる体液を親指で先端にこすりつけ、わざとらしく糸を引かせてみせた。
「してもしなくてもいいんだろう?なら、今日はおあずけだな」
 悪魔かと思った。
 いや、そういえばこいつはこういうやつだった。思いだした。
 すっかり硬くその気になったおれのものを放り出して、影浦が立ち上がった。手の甲で口元をぬぐってから洗面所に行って手を洗い、そのままリビングへ行こうとする。
「いいぞ別に」
 振り返った影浦から余裕の表情が消えるのをみて、内心ほくそ笑んだ。
「自分でするから、早く消えろ」
 縛られた両腕を口元に持っていってなんとか解いてから、右手で自分のものをゆっくり擦る。左指を口の中に入れて十分濡らしてから、おそるおそる中に入れた。中を自分で触るのは初めてだったが、見られているせいなのか、ひどく興奮した。
「見んな」
 わざと足を開いて、影浦からよく見えるようにしてやった。次第に濡れた音が早くなって、影浦は金縛りにあったみたいにドアの前で固まったまま、おれを凝視していた。信じられないものを見るような眼だった。自分でも信じられない。まさかこんなことをするなんて。
「あ、うう……」
 中も外も気持ちがよくてイキそうになり、目を閉じた。視界が暗くなり、何か柔らかいものが唇にふれて目を開こうとすると、手のひらで視界を覆われたまま、熱いものが正面からねじこまれ、挿し込まれた。
「っ!ああ……、は、うう」
 口を覆うような激しいキスに顔をよじる。ようやくふりほどいて目を開くと、眉を寄せ、陶然とした顔で腰を振っている影浦が見えて、えも言われぬ快感が背筋を駆け抜けていく。
「誰なんだ、あの男は」
 揺さぶられながら話しかけられても、ろくに頭が働かない。言葉にならない声を漏らすだけのおれを見下ろし、影浦が苛立たし気に舌打ちをしてから奥深くに硬いものをねじ込んで小刻みに動いた。そこはおれがきもちよくてたまらない場所で、もうすっかり影浦に知られてしまっているから、涙がでてくるほどしつこく突かれて背をそらして身もだえした。
「あ、ああ、やめろ、いく……!」
 動きが止まった。もうあと少し、数秒で達しそうだったのに。涙目で影浦を睨みつけると、腰を抱いて身体を起こされ、あぐらをかいた影浦の上に、向き合って座らされた。深々と刺さった硬いものに、自然と腰が上下に動く。汗をかき、熱くなった影浦の背中に爪を立てれば、紅潮した頬に笑みを浮かべた影浦が、耳の舌に歯を立ててから強く吸った。
「言え。言わないとこのまま動かないからな」
 自分で動いても、もどかしい快感しか手に入らない。動いてほしい一心で、影浦の耳を舐めて歯を立て、「なんのことかわからない。動いてくれ」と喘ぎ交じりに言った。
「お前にとって特別な男なんだろ。どういう関係だ?名前は、住所は」
 言え。
 言わないなら調べ上げてやる。
 そう呪詛のように耳に吹き込まれて、悦びとしか言えない感情が脳髄をしびれさせた。嫉妬しているのだろうか。久しぶりに偶然再会しただけの、古い友人に。
 こんなこと思いたくない。でもダメだった。うれしい。嬉しくて可愛いくて、つい言葉がもれた。
「仁、おまえ、…ほんとうに、かわいいな」
「なんだと?バカにしてんのかてめえ」
 悔しそうな顔をしているのに、影浦は我慢しきれなくなったのか、下から身体を揺さぶりはじめた。首に腕をまわし、リズムを合わせて腰を動かす。すでにおれの身体はすっかり影浦に懐いていて、出ていこうとする影浦のものを健気に食い締め、離すまいとする。
「ん、んんっ……いく、も、いく」
 唇を塞がれる。影浦はいつも、おれがイク寸前になるとキスしたがった。
 おぼれかけている人間が酸素をむさぼるように、影浦のキスに溺れた。長いキスを終えて唇が離れていったころには、おれの腹は自分の精液で濡れていた。
「あとで洗いざらい吐かせるからな」
 熟練の捜査員のように宣言した影浦に、膝裏をもって大きく開かせられ、正常位で抱かれた。
 苦しそうな顔に流れる汗と、そこに張り付く前髪を揺さぶられながら耳にかけてやると、ひどく切なそうな顔で、影浦が達した。

 身体の中も外も、口の中までトロトロに溶かされながらイかされる。それはこの関係が始まったころから同じなのに、満足感がまるで違う。
 なぜなのか、と考えながらベッドに腰かけ、寝顔を眺めた。みればみるほど、何の欠点もない顔だと思った。裕福で、美しくて、仕事のできる王様。(あるいは外面は王子様か?)
 おれよりもはるかに優れていて、なんでももっているのに、時々抱きしめてやりたくなるのはどうしてだろう。……こんなことを影浦が知れば、きっと怒り狂うに違いないだろうが。
 布団の中に入って、影浦の髪を撫でた。やわらかくていい匂いのする、絹糸のような髪に指を通し、頬にふれると、影浦の目が開いて数センチの距離で目が合ってしまった。
「二ツ町は友人だよ。クラブチームで唯一仲が良かった、4番バッターだ」
 ずっと会ってなかったけど、というおれの言葉に、影浦は目を伏せて手を握ってきた。長い睫毛の影が頬にできて、つい見とれてしまう。本当に、つくづく不思議だった。どうしてこんな男がおれを?
「お前は……お前にとって、おれは何なんだ」
 低い声だったが、内容の素直さに胸をうたれてしまった。あの影浦が。こんなことを言うなんて。
 嬉しくて浮かれてしまったのかもしれない。ついこんな言葉を口にしてしまった。
「……恋人じゃないのか?」
 ぱちりと目を開いた影浦が、顔を赤くして語気荒く言った。
「てめえ、厚かましいんだよ」
 そうだよな、今後悔してるよ。だから殴ってもいいか?
 そう言いたかったが、ぐっとこらえて背を向けた。羽毛布団にくるまり、深い息を吐く。
「おやすみ」
 寝ることにした。やっぱりこいつは王様だ。でも黙って跪くつもりはない。
 勝手に期待していい気分になっていた自分を責めながら目を閉じると、後ろから手が伸びてきて抱き寄せられた。
 体温が気持ち良くて、すぐに眠気がやってきた。だからそのあと、影浦が何を言ったのか覚えていない。たぶん、どうでもいいことだろう。

「……まあでも、そういうことにしといてやる。ありがたく思え。……だからおれの許可なく男とふたりで会うんじゃねえぞ」

 残念ながら、眠気で満ちていた頭では、この言葉の意味が理解できなかった。

終わり

(温泉の後ぐらいの話でした)