7 海に溺れる

 隊長と呼ぶのはやめてくれ、と耳を食みながら吹き込まれた。
 顎を反らし、声を抑えて、「合田さん」と名前を呼ぶ。彼は大きな手のひらで巧みに服を脱がせ、首までたくし上げられたセーターの下に無遠慮に唇を当てた。
 ベッドにもつれ込むまでの道に、点々とお互いの服が落ちて行く。裸で仰向けに押し倒されたのは2階のベッドだったが、その頃にはもう、頭の中が沸騰していた。
 差し込む日差しは少し傾いているのに、合田さんの身体を浮かび上がらせるには十分な明度があった。分厚い魅力的な肉体はすぐに覆いかぶさってくるのではなく、見せつけるようにおれの足首をつかみ、足指にキスをした。舌が、急所でもあるアキレス腱を舐め、歯を立てられる。そのままふくらはぎを、ふとももをなめられ、吸われて、涙がにじむほど感じてしまった。
「舐めたいか?」
 彼は膝立ちになり、硬くなった自身を右手で握りながらニヤリと笑った。
「はい……おねがいします」
 仰向けのまま薄く唇をひらく。おれの首を跨いで馬乗りになった彼のものが、くちびるに当てらる。自ら舌を出して口を開けると、すぐに入って来たそれが、口の中を犯す。熱くて脈打った硬い肉を、おれは夢中でしゃぶった。成一を忘れさせてくれるなら、なんでもする。そう思って奉仕すればするほど、頭の中に成一が残った。
 大きくて全部は口に入らない。十分に育ったそれをおれの口の中から引き抜くと、彼はおれを四つん這いにさせ、後ろから串刺しにして激しく動いた。少しでも抵抗したり逃げようとすると、容赦なく尻を打たれ、髪を掴まれ、引き寄せられる。乱暴にされたい、という願望を言わなくても感じ取って実践してくれる彼の優しさに、おれは首までどっぷりと浸かって甘えた。

「あ、あ!いく、合田さんっ、いく」
「誰が許可した?我慢しろ、淫乱」
「ごめんなさ……あっ、ああっ、もうやめて、突かないでっ」
 全身が汗まみれになる。中をえぐりながら、手のひらは痛いほど乱暴に乳首をひっかき、抓り、舐めまわされる。
 ベッドの上に散乱した使用済みコンドームの数も、外袋のゴミも、数えるのをやめてしまった。対面座位で揺さぶられながら彼の背中に爪を立て、首元にすがりつく。後頭部を撫でる手のひらが頬を包み、舌を出せと促された。彼の突き出した舌を舐め、吸い、唇を貪りながら、想像していたとおり抜群の相性だなと考えた。何も言わなくても、お互いが何をしてほしいのか分かる。まるで生まれつきこうすることが決まってたみたいに。
「お願い、我慢できない、いかせて。……瞬」
 哀願したおれに酷薄な笑顔を返しながら、合田さんがおれを正面から貫く。散々キスされた後でくちびるの間に使用済みコンドームを咥えさせられ、「似合うぞ。最後までそれ、咥えてろ」と命令された。正面から奥深くまで貫かれて達したとき、合田さんが一度だけ、おれの名前を呼んだ。それは反則なぐらい甘い声で、先ほどまでの苛烈なセックスが嘘みたいに、優しく髪を撫でられた。
「もうゴムがない」
「いいです、なかに……」
 口を開いたせいで、くわえていたゴムが顔の横に落ちる。
 言い終わる前に、身体の中で合田さんのものが震えた。
 苦しそうな顔が、とてつもなく色っぽかった。

 目がさめると、合田さんの姿がなかった。
 シーツは新しいものに変えられ、散らばっていたゴミは綺麗に片付けられている。
 窓の外はすっかり夜だった。下がった気温を感じて肩をさする。いつのまにか着ていたTシャツはブカブカで、合田さんのものだと分かる。裾を掴んで匂いをかいだ。彼のうなじから香る、清潔な匂いがした。
 身体を起こして、側に落ちていたデニムを履いた。そのままリビングを横切り階段をおりる。夢中で脱ぎ捨ててきた服でも集めようかと思ったが、ひとつも見つからない。
「目が覚めたか」
 クローズにしている店の中はキッチンだけしか灯りがついておらず、薄暗い。オレンジ色の光の中で腕を組んでこちらをみた合田さんが、あの鋭い顔を和らげて笑った。
「久しぶりにお前のコーヒーが飲みたいな。いれてくれるか」
 彼の両手には、かき集めてくれたらしい2人分の服やベルトがあって、おれも笑ってしまった。
「もちろん。そこに座ってください」
 カウンターを指差す。彼はシンクにもたれていた姿勢を正してから、「服を置いてくる」と言って二階に上がった。

「どうしてここが?」
 来た時と同じ服を着込んだ彼が、カウンターの向こうでおれを見た。質問の意味がわからない、とでも言いたげな顔だった。
「本気で探せばすぐ見つかったぞ。村山は目立つから」
「2年も放ったらかしにしてたのに、いまさら何故です」
 隣には座らなかった。顔を見て話したかった。
 カウンターの中で立ったままコーヒーを飲むおれに、合田さんがひょいと眉を上げた。
「探して欲しかったのか?」
 声にわずかな怒りを感じて、素直に謝罪した。
「そうじゃ……いえ、そうかもしれませんね。ごめんなさい、何も言わずにいなくなって」
 合田さんは黙ってコーヒーをひとくち飲み、静かにカップを置いた。
「消えたくなる気持ちは、おれにも分かるから。あえて探さなかった。お前は強いから、どこかでたくましく生きているだろう、とも思ったしな。でも千葉は可哀想だったぞ。星野を問い詰めて、責めて、しばらくボロボロになっていたし」
「――悪いことしたな。千葉にも、あいつにも」
 息苦しくなって俯くと、手が伸びて来て頭を撫でられた。
「気にするな。誰にでも時間は流れる。千葉は結婚して子供がいるぞ」
 成一の指輪を見たときよりもずっと穏やかな気持ちで、おれは言った。
「それは……本当に良かった。おめでとうって直接言えないのが残念ですが」
 合田さんが何かを言おうとして躊躇ったのを感じて、先回りして笑った。
「……星野も結婚したみたいですね。考えてみればそういう年齢だもんな」
「知っていたのか」
「今日、知り合いのバレエを観に行ったんですが、楽屋見舞いで偶然ばったりと」
 彼が苦笑した。無理もない。
「左手に指輪をしていたので」
 飲み終えたカップをシンクに下げて洗い、タバコをくわえる。
「それはとんでもない目にあったものだな。もっともそんなことがあったから、おれはお前を思う存分抱けたわけだ。幸運だった」
「変わってねーな!ぬけぬけとよくまあ」
 この人と話していると笑ってしまう。もう二度と笑えないと思っていたのに。
「すごく良かったぞ。――お前は?」
 海でよく見た、仕事中の彼のような静かに燃える目で、合田さんが見つめてくる。おれはタバコの煙をレンジフードに吐いてから灰皿に押し付け、彼の隣に歩いていく。身をかがめてキスをすると舌が入ってきて、すぐに身体が反応した。
「言わなくても分かるでしょ?」
  彼はくつくつと笑ってから、おれの耳元に唇を寄せた。
「実は一週間休みなんだ。しばらく泊めてくれないか?」
「どうりで荷物が多いと思ったよ。ちなみに、答えはイエスです」
 立ち上がった合田さんがおれの腰を抱いて密着する。あたたかくて気持ちがいい。
「不思議だな。村山とはいつかこうなる気がしていたんだ。職場の人間とは寝ないと決めていたんだが」
「安心してください。おれはもう組織の人間じゃありませんから」
 鋭い顔に不敵な笑みを浮かべて、彼は言った。
「お前の身体は最高だ。おれの形になるまで抱いてやる」
 サディスティックな声に、頭の芯が痺れた。

 どれほど表面が熱くなっても、この人の根底にはこんこんと流れる冷たくて細い川がある。それがありがたかった。何も求めず、求めさせず、ただ優しくしてくれる。与えてほしい身体の熱と快楽だけを分けて、何も押し付けない。
 お互いを好きになってしまえば楽なのに、それが出来ない。終わらせたくないから。心のどこか一部だけ繋げたままでいたいのだ。だからこそ、恋愛関係に陥りたくない。
 不意に思ったのは、成一と六人部さんの関係もこういう感じだったのかな、ということだ。千葉にひどい暴力を受けていた「やり直す前」、淡い恋心を抱いたことのある合田さんは、憧れの方が強かったけれど、だからこそ余計に、心の中の一部を占めていた。成一もそうだったのだろうか?浮気された理由なんて考えたくもなくて目をそらし続けていたけれど、合田さんとこういう関係になってはじめて理解できる気がした。
 あの頃――あまりに毎日が忙しくて、日勤になったおれとシフト勤務の成一は、すれ違いが多くなっていた。寂しかったし、寂しくさせた自覚はある。他に目が向いてしまうなんて、おれにも至らないところはあったんだろう。けれど……2人で何度も寝たベッドで、違う男を抱いたのだと分かったとき、おれは成一のことが何もわからなくなってしまった。知っていると思っていた星野成一と、その行動が一致しなくて苦しみ、これまで愛されていると思っていたのは間違いだったのか、思い込みだったのかと目の前が真っ暗になった。おれと一緒にいたのは妥協で、本当に愛していたのは六人部さんだったのか?そう考えると息ができなくなるぐらい苦しかった。
「大丈夫か?」
 指が腹をなぞってそのまま胸にたどり着き、心臓の上に当てられた。まだ息が荒いおれとは真逆に、隣で肘をついて顔を向けてきた合田さんの顔は、何もなかったように涼しげだった。
「もう、無理です」
「体力が落ちたな。運動してるか?こっちの運動は久しぶりみたいだけど」
 寝そべったまま身体を転がされ、後ろから抱き寄せる形で挿入された。何度も中に出されたから、すんなりとはいっていく。
「あ、」
「さすがに3日もこうしてると慣れてきただろ」
 仕事で海外に派遣される前に、年休を消化しろとせっつかれた。だからお前を探して抱きにきた。
 それだけ言っておれの体を朝から晩まで好きにしている彼は、仕事中でさえ客がいなければ襲いかかってくる始末だった。
「ん、ん……別れてからずっとしてませんでしたからね。オナニーすらろくにやってなかったな、そんな気持ちになれなくて」
 ゆっくり中を探るように穿たれる。両腕はおれを強くかき抱き、身動きが取れない。
「せっかくの黒髪を、もったいないな。村山は顔がいいからなんでも似合うが」
 うなじから上がってきた手のひらが、耳の後ろ、イヤリングカラーを施した場所をざらりと撫でて、ゾクゾクした。
「もう、店、開けないと」
「なら急ぐとしよう」
 うなじに噛み付かれて、声が漏れる。次第に激しくなっていく動きにベッドが揺れて、カーテンを開けようとした腕を引っ込め、口元で拳にして強く噛んだ。
 もうすぐ樹が納品してくる時間だ。もうやめないと。そう思うのに、もう頭の中はいくことしか考えられない。合田さんの腕の中は暖かくて気持ちが良くて、求められるままに身体をひらいてしまう。
「村山」
 低い、とてつもなくいい声が耳元で囁く。耳朶を強く噛まれ、音を立てて舐められる。
「あ、もう、い、きたい!」
「やけくそみたいに声を出すな。わかってるから。お前はただ気持ちよくなればいい」

 このひとの優しさに永遠に甘えていられたらいいのに。

 一瞬浮かび上がった考えを、急いで打ち消す。できるわけがない。彼は国の海上保安を、その未来を背負っていく唯一無二の人物だ。海外派遣も、そのための大切な足がかりなのだから。
 わかっている。今だけでいい。
 何も求めずただ与えてくれる優しさとあたたかさにすべて委ねて、おれはひたすら、快感だけを追った。