8 (一保)

 本当は正しくないのかもしれない。
 時間を超えて過去に戻り、未来を改変した。それを誰かに話すことでどんな影響が出るのか、考えるべきだった、といわれればその通りだと思う。
 でもおれは、成一に話したかった。誰でもよかった訳じゃない。ほかならぬ成一に、全部きいて欲しかった。それによって何かの見返りや慰めを期待していたわけじゃなく、知っていてほしいと思った。
 なっちゃんに話したよりも詳細に、いままでのことを時間軸で整理して成一に伝えた。言葉だけではうまくいかなかったので、ノートを持ち出し、汚い字で年表まで書いて説明した。はじめは訝しんでいた成一も、あまりにも記憶や説明がはっきりしているからか、次第に真剣な顔で聞き入り、わからないところがあると質問を挟んできた。話が成一とおれの関係に至ると、濁したり、ぼかしたりするのを許さないというように、すべて詳細に白状させられた。つまり、おれたちがかつて恋愛関係にあった、ということまで、全部。
 どんな顔できいているのか怖くてうつむきがちになりながら、話し終える。時計を見れば、夜中の1時をすぎていた。
「つまり、最近一保さんが会ったっていうヴァイオリニストの綿谷いつかは、弟さんの生まれ変わりだっていうこと?」
 成一はおれを安心させるためか、穏やかな声で言った。
「わからない。そうかもしれないな、と思ったけど、確認する方法なんてないし。仮にそうだとしても、おれにとって弟は……航太郎、ひとりだけだから」
 回避できないはずだった、おれの「死」という運命を航太郎が変えてくれた日にすべてがはじまった。航太郎が庭の木の根本に埋めたノートがおれの未来と能力を教えてくれたのだ。
 もともとひとつの存在として生まれるはずだった、おれと双子の航太郎。両親すら忘れ去った弟の存在を、おれはいままで一日たりとも忘れたことはないし、これからも、忘れることはないだろう。いつか寿命を迎えてあの世に行ってようやく、航太郎と一緒に海で遊べる。そう思えば、不思議と死ぬことが怖くなかった。
「千葉さんのこと、愛してたんだね」
 静かな眼だった。おれは口を開き、一度だけ頷いた。
「うまくいかなかったけど、……その理由が分かったのは、成一に会ってからだよ。おれは自分のことが好きじゃなかったんだ。自分を大切にすることができなかった。でもおまえに会って」
 俯いた後頭部のあたりに視線を感じる。そのままベッドのふちを眺めていると、顔を上げて、というように、やさしく頬をなでられた。
「いまみたいに、失恋して落ち込んでる成一に会って、一緒に時間を過ごして…、はじめてだった。あんなに穏やかで、満たされた毎日を送ったのは」
 指をつかんで絡めると、成一の眼の底が鈍く光った。やさしげなかたちをした成一の眼が閉じられ、おれの手に頬を寄せてくる。泣きたくなるような仕草だった。
「あなたはさっき、勇気という言葉はおそろしいものだって言ったよね。血路を開くということと同じだと……。きいたときは、意味が分からなかったんだ」
 明るい色をした眼は、暗闇の中でもよく見えた。
 頬を撫でる指が、そのまま髪にふれる。やさしい仕草に、そんな場合じゃないのにどうしても心臓がどきどきした。
「今分かったよ。あなたはひとりで戦って来たんだ。たったひとりで。何の保証もない未来のために、勇気を振り絞って、何度も何度も傷ついて来たんだね」
「怖くなかったんだ。おまえがいてくれたから。おれに勇気があるっていうなら、それは、成一に会えたから、また会いたかったからだよ」
 目を見開き、とっさに言葉を返す。
 腕が延びてきて、抱きしめられた。
「うん。会いに来てくれて、ありがとう」
 ああ、とため息が出た。ーーついでに涙も。
 今、このまま命がつきてしまってもいいと思った。
 成一に抱きしめられ、認めてもらえて、ずっと力の入っていた肩がふっと軽くなったようだった。そのせいか、涙が次から次に出てきて止まらなかった。こどもに返ったみたいに、おれは声を殺して、成一の肩に顔を埋めて泣いた。無駄じゃなかったんだ、と思った。千葉に愛され、千葉を愛し、千葉を失い、やり直し続けたことも、うまくいかずに殺されかけたり心中を強要されたりしたことも、全部、今につながっているのだと思った。
「……っ、おれ、ずっとおまえのこと探してたんだぞ。でも、急に会いに行っていいか、分かんなくて。だってさ、六人部さんのこと好きだったことも含めて、星野成一だろ?」
 しゃくりあげているせいでうまく話せない。成一の手がおれの背中をとんとんと叩いてくれて、それはまるで子供をあやしているみたいで少ししゃくにさわったのだが、気持ちがいいのでよしとした。
「結局、三嶋先生とくっつけてしまったなあ」
 のんびりした声に、おれは泣きながら笑った。なんてお人好しだ。このお人好しは死んでも直らないだろう。
「バカ、ヘタレ、根性なしめ。奪っちまえばよかったのに」
 半分は本音で、半分は嘘だ。成一が本当にそうなりたいと願っていたなら、それを応援したい気持ちもある。でもおれの身勝手な部分は、「やっぱりおまえが欲しいんだ」と思っている。奪える隙があったとしても、そうしないのがやっぱり星野成一なのだ。そして成一のそんなところが、おれは心底好きなのだ。
「いいんだ。おれがいま好きなのは一保さんだから」
 泣いたせいで鼻水が出たので、成一に抱きついたままティッシュをとって鼻をかんでいたら、成一があきれたように笑った。
「チーンじゃなくて。ねえ、ちゃんときいてた?」
 盛大にむせてからまじまじと成一をみると、彼はおれをみて吹き出した。
「鼻まっか。こどもみたい」
「待て!!やり直そうぜ!!」
 たぶん顔もまっかだと思う。成一のえりくびを掴んで揺さぶると、彼は「ええ~、そんな何度もやだよ」と抗議した。
 おれはあぐらをかいて座っている成一の上に座って、尖らせている唇にキスをした。
「うそ。ちゃんときいてたよ」
 目がこぼれ落ちちゃうんじゃないか、ってぐらい目をみはった成一が、おれをじっと見た。だから、見つめ返して言ってやった。
「いろいろ考えて、遠回りしたけどもうやめだ。成一のことが好きだ。おれと一緒にいてくれ」
 へっくち!と成一がくしゃみをしたので、今度はおれが笑う番だった。
「ごめん、びっくりしたらくしゃみ出てきた……あああ……ダサい……へっくち」
 おもしろくて我慢できずに、おれは顔をそむけて笑った。
 あのころもそうだった。成一といると、おれはいつも笑っていた。くだらない話をしては笑い、美味いものを一緒に食べては笑い、とにかく何をしていても何もしていなくても楽しかった。
「泣くなよ」
「だってうれしくて」
「さて、思いを確かめあったことだし、セックスでもするか?」
「ここじゃちょっと……って分かってて誘ってるね!?性悪!」
 おれが勢いよく抱きつくと、成一は後ろに倒れてしまう。短くてやわらかい、茶色い髪、犬のようなやさしげな琥珀色の眼、そばかすの浮かんだ鼻梁、口角のあがったくちびる。
「ほんと、好きなんだよ。成一がおれを好きな気持ちを百だとしたら、おれは1万ぐらい好きなの。分かってる?」
 押し倒したままキスすると、困ったような情けないような変な顔をした。
「いや、一保さんが1万だとしたらおれは53万だから」
「戦闘力か?そうだな?じゃあおれはその100倍だーーーッ」
「界王拳じゃないんだから100倍とかないの、ていうかマンガから離れてくれる、一保さんがドラゴンボール大好きなのは分かったから」
 抱き合ったまま成一のために敷いた布団の上をころころ転がる。成一が上になったとき、手のひらが延びてきて、そっと顔にかかる髪を払われた。
「あなたのかっこいい顔も、こどもみたいなところも、時々とんでもなく意固地になるところも。全部好きだよ」
 きゅっと眼を細めて笑う。ずるい。まったくもってずるい。成一にこの顔をされると、おれは何をされてもいいと思ってしまうし、何でもしてあげたいと思ってしまう。体の中がじんとする。こういうのを「濡れる」っていうんだろうな。おれの体は残念なことに同性とのセックスに向いていないから自然と濡れて受け入れやすくなることはないので、今ばかりはうらやましいと思ってしまった。男と女はうまくできている。濡れた穴と硬くなる外付けの内蔵。入念にほぐして広げて準備なんかしなくても、すんなりと入る器官。柔らかい胸。命をつなげていく生殖機能。全部おれは持っていない。全部だ。
 不意にズキンとした痛みを感じる。おれはいい。でも成一から、それらを奪いつづけることなんてできるのか。そんな権利あるのか。
「いまよけいなこと考えたでしょ」
「なんで分かったんだ……」
「すぐ顔にでるから」
 好きなだけじゃいけないの?と成一が言った。のし掛かってきた彼の重みが心地よく、眼を閉じて背中に腕を回す。あたたかい。鼓動の音がする。
 好きだ。だから一緒にいたい、それだけ。
 今はそれでいい。
 いつか、好きなだけではどうにもならない時がくるだろう。そのときが来たら、ひとりで考えるんじゃなくて、ふたりで考えたらいい。結果的には別々の道を選ぶかもしれないし、一生一緒にいられるかもしれない、未来のことなんて、誰にも分からない。
「大事にするから、一緒にいて」
 思い切り息を吸い込む。成一の広くなった胸板から彼の匂いがした。清潔で、甘い香り。ずっとかいでいたくなる香り。どうしてこんなに長い間離ればなれでいられたんだろう、この抱擁の気持ちよさを知っていたのに。
「うん」
 涙腺が壊れたかもしれない。航太郎が死んだときに決めた「泣かない」という誓いが紙切れのように吹き飛んでいく。
 ごめん、航太郎。いまだけ。いまだけ許して欲しい。
 心の中で手を合わせながら、体が溶けそうな気持ちのいいハグを味わう。背中を撫でたり、くすぐったり、鼻息を髪の中に吹き込んだり。成一の体をさわっていると、そうだ、こんな温度で、こんな形だったな、と思い出した。セックスもしたのに、(そして確かに気持ちよかったのに)、再会してから今がはじめて本当に抱き合っているみたいだった。
「おやすみ、また明日」
 心地よい体温のせいで、目覚ましのセットも忘れて寝入ってしまって、起きたらふたりとも大慌てで支度をするハメになった。 

*** 

 休みのたびに、成一と体力の限界まで遊んだ。
 ときには休暇を合わせるために、先輩や上司に無理を言ったりもした。
 上司は物言いたげな顔をしたけれども何も言わなかった。他の隊員は囃し立てたり、からかったりしたものの、概ね協力的だった。
 仕事に影響は出ていなかったし(むしろ、やる気満々になって仕事にも燃えていたので、いい影響なら出ていたかもしれない)、厳しい合田隊長といえども注意や指摘はできなかったと思う。
 千葉は一人暮らしをはじめたので、一緒に通勤しなくなった。仕事ではというと、もともと合田隊のバディは固定制ではなく月1程度の変動制だったので、千葉とのバディは解消されて接点も減った。同じ隊なのでやりとりはあるが、意識的に避けられているのか、ふたりきりになる機会はなかった。
「主計にいる同期が、おまえと話してみたいと言っていたぞ」
「げ。経理はほんと向いてないんでお近づきになりたくないんですけど……」
 数字弱いんですよね、と顔をしかめる。
 まだ濡れたままの髪をガシガシ拭いながら合田隊長を振り返ると、彼はすでに私服に着替えており、携帯電話をみていた。更衣ロッカーにいるのはおれと合田隊長だけだ。ほかのメンバーはすでに退勤していた。
「村山は関空にいたんだろう。塩谷……同期は大阪出身でな。お前と同じ仕事をしていたらしい」
「関空の機動救難士ですか。へえ」
 キッキューとも呼ばれる機動救難士は、特殊救難隊の地方バージョンだ。全国8カ所の航空基地に配備され、ヘリなどの航空機で海難現場に直行し、ロープで降下して救助する。主な任務はその名のとおり海難救助になるが、航空機からの降下、吊りあげ救助に特化しており、各隊には救急救命士が配置されている。
「塩谷さん…覚えてないなあ。時期かぶってたんですかね」
「入れ替わりかもしれない。後任が随分優秀だと話題になっていたらしいぞ」
「いやあ、へへへ。それほどでもありますけど」
 おれがふざけてニヤッと笑うと、合田隊長も同じように笑った。普通に笑っているのかもしれないが、どうも腹に一物あるように見えるのは強面だからだろうか。
「塩谷は多分使われているだけだろうな。村山と飲みたいと言い出したのは、国際・危機管理官の青戸だから。あいつも同期で、おれが断ったから塩谷に当たったんだろ」
 リュックを背負う手が止まった。苦笑もでてこない。
「外堀埋められてんなあ……。それって断れます?」
「どうだろう。青戸がおれに頼んできたときは断ったんだが。お前はまだ隊に必要だ」
 まだ、という言葉が恐ろしいが、特殊救難隊はそういうシビアな場所だ。おれはロッカーの扉を閉めて、合田隊長と向き合った。
「合田隊長は、自分の限界を感じたこと、ありますか」
「ない。肉体のピークは過ぎつつあるが、練度で補える範囲だ」
 即答ときた。かっこいいことこの上ない。
「おれ、時々キツイなあって思いますけどね。もしかしたら、異動の時期が来てるのかもなって」
「弱気になるな。お前の代わりになるようなやつが出てくるまでは、必死で食らいついてこい」
 あくまで駒として言い放つ合田隊長の割り切り具合といったら。おれのセンチメンタルなんてまるで相手にしてくれないのだから、まったくこのひとは優秀きわまりないなとため息が出た。私情を持ち出さない冷酷な目と確かな実力。あなたこそ特殊救難隊の伝説だ、どうかそのままでいてください。
「話をしてみるぐらい、いいかな。塩谷さんの連絡先、教えて下さい」
 おれの言葉に、合田隊長が眉を上げた。
「お前らしくないじゃないか、村山」
 そう言いながらも携帯電話で連絡先を送ってくれるのだから、この人の明晰な頭脳の中で、すでにおれはリストラ対象に入っているのかもしれない。どれほど訓練や練習をしても、体力の温存に気を配っても、持って生まれた資質を超えることはできないのだ。それはこの特殊救難隊に入って、はじめてわかった。努力と根性だけではどうにもならない領域というのが、確かにある。
 ありがとうございます、と礼をしてその場を後にしようとすると、合田隊長が言った。
「人生は長くて一度きりだ。後悔しないように生きろよ」
 わかっている。こうみえてあなたよりも(記憶だけなら)長く生きているのだ。本来一度のはずの人生を、何度も何度も。
「それが一番難しいんですよね。……お疲れさまでした」
 基地を出て時計を見る。デイトの入ったGSHOCKのFROGMANは、ふざけた名前の割にプロ仕様のダイバーズウォッチで、価格も安くて気に入っている。「12-15」と表示された盤面を見て、12月も半ばになっていたことに初めて気づいた。 

『今から電車のるから、30分ぐらいで東京駅着く』
 メッセージにはすぐに既読がついて、成一から返信が飛んできた。
『先に着いてるよ。グランスタで適当な店入ってるから、着いたら電話して』
 今日は白馬でスノーボードをする約束をしていた。新幹線で長野駅まで出て、そこからバス。実はスノースポーツをしたことがないので、楽しみで仕方がない。成一は大学から時々スノーボードをやっていたらしく、今日は教えてもらいながら初めて滑るのだ。
 おれも成一も体を動かすのが大好きで、休みのたびに山に登ったり、テニスをしたり、ボルダリングジムに行ったりする。付き合うことになったけど、やっていることといったら、朝から遊びにいって、夕方まで一緒にいて、夜になったら別れる健全なデートだ。もしくは仕事終わりに横浜で集合して、ふたりで軽く酒飲みついでに晩飯を食って帰る。手すらつながない、プラトニックな付き合い方。これが半月以上続いて、今日は初めて泊まりででかけるのだ。これをワクワクしないやつは日本中探したっていないだろう……いろんな意味で。
 ウェアやシューズなど、必要なもの一式はレンタルするので、荷物は少ない。職場に持ってきたから、このまま電車に乗るだけ。おれは、まるで遠足に向かう子どもみたいな浮かれた足取りで駅へと急ぎ、東京駅に到着した。
「今からだと、着いたら14時ぐらいかなあ」
「そうだな。なんか食った?」
「パン食べた。一保さんは……うわあ、そんなに食べるの」
「パンって食った気しねーんだよな、何個食っても所詮おやつじゃん」
「欧米の人に謝ってくれる?あっちじゃ主食なんだから」
 うず高く皿に乗せられたおれのパンを眺めてから、成一が笑った。東京駅の待ち合わせスポット、銀の鈴広場の近くにあるカフェで、先にカフェラテとサンドウィッチを食べ終えて雑誌を眺めていた成一の前に座る。クロワッサンサンドとコロッケパンとカレーパンを平らげてから、左手の時計を見る。新幹線の時間まで、あと15分だった。
「はー、ちょっと食べたら落ち着いたわ。マジ腹減って死ぬかとおもった」
「泳ぐのってお腹空くもんねえ」
「全身使うし、カロリー消費半端ねえからな」
 にこにこしている成一を見ていると、仕事の疲れも吹き飛ぶ。肘をついている手首を掴んで手前にずらしてやると、顔がガクンとなった成一に「ちょ、もおお!」と怒られた。
 ホットコーヒーを急いで飲んで、ふたりで新幹線のホームへ向かう。そもそも新幹線に乗るのも久しぶりだ。ホームに滑り込んできた流線型の車両に「出たー、新幹線だーー!!」と喜んでいると、隣で成一が「ほんとにこどもみたい」と言ってまた笑った。
 2座席の窓側に座らせてもらって周囲を見ると、平日の朝、それも通勤ラッシュを過ぎた時間のせいか、空席が目立つ。北陸新幹線は今盛り上がってるんじゃなかったのか、とつぶやいたおれに、空いてるほうがいいじゃん、と成一が返す。そういえば荷物が少ないが、先に送っているのだろうか。
「うん、送ったよ。ボードとウェア一式、スキー場に」
「段取りがいいな、さすが」
 お互いに上着を脱いで、座席の上の荷物入れに置いた。新幹線に乗るのは1時間と少し。仮眠をとるなんてもったいないことはしない。
「なあ、成一。しりとりしようぜ」
 スキー・スノボと書かれた雑誌を閉じて、成一が「しりとりって。またこどもみたいなこと言い出す」とこちらを向いた。おれは構わず「ポテリッチ」とよく食べるお菓子の名前を宣言する。
「ほんとにやるの?」
「早くいわねーとお前の敗けな。5、4、3」
「横暴!んー、チップ」
 座席で長い足をもてあましているのをみると、ケチらずにグリーン車にしてやればよかったな、と思ったが、どうやら本人は気にしていないようだ。
「プ?!プ……プか。プリングルス」
「なんでポテトチップシリーズなの。ス…、スねえ。スープ」
 成一は余裕な態度で雑誌をめくりはじめる。おれは焦った。
「また「プ」!!あ~~プ……、プエルトリコ」
 よっぽどおれが『ひらめいた!』みたいな顔をしていたのか、こちらをちらりと見た成一が顔をおさえて笑いをこらえるみたいな表情を浮かべた。
「はいはい、「コ」ね。コップ」
「お前!!いい加減プ攻めやめろや!!」
「だってそうでもしないとおわんないじゃん。しりとりってそういうゲームでしょ」
 襟首をつかんで揺さぶると、成一が「ほら、プだよ。5、4、3…」と意地悪な顔で言った。腹たつ。こいつ前からこんなに生意気だったっけ?
「プリント!!」
「トップ」
 間髪を入れずに言った成一に、おれは胸の前でバツをしてみせた。
「はいだめー、洗剤の名前受け付けませーん、英語もダメでーす」
「なんで急にルール変わるの、もー。……トマトケチャップ」
「だからプはやめろっつーの!!」
 こらえきれず笑いながら止めると、成一もククッと笑った。
「はい、一保さんの負け、終了」
「今ほどお前を殴りたいと思ったことねーわ」
 肩をグーで殴るふりをすると、成一が「負けたからって暴力は良くない」とすました顔で言った。本当に生意気だ。でも楽しいから、5分もしないうちにまたしりとり勝負をしかけて、今度はおれが語尾を「る」攻めにして勝利した。そんなことをやっているうちに長野に到着し、バスに乗って、白馬の八方尾根スキー場に降り立った。  

 

 3日ほど前から気温が下がったせいか、ゲレンデの状態はすごくよかった。
「風もないし、天気も最高。すごくいい」
「そうなのか。確かに気持ちいいな。全部白い」
 全部レンタルですませたおれと違って、自分用のものを身につけている成一は、疎いおれがみてもびっくりするぐらいオシャレだ。『アルペン』とか『ゲレンデ』とかの老舗スノースポーツ雑誌で表紙を飾れそうなぐらい、長い手足とノーブルな雰囲気に合うウェアを着て、おれをみてにっこり微笑んだ。
 リフトで初心者用の傾斜に登って、しばらくの間、真っ白な山の斜面をふたりで眺めた。平日のこんな時間だからか、ゲレンデは空いていた。
「よっしゃ滑ろうぜ」
「ちょっと待った。いきなり滑ったら怪我するから。では、いまからスノーボード初心者講習会をはじめます。聞こえたら返事!」
「はい!」
 手をあげて返事すると、成一が「いいお返事です」と頷く。burtonのカラフルなボードを雪面に立てて、ボードの説明から始めた。左右のエッジの話や、これから段階を経て練習するからもどかしいかもしれないけど、言うことをきかないとボードは中止、という厳しめのお言葉などを終えて、さっそく成一が見本をみせてくれた。
「すべるまえに大事なことがふたつ。進む方向を見ること、リラックスすること。簡単なようだけど、これが大切です」
「わかりました!」
 サイドスリップのやり方からはじまった成一のボード講習会はすごかった。1時間もたたないうちに、S字ターン(木の葉落としともいうらしい)までできるようになったのだ。かかとの使い方を丁寧におしえてくれた根気強くて優しい口調に、成一はインストラクターが向いているんじゃないかと絶賛してしまった。
「やっぱり一保さんは運動神経がいいね、飲み込みが早いよ」
「へへ、ありがとな。お前の教え方がいいんだ」
 おれからすれば、どんなスポーツもそつなくこなす成一のほうが、よほど運動神経がいいと思う。登山、バレエ、それにテニスまでできるんだから、十分すごいだろ。
 そんなことを滑ったりリフトで登ったりしながら伝えると、「テニスは兄貴の相手してるうちに覚えたけど、実は球技が全般的に苦手」と成一が舌をだした。意外だ。
 16時を過ぎるころには中級者コースを滑りだしたものの、思いっきり滑れなくてストレスがたまっているんじゃないだろうか。何度か転んで雪まみれになったおれを楽しげに救出してくれた成一の後ろ姿をみながら、少し心配になった。
「なあ、お前も1時間ぐらい自由に滑ってこいよ。おれはここでのんびりやってるから」
「でも……まだひとりは危ないよ」
「無理しない。スピードコントロールが命、だろ?大丈夫、無茶しねえし。人も少ないから衝突もねえよ」
「わかった。じゃあ、お言葉に甘えてちょっといってくる」
 嬉しそうな顔が可愛かったので、手をふって別れるフリをしてから、こっそりあとをつけてみた。成一の実力を見てみたかったのだ。 

 

 リフトを使って上級者用のコースに降り立った成一は、リラックスした表情で肩を何度か回してから、流れるようにコースを下りはじめた。おれみたいに、両腕を広げてバランスを無理にとってる感じは全くなくて、それなのにスピードはどんどんついて、きれいな弧を描きながらするすると滑り降りていく。
「……追っかけてみよ」
 無理はしない、スピードはコントロールする。そう自分に言い聞かせながら、成一の後ろを滑り出す。さきほどよりずっと角度のある斜面を、スピードがつきすぎないように……つきすぎない、ように…。
「うわあーーーーーーーッ」
 やっぱりおれには早かった。がんばって尻餅をつくようにエッジをたてたが、体制がくずれてボードが斜めになってしまったせいで、思うほどスピードが落とせない。
 コースの残り3分の1ほどのところまできたのだが、コントロールを失ったおれは、そのまま森の中に突っ込んでいく。木にぶつかるのをなんとか避けていると、後ろから成一の声がきこえた。
「頭を守って、膝を落として!」
 おれをみつけた成一が、後ろから助けにきてくれたらしい。言う通りにすると、目の前の木に衝突する寸前で、なんとか止まることができた。とっさに柔道の受け身のような姿勢をとったのもよかったのかもしれない。安心と脱力で、そのまま寝転んでしまうと、やってきた成一が焦った声で「どこか痛むの?!」と叫んだ。
「いや、どこも。ごめん、ありがとな」
「脚はずして、動かしてみて。足首とか手首とか、痛めてない?」
 言われたとおりにしてみせると、成一がへなへなとしゃがみこむ。
「焦った。もう、あんなに無茶しないでって言ったでしょ!」
「申し訳ない」
 這うようにおれの側にやってきた成一が深いため息をつく。白い息がふわりと漂った。
 成一の手を借りて起き上がる。周囲を見渡すと、一定の間隔で木が生えていて、どの枝も重そうなぐらい雪が乗っていた。
「怪我しなくてよかった」
 しゃがみこんでいるおれの鼻や、帽子に乗っている雪を払ってから、静かな声で言った。息がかかるほど近い距離に気づいた途端、いまの恐怖からではない動悸がやってきて、顔が熱くなってくる。
 少し日が落ちてきたせいか、あたりは陰りがあってしんとしていた。じゃあ行こうぜ、と立ち上がることもできずに、おれは目の前の成一をみつめた。真剣な顔。やわらかい日差しにてらされて光る、こはく色の目。吸い込まれそうだ、と思っていたら、肩をつかまれて唇が重なった。
 冷たくて、少し乾燥した成一の唇が、うすくひらいて舌でおれの唇をそろりと舐めた。目を閉じ、しがみつくように成一の背中につかまったまま、自分の舌でそれに触れる。鼻から息が漏れるぐらい、丁寧でエロいキスだった。むやみやたらに舌を突っ込んでくるような無粋なものじゃなくて、少し触れたら逃げていくから、思わず追いかけそうになるテクニカルなやつだ。いちいちずるい。成一はいつもずるすぎる。おればっかり夢中になっている気がして癪にさわるのに、降参してしまいたくなるのは気持ちいいからだろうか。
「ん……」
 変な声が出た。慌てて口を両手でおさえたが。
 成一のくちびるは糸を引いてはなれていったのに、つい舌をだしたまま、名残惜しげな顔をしてしまう。そのせいなのかなんなのか、成一は眉をよせて雪面に突っ伏した。
「ほんとはもっと叱らなきゃいけないのに、くそっ。可愛い顔するなよな……」
 呻くような声に安心する。夢中なのは、自分だけじゃないんだ。
「よし、もう一滑りして宿に戻ろうぜ、成一」
「懲りてないねえ、一保さんは」
 起き上がった成一が、おれのほおをつまんで引っ張る。痛いんだけど、なんか甘い痛みだからヘラヘラしてしまう。
 残念なことに、おれはだいぶ頭がイカれてるみたいだ。でもこんなに楽しいなら、ずっとイカれていたい。 

 

 予約の時期は仕事が立て込んでいたので、宿の手配から何から、成一に任せきりになってしまったのだが、そこはさすが成一である。
 こじんまりとしたペンションは温泉施設から歩いて5分のところにあり、木のぬくもりが素敵な宿だった。
「ほんと抜け目ねえよな」
「伊達に長年体育会系でこき使われてないですからね」
 なぜか胸を張るのがおかしくて、おれは顔をそらして笑いをこらえた。
 温泉に入って温まったせいか、成一の頬はほんのり赤い。まだ酒を飲んでいないから、のぼせているのかもしれない。
 ログハウスのような作りをしているが、暖房が行き届いていて、このダイニングも少し暑いぐらいだ。
 薪が燃えるパチパチという音と、おれたち以外に一組だけいるカップルの静かな話し声の中で、運ばれてきたシャンパンをかかげて乾杯した。
「なんか記念日みたいだな」
 ひとりごとのつもりだったが、成一がさらりと「記念日だよ」と返してきた。なにが、と追及しても意味深な笑みとともに無視されたので、おれは気にせず運ばれてくる料理に舌鼓を打った。山盛りのサラダ、牛フィレ肉を煮込んだものをパイ包んだやつ、自家製パンに舌ビラメのソテー。大食いのおれでも腹をさすりたくなるぐらいたっぷりと、ごちそうが出てきた。
「甲州ワインを豊富に置いてるんだって。飲む?」
「白がいいな」
「すみません、白ワインください」
 生ビールとボトル1本で気持ち良くなった。疲れていたからよく回ったのか、食事を終えて立ち上がろうとしたら足元が少しふらふらした。隣から腕をつかんで支えてくれたのだが、やっぱり記憶の中の成一よりも胸板が厚くなっている気がする。
 階段を上って自分たちの部屋についたら、気がゆるんで、すぐベッドに横になってしまった。水飲んだほうがいいよ、と成一が気遣わしげな声でいってくれたのだけれど、目を開けるのも面倒なぐらい眠くて、「うん」だか「ああ」だかわからないことばを発したまま、目を閉じてしまう。
「みずほしい」
 ベッドに座った成一が、ペットボトルをほおに押し当ててきた。冷たくて目をあけて驚く。成一はほとんど酔っていなかった。同じペースで飲んでいたはずなのに、目はしっかりしていて赤らんでもいなかった。
「ここにあるよ」
 おれも、そこまで酔っていたわけではないと思う。でも酔っていなかったら、こんなこと言えない。
「飲ませてくれよ…うごけねーし」
 横になったまま懇願すると、成一は小さくため息をついて、ペットボトルのふたをあけた。それから自分がぐいっと水をあおって、そのまま顔を近づけてきた。
「ん…!んう…、っく」
 流れ込んできた冷たい水に喉を鳴らす。水よりも甘い気がして、もっとほしくて舌を絡めた。なだめるように舌をかさねてから、成一は何度か同じことをしておれに水を飲ませ、やがて水はサイドテーブルに置かれて、本格的にのしかかってきた。ベッドがきしんで、その音に、心臓がドクンと跳ねた。髪をなで、ほおを撫でた手のひらが、セーターの中にするりと入り込んでくる。さっきまで冷たいペットボトルを握っていたてのひらはひんやりとしていて、さわられる腰骨や胸が、ぞわりと粟立つ。
「ねえ、一保さん…」
「あ、なに…」
 耳元に寄せられた唇が、耳を舐めてから囁く。
「抱いていい?」
 ーーその瞬間、頭をよぎったのは、やり直す前の成一の言葉だった。告白されて、おれの家でかきっこしたとき、成一が言ったやつだ。セックスしないのか、ってきいたおれに、成一は言った。「付き合ってすぐ抱くのは、誠意がない気がする」と。海辺の見えるホテルでおいしいご飯をたべてから、夜、「あなたをひどく抱いていい?」って聞きたいと、笑いながら言っていた。多分9割方冗談だと思うけど、成一はそういうばかみたいなことを本気でしそうなところがある。
 覚えていないはずなのに。まるであれを実行しているみたいで、そんなシーンじゃないのにおれはブーッと吹き出してしまった。
「いいぞ!そのかわりやさしくしろよ!!っ……ははははは、だめだ、面白い」
「笑わないでよ、ひどいな」
 言いながら成一も笑っている。やっぱり自分でもキザすぎるとおもっていたんだろう。くつくつと笑ってから、やがて仰向けになって大笑いした。
「抱いていいってお前さ、もし「断る」って言われたらどうすんの?やめんの?」
「えっ!その発想はなかった。うーん、説得する……」
 真面目な声が返ってきたので、おれは「バカか!」と叫んだ。
「変わってないな。一緒だよ、おれの知ってるお前と」
 少しずつ違うのだと何度も思った。でも、本質は変わっていない。そのことが、胸が熱くなるほど嬉しかった。
「あ、それって一保さんとはじめてセックスした日のこと言ってる?嫉妬するなあ」
「自分に嫉妬してどうすんだ。それにセックスはしてない、手で触りあっただけ」
 おれの言葉に、成一はいたずらっぽく笑ったまま顔を寄せてきた。ズボンの中に手をいれ、下着の上から半勃ちになったものをなでられる。
「へえ。どんな風に?」
「わ、やめろ、ってえ…」
 先を濡らして反応しているおれのものを、大きい手のひらが包んでゆっくりこすりあげる。たちまち息があがって、顔がカーッと熱くなった。体をくねらせてよけようとしているはずが、次第に成一の手の動きにあわせて腰がゆらめき、それをみた成一に「きもちよさそう」と笑われた。
「あ、あ、やだ」
「ほんとにやだ?」
 返事を聞く気がないのか、そのまま口を塞がれる。息も苦しいぐらい激しいキスをしながらこすられて、あっけなく達してしまった。下着の中がべとべとして気持ちが悪くて、目尻に涙が浮かぶ。
「っは、はあ、はあ、離せ、ばか」
 普段はにこやかで気品のある顔も、いまばかりはケダモノじみている。成一は自分の服を脱いでから、下着ごとおれのボトムを脱がせた。ベッドサイドランプだけが点いている部屋はうすぐらく、白熱灯の薄黄色がひざ立ちになった成一の輪郭だけをぼんやりと浮かび上がらせている。美しい身体だと思った。本当に、どうしてこいつはおれのことなんか好きになってくれたんだろう?今でもよくわからない。わからないけど、だからって手放すことなんてできなかった。自分の何がいいのかなんておれは知らないし、知る必要もない。そんなのは相手が決めることだ。
 下着もぬいでいたから、反応を示している局部もよく見えた。膝を寄せて足を閉じようとすると、膝をつかんで大きく割り開かれる。身体ごと入り込んで正面から抱きしめられ、その熱さに身がすくんだ。
「成一」
 声がかすれる。怖くなるぐらい興奮していた。茶色くて柔らかい髪を指で梳いてやると、成一は目を細めて耳の下にくちづけてきた。柔らかい唇が耳の下から首筋を辿り、鎖骨を舐め、こめかみをつたって額にキスをした。手を伸ばして成一の硬くなったところに指を這わせる。息をのんだ成一が、疼痛をこらえるような表情を見せた。
「一保さん、すき」
 不意打ちだった。こどものように顔が赤くなるのが自分でもわかる。動揺で手が止まると、成一が耳元で「もっと、さわって」と淫靡な声でささやく。は、と息を吐く、すぐそばにある唇にキスをすると、噛み付くみたいに仕返しされた。情欲を隠さない、男の顔。こういう顔、何人が知ってるんだろう、とぼやけていく頭の中で考える。元カノ数人や六人部隊長にも見せたのだろうか。今みたいに、飢えた、全部食われそうな顔を、食われてもいいって思えちゃうような顔を。
「はやく欲しい…」
 手の中で育ちきったものの先に軽く爪を立てると、「う、」と成一が呻いた。荒々しく全身を撫でていた手のひらが、仕返しとばかりにおれの乳首をつまんで、意地悪く引っ張る。
「あっ」
「かわいい声。ね、何が欲しいの」
 舌先で乳首を嬲られて、身体が捩れた。気持ち良くてもどかしくて、自分で足を開いてしまう。
「成一の、これ、欲しい」
 唇できつく吸われたり、甘噛みされたりして、喉の奥から甘い声が漏れた。指でつかんでいた成一の性器は濡れていて、身体のどの部分よりも熱く脈打っている。これが自分の中に入ったらどうなってしまうんだろう、と震えた。もう2度も寝たのに、今がはじめてみたいに緊張した。
 ローション忘れた、と独り言をいってから、成一が自分の手をおれの手にかさねて自分のものを扱いた。長い指がおれのてのひらをつつみ、緩急をつけて動かす様は、言いようもなくいやらしかった。こんな風に自分を慰めているのかな、と想像すると、清潔で、普段は性的な匂いなんて全くさせない成一の、雄の部分を見せつけられているようだ。
「……っ」
 成一は、睨みつけるみたいにギラついた目で、おれを見たまま射精した。荒い息を吐き、それでも、性器はまだ硬く力を持ったまま、おれの太ももに擦り付けられている。
 腹にかけた精液を指ですくいとってから、おれの奥、硬く閉じられたところに指が侵入してきた。膝裏を持ち上げられ、大きく開かれて、恥ずかしいはずなのに焦りの方が勝っていた。
「ふ、あ…」
「痛くない?」
「ん、」
 長い指は容赦なくおれの後ろを暴いていく。なでられ、開かれて、指が増やされる。
 身体をずらし、足の間に顔を埋めて、成一がそろりと裏筋を舐めた。興奮でまた形を変え始めたおれのものは、すぐに喜びに震えて先を濡らす。
「そんなとこ、舐めなくていいから…!や、やだって…あ、ああっ」
 舌先はそのまま陰嚢を辿り、また竿をたどって、深く飲み込まれていく。じゅ、じゅぽ、という聞くに堪えない水音に、足の指先がぎゅうっと閉じるほど興奮した。気持ちいい。恥ずかしくて、申し訳なくて、でも、ものすごく気持ちいい。のけぞり、身悶えした隙に、指が3本に増やされ、腹をこするようにぐりっと指先が曲げられる。目の前が白くなって、あけすけな声が出た。
「や、あああーっ、せ、いち、やめて、いく、いっちゃうから」
 前と後ろを同時に責められて、目の奥がチカチカした。でも足りない。もっと、奥まで欲しい。痛いぐらいに強く突いてほしい。
「ん、おれももう無理…挿れるね」
 両足首を掴まれ、開脚したまま胸にあたるぐらい押し付けられる。苦悶の表情を浮かべた成一が、少しずつおれの中に入ってきた。丸くて、一番太いところが入りきってからも、じわじわと腰をすすめ、中が落ち着くまで成一はじっとしていた。
 食い締めながらひろがったおれの中を味わうみたいに、ゆるゆると腰を動かしはじめる。両足が成一の肩の上で揺れ、汗が落ちてくる。気持ちいい。熱くて焼けるみたいなのに、気持ちいい。
「成一、…キス」
「ん…」
 次第にベッドが激しく軋みはじめて、キスをするのも息苦しくなってくる。口の中の気持ちいい場所を舌があますことなく撫で、下唇をかまれて、おれは身も世もなく喘いだ。愛していると思った。言えなかったけれど、愛していたら、愛されていたらこんなにもセックスは気持ちいいのかと、目がさめるような思いだった。
 冗談でも大げさでもなく、成一のためなら死んだっていい。いつか愛されない日がきても、忘れられても、それでもいい。好きだ。どうしようもなく。全部あげたって全然足りないぐらい、おれはこの男のことが好きで好きでたまらない。
 肌がぶつかる音と、ときおりまじる成一のわずかな、感じ入ったような声。一瞬たりとも見逃さないとばかりに、その目は陶然とおれを見つめつづけてくる。目を合わせているだけで燃えてしまいそうなぐらい熱い視線と、激しく打ち付けられる腰、それでも、てのひらと唇はどこまでも優しくて、不安になる暇なんか与えてくれない。成一の目が、手のひらが訴えてくる。言葉よりも切実に、まっすぐに、愛していると訴えてくる。
「一保さん、いく」
 耳を噛まれて、成一が倒れこんでくる。中で成一が達してすぐに、おれもいってしまった。息が荒いまま強く抱きしめられて、肩口に顔をうずめて抱きしめ返す。
「おれ、お前のためなら死ねるなあ」
 感じ入ったような声が出て、成一が笑った。まだ整わない呼吸のまま、「だめ」、と咎められる。
「150歳ぐらいまで生きてくれないと困る。一保さんには、おれのこと看取ってもらうんだから」
「いくらなんでも生きすぎだろ、厚かましい奴め」
 ティッシュでおれの後始末をしてから、成一が隣で仰向けになった。このペンションは全部ツインルームだからベッドはふたつあるのに、はじめから別々に寝るつもりなんてなかったらしい。汗ばんだ胸が上下していたのもほんの数分で、落ち着いたと思ったら、また指がおれの腹をくすぐりはじめた。
「おれと一緒に生きて。いちばん側で、楽しいことも、辛いことも、一緒に見て感じて」
 とろけそうな笑顔でそんなことを言われて、落ちない奴がいるだろうか。考えとく、と憎まれ口で返してやると、「じゃあイエスっていうまで抱いちゃお」などと笑えないことを言って成一がふたたびのし掛かってきた。
「わ、ちょっと休ませろ……なあ、」
「んー?」
 すでに逃げ場をなくすように、両腕の中に囲いこまれている。見上げると、また火がついた目をしている成一と目があった。少しでも休ませてほしくて、必死で言葉を考える。気をそらすような言葉を。
「なんで、その……いつも前からすんの」
「それはなんで正常位でセックスするんですかって質問?顔がみたいから。はい、質問タイム終了でーす、抱きまーす」
「やめろ!!あっ、な、なんで顔みたいんだよ……!だめ、だって…」
 拒否しきれないのはもはや仕方がない。いやじゃないのだ。おれだってやりたい。やりまくりたい。でもちょっとだけ休ませてほしい、それだけだったのに。
「一保さんのえっちな顔、めちゃくちゃかわいくて興奮するからでーす」
「延ばすな、かわいくねえ!」
 もうおれの敗けでいい。恋愛に勝敗があるなら、完敗だ。
 結局、夜中の3時まで耽ってしまって、帰りのバスはずっと寝ていた。 

*****

 

 由紀駅についても成一は電車から降りなかったし、おれも「降りなくていいのか」とは言わなかった。もっと一緒にいたかった、というよりも、なんで今まで離れていて平気だったのか、そっちのほうが不思議だった。家に来る?ときかなくても連れて行く気満々だったし、成一もそのつもりだった。明日はお互い仕事だっていうのに、どうかしてんなあと思う。頭の中がカッカしていて、みんなが浮かれている12月だからというわけでもなく、終始身体が1センチぐらい宙に浮いてるみたいな感じ。
 街はかわいいカップルや急場しのぎのカップルで溢れていて、宿舎の最寄り駅についても、同業者が彼女連れで歩いているのを何度かみかけた。でも、もう何も感じなかった。焦燥とか羨望とか、そんなものなにひとつ湧いてこない。手を繋げない、外でキスをできない、それがどうした。どうでもいい。少なくとも今は。
「全然寒くないの、なんでだろ」
 後ろから成一が声をかけてきて、まったく同じ気持ちだったおれは、「な、馬鹿みたいに全身熱い」と返事した。
「手、つないでいいですか」
「ダメに決まってるだろ、顔差すんだよ、このへんは」
「設定考えたから大丈夫。おれは今泥酔状態で、ひとりじゃまともに歩けなくて、一保さんの家に連れて行ってもらうところなんだけど、酔うと誰彼構わず抱きついてチューしちゃう癖があるから一保さんが手を引いてくれたって設定でどう」
「どう、じゃねえよ。妙にリアリティある設定つくりやがって」
 笑っていると、成一が前にでてきておれの顔をのぞきこんだ。そして眼を細め、「やっぱり、笑うと最高にかわいい」などとのたまった。
「笑え「ば」?笑わなければ……?」
「かっこいい」
「That’s right!」
 脳みそ沸いてんな、まあ、おれもだけど。
 冬のほうが空気が澄んでいるから、月の輪郭もはっきりしていた。やや太めの三日月は、街灯や街明かりで明るい夜空の中でも、まぶしいぐらい輝いていた。通り過ぎるマンションや一軒家から、夕食の匂いがした。カレー、おでん、ハンバーグ。今日は何を作ろうかな、と考えはじめたところで宿舎に着いて、階段をふたりで駆け登る。夕飯のメニューもいいけど、家についたらまずはただいまとおかえりのハグ、それにキスが何より優先だ。家の鍵がはいったポケットを探りながら自分の部屋の前に立って、ーー驚いて立ち止まった。なにかがドアの前で丸くなり、うずくまっている。
「おい、どうした!」
 腕をつかんで引き上げると、眠たげな声が抗議した。くしゃくしゃになった封筒を握りしめたまま、身体をよじる。
「うるさい…。もうちょっと眠らせて」
 隣で成一が「この子、もしかしてテレビの、」とつぶやく。おれは黙って肩をすくめた。

 ドアの前で座って眠りこけていたのは、綿谷いつかだった。