2.恋はおしゃれじゃない(前編)

 周平が寿司をごちそうしてくれた帰りのことだった。
「会社の野球部に所属してるんだけど、よかったら悠くんも参加しない?」
 その誘いにすぐこたえることができなかったのは、にわかに信じられなかったことが複数あったからだ。
「投げられるのか!?」
 思わず肩をつかんでしまって、周平は目をまるくしてから相好を崩した。
「あいかわらず、おれのファンしてくれてるんだねえ」
 ごめん、と謝って手を離す。周平は「ピッチャーは無理だから、内野手してる」とこたえた。
「本気で投げなければ投手もできるんだけど、マウンドに立つとだめなんだ。全力投球しちゃうから、三塁手してる」
「そうなのか……」
 都会の初夏は湿気がひどく、夜でも歩いているだけで汗がにじんでくる。おれは夏場でも長袖のシャツしか着ないので、今の季節は冬と変わらずシャツにネクタイを結んでいる。
「一杯やっていくか?」
 ずいぶん高い寿司をごちそうになってしまったし、もう少し話がしたくて、同じ通りにあった顧客のバーに誘った。周平は片眉を上げ、「またお客さんの店?もはや職業病だね」と言ってから「ごちになります!」と嬉しそうに店に入っていく。
 店に入ると『あなたのとりこ』が流れていて、かつて勤めていた会社のCMに起用されていたことを思いだし、つい鳳凰ラガーの生を注文してしまった。
「わかる。この曲きいたらビール飲みたくなるよねえ、おれも同じのでお願いします」
 さっきふたりで日本酒を大量に飲んだのだが、周平もおれも酒は底なしなのでまったく問題なくビールを呷った。
「さっきの話だけど、おれを誘ったのは?」
 客として通って一年以上たつので、何も言わなくても酒の肴はから揚げが出てくる。割りばしを割った音に周平が「まだ食べるの」と呆れた顔をした。
「ああ、うちの野球チーム、他社との交流に使う目的で、外部の人受け入れてるんだよね。他業種コミュニケーションの一環ってやつ。まあいろいろ実費は発生するけど、もしよければどうかな?投手がひとりだとキツそうだし、これはオフレコだけど、正直悠くんのほうがよっぽど投げられるとおもうんだよね……」
 やるからには勝ちたいし、とかつての負けず嫌いをにじませながら、周平がから揚げを口に含んだ。
「なにこれウマッ」
「だろ。このから揚げにうちのエールがよく合うんだ」
 そう、この店はから揚げと手作りのピクルスだけは最高に美味いのだ。食にうるさい影浦もそれは認めている。(あとはクソだ、豚に食わせろと言い切っているが……)ちなみに酒は全般的にレベルが高い。
「はいはい、飲めばいいんでしょ飲めば。すいません、あさなさなエールください」
「まいどあり」
 おれのつぶやきに、周平とマスターが同時に笑った。
「チーム加入の件だけど、少しだけ考えてもいいか」
 周平はにやりと笑ってからエールを受け取った。
「そうだね。そのほうがいいかも。恩人の影浦さんにこれ以上嫌われたくはないし」
「なんだそれは」
「ただでさえ忌み嫌われてるからね。おれと一緒に土日を過ごすことが増えるし……相談したほうがいいよ」
 影浦の名前をきいて、あの日のことを思いだして少し笑った。おれが「好きだ」と言った日のことだ。あのあと急な仕事が入りそのままドイツへ出張し、そのあと影浦がチェコに飛んだので、三週間以上すれ違ってまだ会っていない。
「おれのことを決めるのに、なんで影浦に相談しなきゃいけないんだ」
 会いたいか会いたくないか、と問われれば、まあ、会いたいわけだが。そういう問いではなかったので、思ったまま発言した。周平は大げさに首を振って溜息をついた。
「そういうところだよ~、悠くんがチームメイトと馴染めなかったのは~。変わってないねえ。おれより頭いいし仕事なら協調できるのに、なんで私生活だとそうなのさ」
「そうってなんだよ」
「クソ意地っ張り。素直さとか可愛げってものが皆無」
 言い切った周平の声に、マスターがフッと吹き出した。おれが視線をそちらに向けると、「失礼」と詫びを入れられて慌てて手を振った。
「こちらこそ、すみません。うちわのつまらない話で……」
「いえいえ。あの影浦さんにも言い返す成田さんが、翻弄されているのを見るのは楽しいですよ」
 彼はそういってにっこりしてから、グラスを磨く作業に戻った。マスターの発した『あの影浦』という言葉の意味を考えていると、周平が「とにかく、」と話を戻そうとする。
「ちゃんと、影浦さんに――」
「おれに何の用だ」
 突然真後ろで影浦の声がして、おれも周平も口を開けたまま振り返る。遅れてドアベルが鳴り、薄青の小さいペイズリー柄のシャツに、シックな濃いグリーンのネクタイを締めた影浦が、無表情でおれの隣に立った。
 ふわりと漂う香水で、ああ、本物の影浦だ、と思う。なにしろ「今すぐ影浦に会いたい」と思ってから三週間以上経っていたので、おどろきと喜びが同時に湧いてきた。
「久しぶりだな」
 どうやらおれは笑っていたらしい。
 影浦は眉間にしわをよせてじっとおれを見つめ、不機嫌そうに「ずいぶんご機嫌じゃねえか、ブラコン野郎」と吐き捨てた。周平と一緒にいるから機嫌がいいと思われたらしい。ひどい誤解だったが、まさか「思いがけずお前にあえたのが嬉しくて笑ったんだ」とは言えず、言葉に詰まった。
 マスターがこちらを向いた瞬間、いつもの美しい、業務用微笑を浮かべた影浦の横顔を、おれは感心と呆れ、半分半分で眺めた。影浦も自社のエールを注文し、受け取って半分ほど黙って飲んだ。その間、おれも周平も無言だった。周平は相変わらず口を開けたままだったので、おれはそっと手を伸ばして顎を閉じさせてやった。
 『ボラーレ』が流れていた店内は、次にオアシスの『Whatever』を流し始めた。グラスを置いた影浦が小声で「チッ、ユウヒビールのCMソングばっかり流すんじゃねえ」とつぶやいたのが面白く、おれは顔をそむけて拳で口元を覆った。いまや業務提携先だというのに、かつてのライバル心がなかなか抜けきらないらしい。
「あの、影浦さん。実はいま、うちの会社の野球チームに悠くんをヘッドハンティングしようとしてたんだ。その……どうかな?」
 周平は妙に緊張した顔でそう言った。黙ってこちらを向いた影浦は、カウンターに腕をのせ、もう片方の手で前髪をさっとかき上げた。大体この仕草をするときは、自分を落ち着かせようとしているか(つまり苛々している)、虚勢をはっているときだ。いい兆候ではない。
「保留だ」
 おれが反論しようとすると、すかさず影浦の右手がおれの口を覆った。
「むぐっ」
 まさか物理攻撃で反論を封じられるとは思わなかったので、おどろいて固まってしまった。何するんだこいつ。
「うう、かしこまりました。お返事はいつごろいただけそうでしょうか……」
 影浦に頭があがらない義弟は、しおしおとした表情で問いかけたが、影浦の答えは非情なものだった。
「検討した上で追って連絡する。帰れ」
 影浦の右手を引きはがして口を開こうとすると、周平は「わかった、とりあえず返事を待つよ」と両手のひらを顔の横あたりまで上げた。これは「降参」のポーズだ。
 呼び止める暇もなく、周平がおれに「ごちそうさま、また連絡するね」といって店を出ていく。それをひそめた眉で睨んでから、影浦はようやくおれの方を向いた。
「あいつと今日会うのは聞いてねえぞ。勝手に会うな」
 マスターが店の奥に引っ込んだのをいいことに、偉そうな物言いを隠さない。この言葉に、会いたかった気持ちよりも反発心のほうが勝ってしまった。おれはすかさず言い返す。
「周平のことを言ってるのか?弟と会うのになんでいちいちお前に報告しなきゃいけないんだ。必要ないだろ」
「ただの弟じゃねえくせに。あいつのこと考えながら何回抜いた?」
 これにはさすがにカチンときた。あまりにもデリカシーに欠けるし、今日一番ぐらいで腹が立つ言葉だった。だからおれは事実と異なる言葉でやり返すことにした。
「さあな。もう覚えてないぐらいやったけど、それが何だ」
 売り言葉に買い言葉で飛び出した嘘だったが、効果覿面だった。薄い色の眼をけわしく細めた影浦は、手のひらでカウンターを軽く叩いた。グラスが揺れて、慌ててすべてのグラスを両手のひらでおさえた。倒したりしたら大変だ。
「危ないだろ」
 声をひそめたまま注意して顔を上げると、影浦は顔を背け、黙った。なぜか後ろめたい気持ちがわいてきて、おれはしぶしぶ「嘘だよ。まあゼロではないけど」とあいまいに否定した。
「今はただの弟だ。昔よりも仲がいいのに不思議だな」
 ジャケットのポケットからタバコを取り出した影浦が口にくわえた瞬間、デュポンで火を点けてやる。目を伏せ、深く煙を吸い込んでから明後日の方向へ煙を吐く横顔はやはり疲れが隠せなかったが、物憂げな表情をしていると、顔立ちの美しさがより一層引き立った。
「おれにも一本くれないか」
 影浦は異国の、あまく柔らかい香りのするタバコを吸っている。ヘビースモーカーではないので身体からタバコのにおいがすることはないが、週に何度か吸うらしい。
 無言でソフトケースから一本だけ差し出され、ライターではなく、火のついた影浦のタバコから火をもらった。ちょうどBGMが懐かしい洋楽の数々から岡村靖幸の『愛はおしゃれじゃない』にかわって、リズムに合わせて煙を吐き出すと隣で影浦が苦笑した。ほとんど呆れ九割といった笑いではあったが。
 君にだけモテたい、というシンプルだがわりと真に迫った歌詞は、実際に「おしゃれじゃない」恋愛をしている自分にとって、共感できるものがあった。そう、こんな面倒な雰囲気になっている場合じゃないのだ。本当は今すぐ髪を引っ掴んでキスして服を脱がせ、「抱けよ」と言いたかったが、三週間以上もくすぶり続けた性欲と情熱は、燃え盛るキャンプファイアーではなく炭火のようにじくじくとしたものに変わっていて、単純に欲望だけで動くことができなかった。
「すみません」
 タバコの火を消し、マスターを呼んで、白州のオンザロックを注文する。ときおりもの言いたげな視線をよこす影浦を放置して、ボトルを入れ、半分ほどまでロックで飲んだ。ビールではいつまでたっても酔うことができないから、苦肉の策だった。
「成田、もうやめろ。いくらなんでも飲みすぎだろ」
 途中まで何もいわずに注いでくれた影浦が、五杯を超えたところでグラスに手のひらでフタをしてきた。先に日本酒を飲んでからこの店に入ったので、さすがに視界も頭のなかもふわふわしてくる。
 指がきれいだ。
 長くて美しい、苦労をしらない白い指。自分のものとは似ても似つかない。
 アルコールのせいで理性が遠くなっていたので、背をかがめてグラスの口を塞いでいる人差し指に唇をあててから甘く噛む。頭上で影浦が息を呑んだ気配がして、それからすぐにカウンターの中を確認した。マスターはこちらに背を向けて、別の客の対応をしていた。
 そこからの影浦の動きは迅速だった。さすが名前が「仁」なだけある。グラスを取り上げてカウンターの中にいるマスターに手渡し、会計を済ませ、おれに肩を貸して大通りまで出た。ここまで五分とかからなかった。タクシーに乗った瞬間に意識が遠のき、影浦が運転手に何か説明しているのを聴きながら、すっかり寝込んでしまった。

「重いんだよ、てめえは」
 やわらかい衝撃があって目を開けると、ジャケットを脱いだだけでまだネクタイもしたままの影浦が、おれの上にいた。
 シックな壁紙とまるでドラマに出てくるようなハイセンスな間接照明、それに絶妙な沈み込みの素晴らしいマットレス……ああ、ここは影浦の家の寝室だ。
「寝てたのか。悪いな、運んでもらって」
 影浦が都内に数件所有していた不動産のうち、手放さずに持っているのはここだけだ。和歌山のレジデンスよりは面積が狭いが、設備が整っている上に場所が都心のど真ん中なので、仕事をする上ではかなり便利だ。パーティや飲み会の後でもすぐ眠りにつくことができるから、最近は週の半分以上ここで過ごしている。
 といっても、三週間以上ぶりになるのだが。
 手を伸ばして影浦のネクタイを外そうとすると、「悠生」と名前を呼ばれ、手を握って止められた。
「なんでこのおれが、クソ狭いエコノミーで帰国したか分かるか?」
 何を問われているのか分からなかったので、おれは自分のベルトを外して服を脱ごうとする。圧し掛かられているせいで、うまくいかなくてイライラした。
「知るか。手を離せ」
 不機嫌になってきたおれを上回る険しい顔で、影浦が言った。
「一番早く帰ってこられるフライトはそれしか席が空いてなかったんだよ」
 眠くて言葉の裏に隠された意味が理解できなかった。おれは仰向けに寝転がったまま首をかしげた。次第にまぶたが重くなってくる。多分もう日付が変わるはずだ。眠くて当然だった。
「いいか、おれだぞ?このおれともあろうものが、あんなクソ狭い……すし詰めの座席で、せっかく飲んだチェコの美味いビールの余韻すら味わえずに帰ってきた理由がだ。早く帰りたかったから。何故だか分かるか……おい、寝るな。ちゃんと聞け」
 頬を手の甲でぺちぺちと叩いて起こされる。
「なんなんだよ。セックスしないなら寝かせてくれ。久しぶりにやりまくろうと思ったのに、やる気がないなら帰れ」
「ここはおれの家だ!はしたないことを言うな、もっと…アレだ、三週間前にお前が言った……言うべきことが!ほかにあるだろ」
「言いたいことか。ヤりたい。今すぐおれを抱け。抱かないなら寝かせろ」
 酔っぱらっているせいで言葉を選ぶことができない。
 ストレートな誘い文句に驚いたのか、影浦は目を見開き口をぱくぱくさせて顔を赤くした。これが、ベルトで首を絞めたり玄関でヤッたり避妊をいつもお断りして中出しする男の反応か?照れるところがおかしい。
「仁、――たまってるだろ?」
 本当に三週間以上もの間、おれ以外と寝ていないかどうか疑問だったが、ふれてみてわかった。
 枕に頭をのせてねそべっているおれを膝立ちで跨いでいる影浦は、おれの足が股間に触れた瞬間に押し黙った。スラックス越しに足の指ですでに硬くなっているそこを撫でると、眉をしかめて足首を掴まれた。
「我慢しなくていいから、好きにしてくれ」
 苦い顔を近づけてきた影浦に向かって舌を出す。舌を突き出して先を触れ合わせてきた影浦は、しばらくの間思案するような表情でゆるいキスを繰り返した。物足りなくて、首に腕を回してぎゅうと抱き寄せる。やわらかい髪に指をすべらせると、苦しげな表情で影浦が溜息をついた。苦悩と欲望がせめぎ合っているかのような、色気のある表情だった。
 本腰をいれたキスに高揚してくると、影浦の手がもどかしそうにおれのシャツのボタンを外していく。乱暴に脱がされたスラックスとボクサーパンツはベッドの横に落ちて脱いだままの形で転がり、前をはだけさせられたシャツは二の腕のあたりでひっかかったまま、胸の先に歯を立てられた。どうせなら靴下も脱がせてほしかったが、そこまでの余裕がないらしい。胸の先を強く吸ったり抓んだりした影浦は、性急に下腹へ顔を移動させ、おれの方を見ながら局部を手のひらでゆっくり扱いた。ときおり先端を舌で舐められ、焦らすようにキスを落とされる。中途半端に吸われながら竿を扱かれ、直接的な快楽に腰が揺れた。影浦の指や唇や舌が触れる場所は、どこもかしこも気持ちがよかった。おれの身体のことなのに、影浦のほうが知っているのでは、と思うほど的確で過剰な愛撫を施され、我慢しようとしても、掠れた声が漏れてしまう。
「仁、……っ、あ、おれも、舐めたい」
 酔っているので恥も外聞もない。おれの要望に対して、影浦は首をかしげて少しだけ笑った。酷薄な笑みだったが、端整な顔立ちに良く似合っていて見惚れてしまった。
「あとでな。それにしても、お前のこれはいつ見ても立派だな、これから先、一生誰にも挿れずに任期を終えるなんてもったいないんじゃないか?」
 いきりたったおれのものを巧みに擦り上げながら、影浦が目を細めた。腰から下がしびれるように気持ちがよくて、脱げかけたシャツと靴下だけ、という自分の姿から目をそらしたまま、大きく足をひらいた。
「なら…別の誰かに使っていいのか」
 影浦がそこから口を離して、唾液が糸を引いた。うすい唇は桃色をしていて、にじんだ汗が浮かんでいる頬はおなじように紅潮している。
「女なんか抱けねえだろ。おまえは、こっちが好きだから」 
 そう言って、手のひらで腹をぐっと押された。影浦のものが入ってきたとき、ちょうどあのあたりまでいっぱいに埋め込まれることを思いだし、おれはそっと喉を鳴らした。
 胸や腹、それに太ももにあたためたオイルが垂らされる。この匂いと影浦の香水が混じり合うと、まるで媚薬のように頭の芯がしびれ、興奮するのだ。
 おれの硬く反り返ったものから手を離すと、オイルで濡れた指はわざと奥の場所をさけるように、わき腹を、腹筋の上を、乳首の周りを撫でていく。触れるか触れないか程度の、ごく繊細なタッチで全身を撫でまわされ、我慢できなくなって自分のものに手を伸ばしそうになると、そのたびに影浦の手が伸びてきて枕の横へと移動させられた。万歳をしているような姿勢のまま献身的で執拗な愛撫を受け、次第に声がすすり泣くようなものに変わっていく。欲しい。影浦のものを深くはめてほしい。そして頭がおかしくなるぐらい、中を存分に擦って広げてほしい。
 肉体関係を持ったばかりのころに比べると、影浦の愛撫はやさしく丁寧なものに変わった。むしろ、抱きしめたまま寝たり、膝の上に頭をのせてくることが増えてきて、どちらかというとセックスが好きなおれは、ここのところ少々物足りない思いをしていた。
「言えよ、悠生。おれのことが好きなんだろう?」
 口調は傲慢なのに、ひどく切実な表情で影浦が言った。
「だから、おれに抱かれるのが気持ちいいんだろ……、なあ、言えって」
 答えを返そうとしたとき指が中に入ってきて、濡れた音をたてて少しずつ穴の入り口を広げていく。
「あっ!ああ、……仁、いい。きもちいい」
 ほしい。お前のものをいれてくれ。
 そう哀願しても、影浦は真剣な顔で正面からおれを見据え、動こうとしない。指だけがおれの中をかきまぜて、とろとろに溶かしていく。
 両膝の裏を持って大きく足を広げられ、「自分で持てよ」と命令された。興奮で先走りを垂らした自分の性器から、ひたひたと腹筋の上にしずくが落ちる。自分の足の間から、影浦の、切なそうな顔が近づいてくる。性器の裏、陰嚢と穴の間を何度も舐められ、汗で滑る自分の足を手放しそうになるたびに内腿を平手で打たれた。
「あ、なか、もういいから…!仁、はやく」
 酔いと興奮で、呂律がまわらなくなってくる。頭を振ると汗が飛び散り、まだ挿入もされてないのに全身が汗でしっとりと濡れていることに気づく。
 足を開いたまま自分の指で穴をひらいて強請ると、影浦から怒りにも似た、不穏な空気が噴出されたのが分かった。ほとんど裸のおれとは対照的に、ジャケットだけを脱いだ影浦が、カチャカチャとベルトを外す音がする。
 くそ、と悪態がきこえてからすぐ、極限まで腫れて硬くなった影浦のものが、ゆっくり中に入ってきた。電気も消さず、服も脱がないまま挿入されているのに、それだけでおれは身体をふるわせて達してしまった。
「あ、あ、イク……!」
 中が締まったのか、影浦はこらえるように顔をしかめた。
「く……悠生、お前の中は狭すぎる。久しぶりだからか?自分で穴まで広げて……この淫乱が。お前のいう「好き」なんてあてにならねえな。お前が好きなのは、これだろ?」
 数センチ先にある苦しそうな顔は普段のエレガントな様子など伺えないほどに野蛮な欲情を目に宿していた。中をぐりぐりと抉られて、背中が反り返る。顎を上げ、声にならない悲鳴のようなものを漏らすと、その喉に容赦なく噛みつかれた。セックスというよりも、動物の交尾のようだと思った。それは性欲と征服と繁殖の行為だ。繁殖には適していないから単なる性欲の行く末にすぎないが、理由も意味もない単なる性欲の行為だからこそ、とてつもなくいやらしい。言い訳も理由付けもできない、単なるセックス。これほど単純で言い逃れできないものはない。
 激しく抜き差しされて叫びそうになったが、自分の声なんかききたくない。声をおさえるかわりに、すぐ近くにある影浦にキスをねだると、覆いかぶさり、呼吸すら奪うように激しく口づけられた。舌がからめとられ、唇を噛まれ吸われて、顔を背けて呼吸をしようとしても容赦がなく、快感と比例してどんどん身体が熱くなっていく。
 直接肌にさわりたくて、シャツをひっぱる。意図をくんだ影浦が、シャツやスラックスを脱いで裸になって重なってくる。
 爆発寸前の星のようだ、と思った。熱くて熱くて、めまいがして、まぶたの裏が白くなるほど気持ちいい。身体から火がでて燃えてなくなりそうだ。
 キスをしたまま足を影浦の腰に絡め、背中にすがりつく。何度引っ掻いてもすぐに治るうつくしい背中は、指がすべるほど汗をかいていた。
「んんっ、ん、もういく、いきたい、仁っ」
 背中にまわしていた両手で、気持ちよさそうに、苦しそうに腰を振っている影浦の頬を包んだ。額に張り付いた髪を後ろになでつけ、横の髪を耳にかけて、顔がよく見えるようにすると、悔しさと気持ち良さが入り混じった、最高の表情で影浦がおれの名前を呼んだ。
「悠生」

 おれの男。
 この美しく傲慢な男は、おれの男だ。

 決して口に出さない愉悦がこみあげてきて、じっと目をみつめた。長い睫毛にふちどられた優しい目元は、興奮で赤く染まり、鼻梁の下にある完璧な唇は興奮でうすく開いていた。
「――てると、言え」
 荒い呼吸のせいでうまくききとれない。おれが何も言わずに身体を震わせて達すると、唇を噛んで絶頂を堪えた影浦から、汗がぽたぽたと落ちてきた。
「おれを愛していると言え」
 耳元でそう囁かれて、顔をそらす。顎をつかまれ、キスをしながら激しく中を突かれた。
「言えよ」
 達したばかりのはずなのに、何も出さずに中イキしてしまった。ドライオーガズムは影浦に仕込まれたもので、射精する絶頂よりも何倍も長くて鋭い快楽が全身を包んだ。
 首を振る。汗が飛び散って、影浦の舌がそれを丁寧になめとっていく。首筋を、鎖骨を舐められ、耳介を噛まれて、まるで溺れかけの人間のように影浦にしがみついた。
「ああ、くそ。いく……中に」
 何度か影浦の身体が震えて、中に注がれたのが分かる。塞いでいた影浦のものが出ていってしばらくすると、信じられないほど大量に注がれた精液が、ドロドロと太ももを伝い落ちてシーツに沁みを作った。
 影浦はしばらくのあいだ、後ろからおれを抱きしめたまま、呼吸を整えていた。こうこうとした明かりの中であられもない姿をさらしてしまったことを思いだして顔を覆いたくなったころ、ふたたびその手が不埒な動きをはじめた。
「言わぬなら、言うまで抱こう、バカ成田 ってな」
 こんなときなのに笑ってしまった。溜息まじりにおれは言った。
「だから、ときどきでてくるホトトギスのくだりは一体なんなんだ。やめろ」
 影浦は吐息だけで笑ってから、腰の下に手をいれて四つん這いの姿勢を取らせた。ああ、次は後ろから、けだものみたいに抱かれるのか。想像しただけで、くたくただった身体に興奮が走って、甘い声がもれそうになる。
「幸い明日は休みだ。丸一日ヤれば、いくらスケベなお前でも満足するだろ」
 左手でおれの肩をつかみ、もう片方で自身を掴んだまま、後ろから影浦が入ってくる。オイルと精液でぬれそぼったそこは簡単に性器を受け入れ、ぐちゅぐちゅと濡れた音をさせながら中を安易にひらいた。根本までいれてから、腕のところでひっかかっていたシャツを手錠の代わりにして引っ張り、ぬるぬると出し入れされた。
「あっ、いい、きもちいい、仁…!」
 次第に強く、激しく腰が打ち付けられ、ベッドが揺れる。上質なマットレスは上品な音できしみ、影浦とおれの体重をやわらかく受け止めて包み込む。手をついていられなくなって、腰だけを突き上げたまま上半身を横たわらせると、太ももを下品に開かせた影浦が、「犬みたいに犯してやるから、ちゃんと両腕をつけ」といって尻を何度も打った。
 わざとゆっくり動いたり、引き抜いて素股に変えて焦らしながら、影浦は何度も同じ言葉を口にした。「愛していると言え」「好きだと言え」「ちゃんと直接、おれに向かって言え」と何度も何度も命令した。おれは次第にそれが、影浦が愛を乞う言葉に聞こえてきて、愛おしくてたまらなくなった。よほど言ってやろうかと思ったけれど、今言うとセックスの快楽に負けて言わされたようになってしまう。それはおれの本意じゃなかった。
「あ、またいくっ、もう、もう抜いてくれ…、お、おかしくなる」
「悠生……!!」
 今度は後ろから、たっぷり中に注がれる。同時に達することなんて滅多にないので、お互いに感応し合ってめちゃくちゃに感じてしまった。
「もう一回……」
 中に出され、腹に出され、顔にかけられ、全身が体液まみれになるほど激しく抱かれているのに、まだ足りなかった。たぶんそれは影浦も同じで、日付が変わり、空が明るんできても、少し休んでは体を重ね続けた。丸くなってくっついて短い眠りを取り、目が覚めるとまたどちらともなく相手に手を伸ばす。どこを触られても気持ちがよく、影浦の全身を触り、舐め、その匂いと味を味わった。影浦の香水はおれにとって麻薬のようなものだった。あの匂いをかぐと、おれの体のどこかに隠されている淫蕩のスイッチが押されて、なんでもしてしまう。何をされても受け入れ、快楽に結び付けてしまう。
「上に乗れ」
 愛している、と言えばどんな顔をするんだろう。今こうして見下ろしている欲情に満ちたいやらしい顔よりも、いい顔をするのだろうか。
「ん、ん……」
「いやらしい身体だな。本当におれとしか寝てないのか?」
 騎乗位で腰を動かしていると、指が伸びてきて胸をまさぐり、先端をひっかいたり抓んだりしてから腰を掴まれた。持ち上げては激しく突きこむ動きに身もだえし、目尻から涙が落ちる。身体のいたるところがぐずぐずに溶けだして、境目がなくなっていく感覚に震えた。
「お前としか、してない……こんな、こと」
 シャツも脱げて、もはや靴下しか履いてない。間抜けな姿で腰を振るおれを、影浦は焼け付くみたいな目でみつめてくる。視線でも犯されている気がした。手のひらや性器だけじゃなく、影浦は目でもおれを犯す。それがたまらなくよかった。
「どうしておれとセックスするんだ?」
 誰でもいいのか。それとも、おれだからしたいのか。
 影浦は逃げ道をなくすように問いかけてくる。腹が立って、でも気持ちがよくて、おれは喘ぎ交じりに叫んだ。
「そんなこともわからないのか。もう黙ってろ、バカ!」
 いく。それだけつぶやくと、おれは好き勝手に影浦の上で動いた。中を締め上げ、自分の気持ちいい場所にしつこく擦り当てる。
「なっ……、あ、おい、うっ、…まて、悠生」
 たちまちやってきた絶頂の渦に、顎を反らして声もなく身をゆだねた。窓の外から朝日が差し込んできておれの身体を照らす。
 影浦が熱に浮かされたような眼差しで、舐めるようにおれを見た。それから眉をひそめ、中に一滴も残さず射精してから、
「お前の美しい身体を知っているのは、おれだけでいい」
 と呟いた。