16 嫌なら食うな その1

 影浦は店の前で立ち止まってこの上なく嫌そうな顔をした。おれは内心、「してやったり」と思った。

「なんでもいいんだろ?」
「……服に匂いが付くだろうが。ほかのものにしろ」
 影浦を連れてきたのは、『タコの足』というたこ焼きを自分たちで焼いて食べられる店だ。テーブルごとに鉄製の、業務用タコ焼き機が埋め込まれていて、自分たちで油を引き、生地を注いで焼くのである。
 おれたちは今、大阪の『ミナミ』と呼ばれる地域に立っていた。仕事の関係で大阪支店に寄ったついでに夜を食べて帰ろうという話になったので、ここ最近高まっていた「ソースもの食べたい欲」を満たそうと思いついたのだ。
 和歌山県にたこ焼き店は少ないため、滅多に食べることがない。神奈川にいたころも、有名なたこ焼チェーンは値段が高くてわざわざ食べることがなかった。――まあ、あちらは地代が高いので当然といえば当然なのだが。
 時折どうしてもタコ焼きが食べたくなることがあって、この店のうわさを聞いてからというもの、ずっと来たくて仕方がなかった。大阪は心斎橋にある、たこ焼とタコ料理で有名な店。最近は新橋にも支店ができたらしい。
 影浦は眉を寄せ、溜息をついてから言った。
「わかった。着替えてくるから先に入ってるか予約でもしとけ」
「ホテルを取ったのは新大阪だろ。この店は全員揃わないと入店できないんだ」
 まだ17時を過ぎたところなのに8人も店先に並んでいる。それもそのはずだ、駅から徒歩3分の好立地で、信じられないぐらい安い値段で飲み食いできるのだ。たこ焼8個400円。生地は味が選べる。出汁味、カレー味、普通味……ドリンクもサワーなら350円から飲めるのはありがたい。生ビールなんて300円である。メーカーに勤めているからわかるのだが、この値段だと正直にいってほとんど利益が出ていない。たぶんこれは『客寄せ』だ。ビールのみ薄利で人を呼び寄せて、ほかのメニューで利益を得ている。
 店先で言い合いをしていると、周囲の視線がおれと影浦に集まってきた。高級なスーツに身を包んでいる、立っているだけで目立つ美形男と、大柄で目つきの悪いおれが険悪な雰囲気で言い合っているのだから、衆目を集めるのも無理はなかった。
――このままではまずい。店の人間が出てきて追い払われるかもしれない。
「そこの商店街にユニクロがあるぞ」
 てっきり断って帰るのかと思ったが、影浦はおれをじろりと睨んでから舌打ちをした。
「これで不味かったらひどい目にあわせてやるからな」
 おれの耳元でそう囁いてから、商店街に向かって歩いていった。

 30分後、店の前にあらわれた影浦は「マーベル」と書かれたアメコミヒーローの白Tシャツとインディゴブルーのダメージデニムに、スエードのサボサンダル姿で嫌そうにタバコを咥えておれの隣に立った。蜘蛛男の絵が描かれたTシャツは意外なほどよく似合っていて、ラフな服装をしていると、モード系のファッションモデルのように見える。ようするにスタイルが良ければ、スーツであろうがTシャツであろうが、何を着てもオシャレに見えるということなんだろう。
「ユニクロにそんな服が売ってるのか?」
 店内に入ってすぐ、タコ焼き用の鉄板に油を塗りながら尋ねる。タバコの煙を天井に向かって吐き出してから、影浦が低い声で「そのすぐ近くにセレクトショップがあったからそっちで買った」と説明した。
「たこ焼きって年に数回食いたくなるんだよ」
 おれの言葉に、影浦は正面で鼻を鳴らした。相手にしていられないので無視して注文をすすめる。
 店のビールはHOUOUラガーだった。それは入店する前に確認していたので、影浦もおれも生ビールを注文した。店の中はぎっしりと人が入っており、タバコの煙と調理の煙でうすくぼやけていた。
「……ったことねえ」
 周囲の喧騒でよく聞こえなかったので、「なんだって?」と聞き返す。影浦は少し声を大きくして、「食ったことねえって言ってんだよ」と不機嫌そうな顔でタバコの火を消した。
「たこ焼きを?」
「ああ。わざわざ食おうと思わないだろ、主成分小麦粉だぞ」
 主成分の問題なのか?おれは少し笑いそうになった。だが笑うともっと機嫌が悪くなって面倒なので、とりあえずジョッキを片手に「乾杯」と宣言して勝手に飲んだ。
「主成分が何ならお気に召すんだ?」
 おれの嫌味に、影浦は両眉を上げて応戦した。
「食事は身体を創る基礎だからな。このおれにふさわしいものしか入れたくねえ」
 鉄板があたたまってきたが、たこ焼をつくる手順がまるで分らなかったので、とりあえずタコを入れてみた。
「そうか。ならサーロインばかり食って、生活習慣病にでもなればいいだろ」
「ラーメンばかり食ってるお前は糖尿病でも目指しているのか?お似合いだな」
 丸い穴の中でじゅうじゅうと焼かれるタコを、影浦は異質なものを見るような眼差しでみつめた。タコはみるみるうちにしぼんでいき、焦げて香ばしい匂いを放った。
「とりあえずこの液体……生地って書いてあるな。これをいれればいいらしい」
 影浦は腕を組み、一切手伝わないという意志を全身で示しているが、そうは問屋がおろさない。
「おい、手伝え。そのあたりに置いてある具を適当にこの丸いところに入れていけよ」
「断る。手が汚れるだろ」
「お手拭きがなんのために存在してるか知ってるか?いいから早く……焦げる」
 メニューの裏側に作り方が乗っていた。タコを一番初めに入れるのは間違っていたらしい。生地をいれてから具をいれていくことと、油を多めに塗ることがきれいに焼くコツ!と書いてある……今更だ。遅すぎる。
「……紅ショウガも入れるのか?」
 嫌がっていたわりには手際よくコーンやチーズ、餅をいれていく影浦に感心した。手先が器用で優雅だから、たとえ作っているのがたこ焼きでも絵になっている。美しい男は得なものだ。
「ネギもな。おい、右の列に入ってないぞ、ちゃんと入れろ」
「うるせえな、指図すんな。なんでたこ焼きなんか作らなきゃいけねえんだ……仕事でもねえのに」
 言い合いをしている間もたこ焼きは火が通っていく。ひっくり返すタイミングが分からなくて、ピック(で合ってるのか?)で裏返そうとするとこびりついてボロボロになってしまった。
 焼け焦げ、ボロボロになった小麦粉と具の成れの果てを眺めて呆然としていると、影浦が震える声で言った。
「このおぞましいものをおれに食えっていうのか……?」
 おれだって作ったことなんかない、と逆切れしたい気持ちをおさえながらビールを飲む。やはり自社ビールが一番美味い。
「あのー、焼きましょうか?」
 さすがに見かねたのか、若い女性店員がおずおずと申し出てくれた。すかさず影浦が例の笑顔(すべての女性を虜にするアレだ)で「構いませんか?お手数おかけして申し訳ないです。私も彼も経験がなくて」と言うと、彼女の顔はまるでトマトのように真っ赤になってしまった。
「まず、その、油を結構多めに塗るんです……。鉄製なのでくっつきやすいので、こう、多めに」
 説明している彼女の首は、影浦に固定されて全く動かなくなってしまった。それなのに見事な手さばきで、みるみるうちに生地の中に具が放り込まれ、くるりと裏返されていく。
「あと10分ほどくるくる回しながら焼いたら出来上がりです」
 ようやくこちらを向いてくれた女性におれが笑みを返すと、正面の影浦が驚いたような不思議な顔をした。
「ありがとうございます、助かりました」
 もう影浦の方は見ていないのに、彼女の頬はまた少し赤くなった。
「とんでもないです。また何か分からないことがあったら呼んでくださいね。食べるときは、ソースと鰹節、お好みによってマヨネーズや青のりをどうぞ。こちらに置いておきます」
 名残惜しそうに立ち去って行った彼女に頭を下げる。なぜか険悪な雰囲気になった影浦の皿に焼き上がったたこ焼きを入れてやると、乱暴な手つきでソースを塗ってから箸で半分に割っている。
 影浦が半分に割った理由が分かったのは、割らずに口の中に放り込んだ後のことだった。外はかりっとしていて中はとろとろ、とても美味しいたこ焼きなのだが、中の生地が地獄のように熱い。吐き出すわけにもいかないので涙を浮かべながら飲み干すと、目の前で影浦が顔を背けて笑っていた。
「熱い……舌がひりひりする」
 喉も痛い。水を飲んで冷やしたが、これは明日になると上あごの裏がぺろりとめくれてしまうパターンだ。
「子どもじゃねえんだから想像つくだろ。バーカ」
 ひとに悪態をついておいて、影浦自身はしつこくふーふーと息をふきかけてからようやく口に運んでいる。そんなに火傷したくないのか、もしくは……猫舌なのか?
 影浦が食べ物を息で冷ましているなんて、なかなか見られるものではない。これはおそらく、ファン垂涎ものの絵面だ。携帯で写真を撮ってファンクラブ会員に売ってやれば小遣い稼ぎになるかもしれない。
 どんなときでもゆっくり咀嚼して飲み込む影浦は、いつもどおり優雅な様子でたこ焼きを食し、口元をハンカチで拭った。
「…まあ、悪くねえな」
「美味いときは美味いでいいだろ」
 影浦は黙って手を上げ、自分とおれのビールを追加注文した。雑然とした店の中で、懸命に冷ましながらたこ焼きを食べる影浦をながめていると、なんだか楽しくなってきて、知らないうちに笑っていたらしい。
「なにがおかしい」
「……別に何もない」
「嘘をつくな。笑ってただろ」
 テーブルの下で足を蹴られて蹴り返す。青のりをかけようとすると「やめろ、好きじゃない」と抵抗されたので、マヨネーズをかけようとする影浦に同じように「やめろ、味が分からなくなるだろ」と抵抗してやった。マヨネーズをかけると全部マヨネーズ味になるのが嫌だ。ごはんにマヨネーズをかける奴なんて人間じゃないと思っている。鬼畜の所業だろアレは。
 2回目はさきほどの店員がやっていたとおりに焼けば大体うまくいった。今度はカレー粉の入った生地にして、出汁醤油をかけて食べた。不思議と自分たちで焼いたたこ焼きは特別美味く感じて、おれも影浦も完食した。
「ありがとうございましたー、またお越しくださいませ」
 午前中雨が降っていたせいか、外は風があって涼しかった。商店街の中は夜の8時を過ぎても人が多く、観光客が話す異国の言葉が飛び交っていた。
 店を出るまで会話らしい会話はなかったのに、不思議と心の奥があたたかいような、むずがゆいような、不思議な心地がした。もう少し酒が飲みたい、と思ったものの、影浦は別に飲み友達でも恋人でもないし、誘いづらくて黙って歩いた。影浦も同じように黙っていた。
 知らない街をふたりで歩きながら、おれは不意に、『影浦と別の出会い方をしていたら、いい友人になれたのだろうか』と考えて悲しくなった。今から『友人』になることはできそうにない。影浦とおれの関係には、0か100かどちらかしかない。借金の分、身体の関係を持って清算されたら――0、つまり『赤の他人』に戻るだけだ。その想像はたぶん正しいのに、胸の奥が重く沈んだ。
 先を歩いている影浦の、風にゆれている髪を後ろから眺める。じっと見ていたら、もしかすると振り返るかもしれない。おれは立ち止まって影浦の後ろ姿を見つめた。正しい歩き方で人込みをすり抜けていく影浦の後ろ姿は、振り返ることなくみるみるうちに遠ざかっていく。
 バカげたことを考えている。そう気づいて、頭を振ってから目をそらし、影浦を追った。

 もう背中を見るのはやめていたから、影浦が立ち止まってこちらを振り返っていたことに、おれは全く気付くことができなかった。


おわり。

『絶対的な関係』あたりの関係性を想定しています。
影浦と成田がごはんを食べに行く話でした。
エブリスタのスター特典にしている話です。