5 王子か王か恋人か(前編)

※影浦退職前の話です

 羽田がかねてから付き合っていた、遠距離恋愛の彼女と結婚することになった。

 離れている間に風俗、浮気、コンパの三連コンボを連発し、散々浮ついていた羽田がまさか、という気持ちで、おれだけじゃなく千歳も影浦も「マジか」という言葉が先に出た。おめでとうではなく。

「そこで、お願いがあります」
「嫌だ」
「まだ何もいってない!」
 結婚式→会社の同僚→お願い、とくればろくなものじゃないことは想像できる。たとえば「職場の先輩を代表してあいさつしてくれ」とか。友人代表挨拶はある種の名誉だが、会社の仲間ならおれではなく、上司の課長とか係長あたりにお願いすべきだろう。
「乾杯の挨拶だけでいいんで。なにせおれが新卒のころから可愛がってくださった大好きな先輩ですよ、スルーなんかできませんって。絶対お願いしたい、何かを」
「世話になったと思ってるなら何も頼んでくれるなよ……人前で話すのは得意じゃないんだ」
「またまたあ。営業ナンバー2のセリフじゃないですって、それ」
 押し問答を繰り返したあげく、おれは羽田の結婚式で「ひとこと」を献上することになってしまった。
「行くけど。お前結婚する前に性病治しとけよ」
冗談や嫌味ではない。何度も羽田本人から性病にかかったかもしれない、局部がとてもかゆい……といった主旨のことを、聞いてもいないのに聞かされたことがある。
「いやかかってねえし!!おれセーフセックスしかしませんから。いかなる相手ともゴム越しでしか愛し合いません!」
 いくら昼休みでも人の目がある。おれは眉をひそめて周囲を見渡した。羽田が女性社員から「ヤリチン性病野郎」といって嫌われても痛くもかゆくもないし事実だが、おれまで巻き込まれることは避けたい。
「会社の人間は席固めますんで、なにとぞ!影浦先輩もお願いします」
「おれは関係ないだろ……」
 影浦も、強引な後輩のお願いを結局断り切れずに招待状を受け取っていた。なにとぞ!なにとぞ!としつこく差し出されて付きまとわれるのがうっとうしかっただけなのかもしれないが。あの押しの強さ……立派に育ってくれたものだと感慨深い(営業として)。
 千歳は営業のなかでは最年少なので、結婚式に招待されるのはじめてだ、と嬉しそうな顔をしていて、少し可愛かった。

 つまらない礼服を着ていくことはおれが許さないぞ。
 そう宣言した影浦は例のごとく結婚式の前日におれを拉致し、特に何もすることなく朝を迎え(前日にセックスすると疲れて顔が浮腫むなどの理由で)、仕立てた美しいスーツでおれを飾り立てて遊んだ。
 最近思うのが、どうも影浦はおれを着せ替え人形にして楽しんでいるのでは?ということだ。はつさんいわく、「成田さまは背が高く、西洋人のように体に厚みがあり、あなた様ほどスーツが似合う方は日本人ではめずらしゅうございますよ」とのことで、アパレルマニアといっていい影浦にとって、おれに何かを着せたり脱がせたりすることが楽しみのひとつになっているらしい。
 自分の顔にさしたる興味はないが、目つきが悪いし、一重だし、流行りにのっていない、目立たない顔だと思う。この世の美しさをすべて抱きしめて生まれてきました!といった風情の影浦の顔とはくらべものにならないと思うが、ほっそりとした影浦からすると、おれのスポーツマン的体型が羨ましいのだろうか。
「身体を鍛えれば誰でもなれるぞ」
「何の話だ」
 ネクタイを選ぶのは影浦の役目だった。シャツの襟を立てて待機していると、影浦はフェンディのネクタイを選んできておれの首に結んだ。光沢のある、シルバーのタイだ。白を選ばないところにセンスを感じた。
「おれの身体が羨ましいのかと」
 影浦は鼻で笑ってから隣でシャツの襟をたてて、自分の首に持ってきたネクタイをひっかけた。シャンパンゴールドの、品のあるタイだ。白やシルバーじゃなくてもいいのだろうか、と思いつつ手を伸ばし、結び返してやると、はじめは驚いたような不意をつかれたような顔をした影浦が、気まずそうに目をそらした。
「なんだよ?」
「結ぶのはいいが、結ばれるのは慣れねえな」
 照れていたのか。
 そんな風にいわれると途端に恥ずかしくなって、覚えたばかりのセミウィンザーノットの形が少し悪くなってしまった。

 挙式と披露宴は、羽田夫妻の実家がある神奈川県で行われた。 つまり、俺の実家がある場所でもある。
 天気はよく晴れていた。結婚式日和と言っていい。
朝、新幹線で神奈川入りしたおれと影浦は、会場の更衣室で服を着替えた。ホテル内のチャペルで挙式を終え、披露宴でのあいさつもつつがなく終了して、そのまま二次会の会場へ移動する。美しい花嫁と、幸せそうな羽田をみていると、こちらまであたたかい気持ちになった。親しい人間の幸福は嬉しい。まさに「幸せのおすそわけ」とはこういうものなのだなと思った。
 二次会はホテルから少し離れた場所にある、洒落たダイニングバーを貸し切っていた。ビールサーバーを無意識にチェックすると、そこには『HOUOUラガー』の文字があり、思わず影浦と目を見合わせて笑った。羽田もすっかり会社に染まっている。
「見ろ、受付で立ち回っているのは新婦の友人だろうが、ハイヒールの女をあんなに歩かせるなんて信じられねえな。チェキなんか野郎側の友人が撮ればいいものを」
 この国にはまともな紳士がいやしねえ、と影浦が小声で毒づく。確かに受付に立っている新郎側の友人たちよりも、あきらかに新婦側の友人たちのほうがこまごまと働いているように見えたが、影浦の口から「紳士」という言葉が飛び出したことのほうが衝撃だった。
「自分は紳士だ、とでもいうつもりか?」
 耳元でささやき返して受付で名前を告げる。
「当たり前だ。おれほどの紳士はいないだろう?少なくともおれは、ハイヒールを履いている女を歩き回らせるような真似、したことがない」
 おれは鼻から息を出して、返事の代わりにした。
「紳士はSM嬢を調教したり、別れた婚約者に請われて寝たりするのか」
 影浦は眉をあげ、おれの耳元で息を吹き込むようにして言った。
「嫉妬してるみたいに聞こえるぞ。だいたい、それはお前とこうなる前のことだろう」
 こうなる、っていったい何だ?と問いたくなったがやめておいた。本当に嫉妬しているみたいに聞こえたら最悪だ。
 受付で名前をチェックするのは新郎側、羽田の友人らしき男ふたりだったが、ポラロイドカメラで写真を撮って「ひとことお願いします」と伝えてきたのは新婦側の女性たちだった。ふたりとも黒のドレスと高いハイヒールがぴしりと決まっていて、おれや千歳にやさしい笑顔を、影浦には感嘆のため息まじりの崇拝者のような笑顔をみせて、親切に案内してくれた。
「お席はあちらになります」
 名残惜しそうな彼女たちに影浦がいつもの笑み(ほとんどすべての女性を魅了する、特殊な能力をもった笑顔)をみせてから、先に席についた。後ろから溜息と一緒に「やばい」「なんかいい匂いがした」「イケメンは匂いまでイケメンだった」「独身かな?」「でも並んで歩くのキツイ」といった囁き声がきこえて、いつものことながら感心してしまった。
 第三者に対して、影浦のふるまいはいつも完璧だ。その対応を少しでも、おれにたいして向けたらどうなんだ?と一瞬考え、本当にあの対応をされたら、と想像すると寒気がした。常に『外面の影浦』になったとしたら、人間らしさがまるでなくなってしまう。

※※※

「パーティでの立ち回りに慣れていないんだろ。みんながおれたちみたいな仕事をしているわけじゃないんだ」
「自分で仕切りたくなってくる」
 席についてしばらくすると、千歳がやってきて影浦とは逆側のおれの隣に座った。
「なんの話ですか?」
「影浦が紳士かどうか、って話だけど、どう思う?」
 千歳は顔をそむけて吹き出した。影浦が隣で唸り声を上げている。
「何がおかしい?」
「だって……、成田先輩、紳士ってなんでしたっけ」
 黒くて濡れた、丸い目で見上げられるとおれは何でも話してしまう。
「グーグルにきいてみるか」
 千歳が愛くるしいとしかいえない顔で笑ったので、おれもつられて少し微笑んだ。
 不思議だ。恋愛沙汰があったのだからもう少し気まずくなるなり、距離を置くなりすべきなんだろうが、どうしても、千歳はかわいい。犬のように愛でてしまう。おれは犬も猫も同等に好きなのだ。頭を撫でたい衝動にかられたが、必死で我慢した。
 おれたちの席で一番上座にあたる場所には課長が座り、あとふたりは前の新宿支店にいる、羽田の同期が座っていた。二次会ということもあって、場の空気やBGMはくだけた雰囲気だった。
「なんていうか……目立ってますね」
 余興の合間に声をかけにきてくれた羽田が、苦笑しながら言った。
「図体がでかくて申し訳ないな」
「そうじゃなくて。影浦先輩も成田先輩も、目立つんですよ。それがふたりでいると、倍っていうか。もうあれです、完全に主役食ってます」
情けないへにゃりとした笑みで、羽田が言った。影浦はともかく、おれはそう目立つ人間ではないと思うが、とりあえず謝罪した。
「ごめん」
「いえ、まあいいんですけど。知らない人に声かけられても、ついていっちゃだめですよ」
「子どもか。いくわけないだろ」
 おれの否定に、羽田は眉を下げたまま「本当に気を付けてくださいよ?」と念を押した。しつこくて腹が立ったので、座ったまま羽田のスネを蹴ると、「いてえ!」と叫んでどこかへ走っていった。

 新郎新婦の高砂には常に人が集まっており、おれと影浦ははじめに写真をとりにいったり、声をかけにいったりしてからは彼らの友人たちに場所を譲って、ひたすら酒を呷っていた。ドリンクはカウンターに注文しにいく方式だったので、おれも影浦も、たびたび席を立っては知り合いに会って声をかけられ、気づけば1時間半が経過していた。
 影浦は常に女性に囲まれていた。いつもの外向けの笑顔で、如才ないやり取りをしているだけだったが、それを見ていると苛々してしまう自分が嫌だった。
 少し外の空気を吸いたくなって、ビールグラスを片手にテラスへ出てみた。窓の外はすっかり夜で、おれ以外にひとは見当たらず、椅子にかけられていたひざ掛けをのせてしばらくの間テラス席でビールを飲んだ。アルコールで少しぼんやりしていた頭が、冬の清潔な空気ではっきりしていく気がした。
 鼻先が冷たくなってきて、そろそろ戻ろうかと腰を浮かしかけたときだった。
「成田だよな。おれのこと覚えてる?」
 後ろから声をかけられて振り向くと、そこには懐かしい顔があった。
「二ツ町、か?」
 正解、といって笑った、日焼けした顔。おどろくほどあのころのままだ。
 肩をたたかれて、その視線の中に軽蔑が含まれていないか探したが、ほがらかで裏表のない笑顔にはおおよそ負の感情らしきものが見当たらなかった。
 二ツ町(ふたつまち)は中学のクラブチーム時代に唯一交流を持っていた4番打者だ。誰とでも仲良くできる、飄々とした話し方も、ひきしまった体形も変わっておらず、夏空のような笑顔もそのままだった。
「本当に成田か!懐かしいな。なんだか別人みたいだ」
「そうか?お前は変わってないぞ。なぜここに」
 二ツ町は招待状をポケットから取り出して見せてから、テラス席の向かい、おれの前に座った。
「新婦、嫁さんの大学の後輩なんだ。おれも登山部だったからさ、3人でよく山に登る」
 二ツ町はあまり酒が得意じゃないらしく、ほとんど残ったままのビールグラスをたまに舐めるようにちびちびと飲んでいた。
「野球は?」
「大学からやめた。草野球ならたまに。お前は?」
「おれも草野球なら。――ウーロン茶持ってきてやろうか、つらそうだぞ」
 再会して5分も経たないうちに突然爆弾を投下したのは二ツ町だった。
「周平の彼女妊娠させたのって、お前じゃなくて周平だろ?」
 とっさのことで、おれは顔を作ることができなかった。よほど分かりやすい顔をしていたのか、二ツ町は「やっぱりな」とため息をついてからおれの頭をはたいた。
「勝手に逃げてんじゃねえよ。あの頃はみんな騙されてたけど、おれは周平の本性知ってるから。ガキなんだよ、本質が。元から甘ったれた奴だったけど、成田も含めてまわりがちやほやしすぎてあいつはダメになった」
 きっぱり言い切った言葉はおれにも突き刺さった。核心を突いているとおもったからだ。
「地元の奴らも分かってるやつは分かってるから。気にせず帰って来いって。ごちゃごちゃ言うやつがいたらおれがぶっ飛ばしてやるからさ」
 兄貴肌という言葉がぴったりの二ツ町は、相変わらずこどものころのような汚れていない眼で、まっすぐおれを見ながらひとつ頷いた。
「こっちに居づらくて、東京やら関西やらに異動してんだろ」
「いや、それは違う。仕事だから」
 半分は本音だったが、聡い二ツ町は眉をしかめて言った。
「じゃあなんで電話番号変えたんだよ。おれ何回も連絡しようとしたぞ?」
「それは……悪かった。おれなんかとかかわりたくないかとおもって。かなり噂になってたしな。お前も付き合わないほうがいいだろ」
 ふたたび頭をはたかれて、おれは涙目になった。相当痛かった。
「バッカじゃねえのお前。そんなもんはおれが決めることだろうが。ったくこれだからボッチ気質のコミュ障野郎は。いい年して自己完結してんじゃねーよ。直接きけっつの」
 ポケットからスマホを取り出した二ツ町が「番号とLINE教えろ」といってスーツの胸のところにゴリゴリと押し付けてきた。強引で、やさしくて自分勝手。最近こんなやつばかりだな、と影浦のことを思いだしそうになって、なんとか顔を引き締めた。
 連絡先を交換してすぐ、二ツ町が嬉しそうに言った。
「今度のもう。美味くて安い店探しとくから」
 当時県内で誰もが一目おいていたスラッガーにこんな風に言われて、嬉しくならないわけはなかった。周平とは違った意味で、二ツ町はおれの憧れの存在だった。
「飲めないくせに。……まあ、飲むならHOUOUラガーのある店にしてくれ」
「了解。ウーロン茶飲むから安心しろ」
 ふと浮かんだ疑問を二ツ町にぶつけてみたくなった。
「でも、なぜ?お前友人山ほどいただろう。なんでおれのこと気にかけてくれたんだ?」
 二ツ町は首を傾げて「お前っておれにとって新しい人類だったんだよ」と笑った。
「新しい人類?」
「そ。成田イコール新人類。なぜかってーと、おれガキのころから野球やってたからさあ、仲間内からハブられてやめてくやつとか、チームになじめなくて出ていくやつとか、群れて誰かを排斥するバカ、山ほどみてきたんだよな」
 そこまで言ってから、二ツ町はおれが持ってきたウーロン茶で唇を湿らせた。
「だから、別段興味なかったり気が合わなくても、それなりにまわりの連中に合わせたり、仲良くしたり、仕切ったりする術をさ、身につけてきたわけ。そういうもんだと思って。別に友達なんかいらねえって思ってても、ひとりがいいやって思ってても、割り切って付き合ってきた。――そこに現れたのがお前だよ」
 お前はとにかく心が強かった、と二ツ町が笑った。
「ふつうそこまでされたら心が折れるだろ、ってぐらいチームメイトに無視されても全然折れなかったし、意にも介さないって感じだったろ。『お前らに興味はない、おれはおれ、お前はお前だ』ってな。あれがすげえ、おれにとって新しかったんだ。そっか友達って無理に作らなくてもいいんだ、仲間だからって仲良くしなくてもいいんだ、実力でねじふせるのもありなんだ、ってさ」
 ろくでもないことを教えてしまったような気もするが、当時中学生だった二ツ町にとってそれは革新的な考え方だった、という。
「成田先生、あれから生きるのが楽になりました!って感じ」
「自己啓発セミナーの講師じゃないぞ」
 二ツ町はおれの切り返しに吹き出して、しまいには腹をかかえて笑った。おれも自然と笑っていた。単に友達のいない孤独な人間じゃないか、とも思ったが、それが二ツ町にとって何らかの励みになっていたのなら、それでいい。
「だから、おれにとって成田は特別なんだ」
 この人たらしめ、と思いながら、おれも同意した。
「まあ、おれにとっても二ツ町は特別だったな。連絡が取れなくなって残念だった人間のひとりではある」
 遠回しだな!と笑ってから、二ツ町はおれの後ろをみたまま、「友達?」と問いかけてきた。振り返ると、すらりとした長身の美しい男――影浦が、冷たい笑みをたたえて、腰に手を当ててたっていた。
「特別なもの同士たたえ合っているところ申し訳ない。成田、明日早いんだろう。そろそろ出た方がいいんじゃないか」
 今日は土曜日で、明日は仕事の予定などない。反論しようとしたが、二ツ町が気を使って席を立った。
「ああ、悪い。同僚の方ですか?」
「ええ」
「じゃあ、おれはこれで。成田連絡しろよー」
 通り過ぎざま、二ツ町がおれの額を手のひらでビタンと叩いて去っていく。不機嫌なオーラをまき散らす影浦のほうを見ないようにして、冷えた身体をさすりながら室内へと移動した。