17 嫌なら食うな その2

 大晦日だというのにおれたちは仕事をしていた。東京から遠く離れた場所で。 

 

「おい、待て。まさかお前、このおれを屋台に連れて行くつもりなのか?」
 ロットを考えると、福岡の屋台群にクラフトビールを卸すことのメリットは少ないのだが、地方の名物と一緒に並べると知名度が上がる。SNSで拡散するからだ。それを見越して、儲けが少なくても卸すべきだと提案したところ、今回の出張が実現した。
「思ってたよりも取れたな」
 影浦の疑問を無視して、中洲一丁目の屋台通りをぶらぶらと歩く。クラフトビールとおでんや串焼きの組み合わせは、思っていたよりも手ごたえがあった。ラーメンはさすがにビールに合わせにくいので営業をかけなかったが。
「こんなクッソ寒い年末に、よくもまあ屋台なんかでメシを食うもんだ」
 憎々しげな悪態に振り返る。触っただけでめまいがしそうなほど上質なコートとストールの上にある小さい顔は、さほど寒そうに見えなかった。実は影浦も、真冬に外回りをするときはスラックスの中にレギンスを履くのだ。あのオシャレ重視の影浦も、寒さには勝てないらしい。そして暖かくて通気性のいい靴下と、今日も完璧な艶をみせているオックスフォード。それだけの身なりをしていて、寒いわけがない。
「オシャレ番長影浦も今日はスパッツを履いているだろ。寒くないはずだが」
「女性誌の読モのアオリか!誰がオシャレ番長だふざけるな。おれはいかないからな。屋台でメシなど……、生まれてから一度も食ったことがない!あんな衛生面に不安が残る飲食店で、それもこんなクソ寒い中でピラピラのビニールカーテンの中で食事などできるか」
 ポケットに手を突っ込んで溜息をつき、影浦の前まで戻る。
「どこか食事のアテがあるのか?こんな夜の遅くに」
 影浦は腕時計を眺め――(今日は営業に行くと分かっていたので、時計は控えめなオメガだった)、育ちを疑うほどあざやかな舌打ちをした。
「……、ルームサービスを取ってやるよ。それぐらいなんとかなる。早くホテルに戻るぞ」
 そういえばホテルはどこを予約したのだろう?おれが疑問を口にする前に影浦が先手を打って答えた。
「ウィズザスタイルのスウィート。三城はおれの趣味をよくわかっているからな。ここからもタクシーですぐだ」
 自分は影浦のように世界中の高級ホテルに明るい人間ではないので、高くてよい宿なのだろう、ぐらいの認識でひとつ頷く。携帯端末で検索すれば自分ひとりでも行けそうだった。
「先に帰ってろよ。おれは屋台でメシを食ってみたいんだ。せっかく福岡に来たんだしな。では代表、のちほどお会いしましょう」
 わざとらしく深々と頭を下げる。くるりと背を向けて屋台群の中を歩き出した。 

 

 夜の23時を過ぎているというのに、屋台の通りはにぎわっていて人影が減る気配はなかった。東京ほど地下鉄が発達しているようには見えないが、皆、終電がなくなったらどうするつもりなのだろう?タクシーだろうか。それとも代行でも頼むのか。
 ひときわにぎわっている屋台をみつけて、ビニールカーテンを開いて声をかけてみた。一人いけますか、と声をかけると、同い年ぐらいの男性が「あいよ、こちらへどうぞ」と案内をしてくれる。
 ひとまずビールを注文する。
 古巣のラガー瓶と、その上にひっかけられたグラスがどんとカウンターに置かれた。グラスをカウンターの上におき、古びた板一枚の不安定な長椅子に腰かけると、隣から手が伸びてきてビールがグラス内を満たした。
「誤解するなよ。店がどこも開いていなかったからやむを得ない処置だ。――失礼、ビールの追加をお願いします。あと……、何の店なんだここは?おでん?なるほど。じゃあ適当に盛り合わせで頼みます」
 相変わらず完璧な外面を店員に向けて、影浦が注文をした。隣に座っているカップルの女と、その奥にいるOLのふたり組の視点が、影浦の顔で止まってそのまま固定されてしまう。見慣れた光景だが、連れの男性が気の毒に思えた。影浦と比べられたら、他の男は誰でも人参かじゃがいもに見えてしまうのだ。
 店員の男も目を瞠って『どこかで見たことがあるなあ』という顔をしたが、一瞬のことだった。店内は忙しく、人手が足りておらず、イケメンの顔をゆっくり眺めて考える時間などなかった。彼は手際よく頼まれたおでんを出し、酒を出し、空になったグラスに気を配った。おれは黙ってビールを飲み、ときどき影浦に注いでやりながら、そのきびきびとした無駄のない動きに見とれていた。まったく見事なものだった。
「おれの勘違いだと悪いから教えてくれ。今おれが腰かけている、このみすぼらしい木の板は、新種の椅子か?それともおれが間違えて腰かけているだけで、本来的には足を置いて靴か何か磨かせる板なのか?」
 周囲に聞こえない、おれにだけ聞こえる絶妙のボリュームで、影浦が嫌味を言った。おれはカウンターに肘をつき、グラスを空にしてから隣を見た。横から見る影浦の鼻の形は、神様が寄ってたかって数百年議論してから設計したみたいに素晴らしい出来だった。だから許した。この厭味ったらしくて高慢ちきで、庶民感覚を持ち合わせていない俺様野郎を。
「これが椅子じゃないとしたらお前はスクワットをしたまま酒をのみ、メシを食うことになるが、その方がお好みなら避けてやろうか?この木の板を」
「グラグラしている……後ろに倒れて頭を売ったら誰が責任を取るんだ。それに狭い。足が窮屈でたまらねえ。この狭さで満足できるなんて、よほど背が低い人間だけだろうが。ああ、それになんなんだ、このメニューにある『牛すじ』ってのは。筋を食えってのか、金払ってわざわざ筋を?どういう発想なんだ?」
「ぶつぶつうるさいぞ。食ってから文句を言え。食わないなら帰れ」
 笑いそうだったが我慢した。こいつの悪態はときどきボヤキ漫才のように聞こえることがあって、そう思うともうダメだった。それに的を得てもいた。すじをわざわざ食べるなんて、お金持ちの人間にはない発想だろう。彼らはシャトーブリアンだのサーロインだの、This is 肉、そんなものばかり食べているのだ。
「いただきます」
 手を合わせてから、出された大根、牛筋、とうふ、サトイモ、豚足を眺める。湯気の出ているおでんは、色の濃い出汁の中で美味そうな匂いを放っていた。割りばしを割って、大根から口にいれた。――美味い。関東とも、関西とも味が違っていて、めちゃくちゃ美味い。
「いただきます…」
 育ちのいい影浦はしぶしぶそう口にしてから割りばしを割り、恐る恐るといった様子でサトイモを口に運ぶ。眉をよせた表情から、次第に柔らかい、笑顔に近い顔になる。
「美味いだろ?すみません、ビールおかわりください」
「……サトイモは認めてやってもいい。だが豚足、お前だけは未来永劫絶対に許可しない」
「かたくななやつめ。美味いぞ、豚足も。食ってみろよ」
「断る。豚の足なんて食い物じゃない」
 多方面から叱られそうな言説をのべて、影浦が首を振った。単なる好き嫌いだろうが。子どもか。
 食い入るような女性諸君の視線にも慣れてきたころ、カップルが携帯端末を手に「あと2分で年が明けるね」と嬉しそうに言った。腕時計を見る。23時58分だった。
「おでんはこういう味なんだな。知らなかった」
「知らないものが多いな。金持ちはおでんを食わないのか。料飲店でいくらでも出てくるだろ」
「屋台で食うのは初めてだ。味も東京とは違うしな」
 気に入ったのか、はじめに注文したおでんの半分以上を影浦が食べた。追加にたこ、ねぎ袋、牡蠣を注文する。
「明けましておめでとうございます」
 店員にそう声をかけられて、影浦と目を見合わせた。それから、お互いに少し笑った。思いもしない年越しだったからだ。この出張自体、他の用件と抱き合わせで急遽決まったものだった。
「新年もよろしく」
 おれの言葉に、影浦は貴族のように高慢に頷いた。
「ああ」
 短い挨拶だった。それにどこか憂鬱そうに見えた。年明けが嫌なのか、と尋ねると、影浦はグラスを空にしてから「年始の親戚周りと演奏会が嫌なんだよ。この歳で身内と弦楽四重奏なんざやってられるか。だがあの行事は姉が楽しみにしているから、飛ばすこともできない。毎年憂鬱で仕方ない」と弱音を吐いた。可愛かったので頭をなでると、舐めんじゃねえ、と振り払われたが。
「お会計を。仁、ここはおれが連れてきたから出すよ。先に出てろ」
「ああ?!んなわけあるか。てめえが先に出やがれ……おい、押すな、危ない…押すな、分かったから押すな」
 いうことを聴かない影浦をぐいぐい押すと、あきらめたように先に外に出た。影浦は奢るのが好きで、逆を極端に嫌うが、おれだっていつも奢ってもらうのは気を遣う。自分が誘ったときぐらい出させてほしかった。 

 

「ご馳走様、というべきところなのか、ここは」
「別にいい。――タクシーを……」
「もう呼んである」
 人通りの多い通りを抜け、道路沿いに立ってタクシーの姿を探す。時折車のヘッドライトがお互いを照らし、通り抜けていく。
 遠く離れたところから車が一台近づいてくるのが見えた。影浦はその車に完全に気を取られていたので、隣からコートの襟をつかんで無理やり振り向かせた。そしてその勢いのまま唇を重ねた。ほんの一瞬だけだ。すぐに離れてなんでもなかったように前を向いた。
「悠生」
「車が来たぞ」
 影浦が頭をかきむしった。そう、その困った顔が見たかった。それだけじゃない。見たことがない色々な顔が見たい。
 できれば、これから先もずっと。
「いきなりも悪くないだろ?」
 おれの言葉に、影浦は深いためいきをついて腕を組み、寝たふりをした。
 その顔は、さっきみた笑顔の次ぐらいに可愛かった。 

こちらは付き合ってからの影浦と成田です。イチャイチャしやがって……