21 There is just one thing I need.

※影浦と成田でハッピークリスマース! 書いたことがなかったので書いてみました。
 可能なかぎり甘々にしたつもりです。このふたりだとこれが限界でした

 クリスマスというイベントは知っているが参加したことはほとんどない。
 家庭は雰囲気が気まずくなってからパーティなんてものも無かったし、社会人になってからはずっと仕事のイベントだった。それがかえって気楽だった。よく知らない人間の誕生日を盛大に祝うことの意味や理由がおれには分からなかったからだ。まあ酒が売れるので仕事柄ありがたいシーズンではあったが。
 幸福な家庭ほどイベントを大切にしているイメージがある。クリスマスツリーを飾り、ごちそうを用意して子どもたちにはプレゼント。多分、隣の影浦はそういう経験をたくさんしてきたのだろうな、と想像しながら横顔を盗み見た。その表情からは、何の感情も読み取ることができなかった。

「もうすぐクリスマスイヴだが、予定のない社員どもへ。

 ホテルのスイートを2室借りた。パーティをやるから、来たいやつだけくればいい。最高の酒、飯を用意してある。なお家庭がある者、恋人がいて予定がある者は参加不可とする。参加・不参加はメールの投票システムを利用して明後日までに回答すること。参加者には後日詳細メールを秘書から送付する。 

以上

 影浦 仁」

 一週間前に届いたこのメールに、社内は沸いた。まず女子社員の興奮は最高潮に達し、恋人との約束をキャンセルする人間すら現れた。次に男子社員は、舌のこえた影浦の用意する美食や美酒を想像してよだれを垂らした。あの代表のことだ、確実に美味いものしかないに違いない、一生飲めないような酒が飲めるかもしれない、と。何しろ飲んべえの集まっている会社である。その興奮の度合いは桁違いだった。

「ドレスコードありか」
 場所や日時と一緒に書かれている、ドレスコード:インフォーマル を見ておれがため息をつくと、影浦は鼻でハンと笑った。
「当然だ。五つ星ホテルのスイートを借りてるんだぜ。何より、このおれの前で無様な格好をするやつは許さねえ。持てる限り最高の服で来やがれと伝えておけ」
「かしこまりました。他には何か条件はありますか?例えばプレゼント交換など」
 仕事ができる三城は淡々と影浦の要望に応えてメール本文を作成している。
「そんなもんいるか。いい年した大人が恥ずかしいったらねえぜ。せいぜい腹を空かせてくるんだな、とでも書いておけ」
 得意げな影浦は、正面のソファに座っているおれを睨んだままそう言い放った。影浦の隣に座っている三城は、また淡々と「お任せください」と返答している。
「しかし、なぜパーティ?」
「今年は仕事のパーティが入ってねえからな。コロナ様々だ」
 多方面から叱られそうな発言をにやりと笑いながら言った影浦は、楽しげに足を組んだ。
「4人以上の集会となりますが大丈夫でしょうか?」
 心配そうな様子で発言したのは三城だった。おれは顎に手を当てていった。
「社員全員予防接種は済んでいるし、1テーブル4人までなら可能では?」
「体調は毎日記録させてる。問題なしだ。さて、成田」
「なんだ」
 いやな予感がする。眉をしかめて影浦と目を合わせれば、案の定の言葉がかえってきた。
「お前はサンタクロース役だ。独身社員全員の欲しいものは事前にリサーチしてある。予算は決まっているがな。おれとお前は正装して会場に現れ、その後着替えて、イベントが盛り上がってきた後半それを配る。」
「断る」
「おれもやる。拒否権はなし。三城、お前はどうする?強制はしねえぜ、セクハラになっちまうからな」
 三城はラップトップをパタンと閉じてから不敵に笑った。
「これは福利厚生イベントですからね。わたしのミニスカサンタは男性社員のみなさんにとって最高の癒やしになるでしょう?」
 おれは止めようとしたが、影浦は「ひとりまでなら持ち帰って良し。別室を取っておいてやる」とだけ言った。その後、全く理解できていないおれを尻目に、影浦と三城は固く握手を交わした。
 結局おれはいつもこのふたりに振り回されるのだ。反論しても無駄なので、黙って部屋を辞することにする。
「ただし、成田をのぞく。あいつはおれのものだからな」
「ええ~、ひどい。チャレンジする権利ぐらいくださってもいいのに」
「女じゃダメだ、分かってんだろ」
「でもやってみないと分からないじゃないですか。私の人生経験すべてを注ぎ込めば……」
 そうだった。三城は見た目によらず肉食獣なのだ。主食は「好みのタイプの男」。一度伏し目がちに「私は美しい性獣なので……」といわれたことがある。何と返していいのかわからなかったので「そうだったのか」と驚いた顔をして事なきを得たが。
 立ち去る直前に聞こえた不吉なやりとりについては、聞こえないふりをした。


 社員は全員で30名ほどという小規模な会社だが、参加希望者は最終的に15名となった。
 25日は土曜で、公休日であるのにもかかわらず。
 影浦のすごいところは、匿名の社員アンケートでも「会社にいきたくない」という回答をした社員がひとりもいない、それぐらい社員に目をかけ、十分な給与を与え(その分それなりにキツいノルマもあるが)、福利厚生に力をいれているところである。休暇は取りやすく、勤務形態も柔軟だ――数字さえ上げていれば。
 おれは影浦仁を、ものすごく自己中心的、独善的な人間だと思っていたのだが、それは私生活において、もしくは自分自身のことにおいてのみに限定されているようで、厳選して雇い入れた社員はひとりひとり、大切にしていた。
「仕事ってのは、家にいる時間より下手すりゃ長いんだ。出来たばっかの会社、まだ若いおれに人生かけてくれた奇特なやつらだぜ、この会社に雇われて良かったと、涙ながらに感謝されるような場所にしねえとな」
 ああ、と返事をしながら感動したものだ。これだから憎めない。
 本来これが会社の代表取締役のあるべき姿だが、なかなか実践できる雇用主はいないだろう。
 当日、ホテルのスイートルームに集まった社員15名は、全員、ゴージャスな服装をしていた。「人は見た目がすべて」と言ってはばからない代表の招きであるから、皆この日に備えて一張羅を用意してきたのである。そのあたりの根回しは、おれと三城がおこなった。代表様にはせいぜいご機嫌に一日を終えて頂きたいので。
「それでは、影浦代表からひとことちょうだいいたしましょう」
 今日の司会も務めている三城は、上品なミニスカートのサンタクロースコスプレで、美しい足とデコルテを惜しみなくさらしていた。男性社員は皆、三城から視線を外せずにいたが、女子社員は影浦の登場に熱心な拍手を送った。
 影浦は光沢のある、銀色に近いグレーのスーツを身につけていた。三つ揃えのスーツに、濃い緑色のネクタイが映えている。たたずまいだけで雰囲気があるのだから、ずるいよなあとため息をつきたくなる。
「しばらく飲み会ができなかったが、考えてみれば会社の飲み会なんて気を遣うだけのものが多い。交流になってコミュニケーションがスムーズになるならまだやる甲斐があるってもんだが、疲れるだけ、無駄に金がかかるだけの意味のない飲み会なんざおれはしねえ。非効率だからな」
 突然影浦節ではじまった挨拶に、歓声が沸いた。会場の一番後ろで壁にもたれてきいているのはおれぐらいのもので、他の社員はみんな、影浦のすぐ近くで盛り上がっている。
「酒の席なんてもんは、行きたいやつと行けば良い。だからこそ楽しいし、ストレス発散になる。――おれと飲みに行きたいなら秘書に言えば調整してやろう。……ふたりきりはお断りだが」
 ものすごい悲鳴と笑いが巻き起こる。悲鳴は女子社員、爆笑は男子社員だ。おいおい、そんなこと言って良いのか。予約が殺到してしまうのではないのか。
 おれの動揺を読み取ったのか、影浦が片眉を上げた。
「ただし、それ相応の実力があるやつだけがおれと飲みに行ける。わかるな?数字がとれる奴、有能な奴、そういった奴だけがその権利を手にできる。まあせいぜい頑張れ、おれに選ばれた、愛されし凡人ども」
 場の熱気が本日最高に達する。まだ何も始まっていないのに。
 何て奴だ。自分を餌に社員の士気を鼓舞している。こんな代表が他にいるだろうか?
 呆れるやら面白いやらで、顔がゆるみそうになって手のひらで覆い隠す。
「シャンパンは行き届いたか?きいて驚け、今日の乾杯は1959年のドン・ペリニヨン。好きなだけ飲むがいい……年明けからは休みなく会社の利益のために働くお前らに……乾杯!」
 さりげなく、すばやく給仕されたシャンパングラスを全員が掲げて乾杯、と唱和する。影浦は輝くような笑顔でおれを見た。めずらしい。うれしくなって、人前だというのにおれも笑顔を返してしまった。

***

 豪華絢爛のひとことに尽きるご馳走と酒の数々を、社員たちは談笑しながら平らげていく。中には「この会社に入って良かったです」と泣き出す者や、「絶対に東証一部上場させてみせます!」と鼻息を荒くするものもいた。
 三城は頼まれれば一緒に写真を撮ってやったり、孤立していそうな社員がいれば声をかけたりしていた。
「成田リーダー、さっきの代表の言葉、あれって結局、わたしたちとは飲みに行ってくれないって意味ですよね」
 部下のひとり、女子社員である南尾が拗ねたような顔で言い、おれのグラスに酒を注いだ。並々と注がれたワインのボトルには『シャトー・ラフィット・ロートシルト2010』と書かれており、ワインにそう詳しいわけではないおれもぎょっとしてしまった。こんなワインを飲み放題としてそのへんに置きっぱなしにしているのか?影浦、あいつの金銭感覚はどうなっているんだ……。
「どうしてそう思うんだ?」
 慎重に南尾のグラスにも注ぎ返してやる。彼女は「あー高い酒!!美味しいな!」と叫んでから言った。
「だって、数字上げられて、有能で、代表をお酒に誘えるのなんて成田リーダーぐらいじゃないですかあ」
 内心の動揺を隠しながら、なんとか返事をする。
「そんなことはないだろ。おれ以外にも有能な営業はいくらでもいる」
 南尾はため息をつき、胡乱な目でおれを見上げた。立っているのもなんなので、近くにあった、高そうなヨーロピアンヴィンテージのソファに座ると、彼女も間を開けて隣にすわる。
「なんていうか…おふたりの間にはだれも入れない雰囲気があるんですよ。やっぱり会社立ち上げからずっと一緒だからですかね?すごくしっくりくるというか、一番絵になるというか」
 立ち上がって、フォアグラや肉、チーズをとってきてやると、彼女はそれを「ありがとうございます!」と美味しそうに頬張った。いちいち美味いな、代表マジで何者なんだろ、とつぶやく。
「成田リーダーと誰かが話し込んでるとき、代表が絶対こっちを見てるんですよね。仕事の話でもそうですけど、雑談でも。影浦代表と目が合った!って何度も有頂天になったあとで気づいたんです、そんなときって全部、成田リーダーがほかの人と親密にしてるときなんですよ。もうめっちゃみてます、食い入るように」
 喉がカラカラに乾いてきた。この場をどうやり過ごそうか、と考えるよりも早く、南尾はにっこり笑って立ち上がった。
「代表って成田リーダーのこと大好きなんですね!可愛くて、ますます好きになってしまいました」
 おれが何かを言う余地も与えず、南尾はその場を立ち去ってしまった。呆然とその場に座っていると、今度は三城がやってきて「とんでもないワインが紛れ込んでいますね。わたしはそれなりのワインのほうが飲みやすくて好きです」と言ってにっこり笑った。
「三城……、影浦はそんなにおれを見ているのか」
「見てますよ。たぶん本人も気づいていませんけれど」
「それはまずくないか」
「何故です?愛する人はみていたいものでしょう」
 三城はおれに身体をくっつけてからふとももをそろりと撫でた。両手でそっと身体を押し返すと、「やっぱりあなたはつれないですね」と眉を下げてくる。
「仁く……代表は、成田さんをほかの人間に触らせたり、親密にさせたりするのが嫌なんです。ひょっとするとみられることすらいやかもしれません。でもあなたは代表の所有物じゃありませんから、そういうわけにも参りませんしね。頭ではわかっているけれど、感情が追い付かないんです。あなたのことをずっと見ていたい。できるならばどこかに閉じ込めて…ロマンですねえ。気持ちは理解できますが」
 わたしも成田さんのことを可能であれば監禁したい気持ちがあるのでよくわかります、と素敵な微笑みと共に言われて、背筋がぞっとした。冗談でもやめてほしい。
「遅咲きの初恋っておそろしいものですね」
 どうこたえていいのか分からず、窓の外を眺める。無数の光の粒が、そこにいる人間の生活の数を示している。仕事をしている者も、家でパーティをしている者も、ひとりでファーストフードを食べている者もいるだろう。みんな、各々の生を懸命に全うしている。それをこんな上から見下ろしているのは、分不相応でどことなく落ち着かない。
「……初恋?」
 聞き流してから、三城を振り返る。彼女は何をいまさら、という顔をした。
「今会場で流れている音楽も、成田さんの好みのものですよね?食事もお酒もあなた好みのものをそろえていますよ。このホテルだって、別件で使ったときに会社からのアクセスが良くて、ここいいな、って成田さんおっしゃったことありましたよね。それを覚えてらして。――あら、顔が赤いですよ」
 顔を隠すかわりに背けた先で、影浦がひどく酔った女子社員に抱き着かれているのを見てしまった。
「飲みすぎだ。後で死ぬほど後悔するぞ」
 自分でも驚くほどの速さでその場にかけつけ、腕をとって引き離そうとするが、まるで軟体動物のようにぐにゃぐにゃとすり抜けて影浦に絡みついていく。相手は女性なのに、心の内で「このタコめ」とののしってしまった。
 広報を担っている女子社員の石見だ。弊社の「きれいどころ御三家」と言われている女性のうちのひとりで、あきらかに影浦目的で入社してきた彼女は、もともと日本一の広告代理店に勤務していた。仕事に関しては、確かに辣腕の持ち主だ。業界につながりを持つ者も多い。だが業績を上げるたびに影浦に何かしらの報酬を強請るところがどうしても好きになれなかった。金ならいい。だが彼女が欲しがるものはいつも金以外の何かだった。握手してください、はまだ可愛いと思えたが、お姫様抱っこしてください、デートしてください、ふたりで飲みに行きたいです、ハグしてくださいなどエスカレートしていくのだと初めてきいたとき、おれも三城も顔を引きつらせた。しかもそれを知ったのは、ハグまで済ませた影浦がかなり酔ったときに「どこまで許してやろうか」と思案していたことがきっかけで、つまり彼女と影浦がふたりきりのときにそういった交渉が行われていたのだ。
 ふざけるな。美人なら何でも許されるのか、と憤慨した。相手の気持ちや、パートナーの有無を確認せずに、自分ならば(美しいから)許されるであろうという傲慢な態度に怒りが止まらない。影浦も傲慢で、ナルシストで、他人の気持ちを考えないところがあるが、仕事の報酬に性的な接触を求めたりはしない。明らかにハラスメントではないのか。――いや待てよ。大口の契約を自らとってきたときなどに、「これでお前たちの給料も上がるな。何か礼を寄越せ」とろくでもないプレイを強いられることがたまにあるな……。とりあえず今回はカウントしないものとする。
「だってえ。こんな場でもないと、代表、ガードが固くって。独身で、彼女いないんでしょ?じゃあ自由恋愛じゃないんですか?」
 言いそうになった。おれと付き合っている。おれのものだ。もちろん理性があるので我慢した。
「社員ひとりひとりに代表自ら選んだプレゼントが用意されてるが、石見はいらないんだな?」
 耳元でささやくなり、急にシャキッと立ち上がった石見が、「失礼しました」と頭を下げた。なるほど、酔ったフリか。
「そろそろ配るとするか。成田、来い」
 笑いだす寸前のような顔で、影浦がおれをあごで隣の部屋へと誘導した。サンタクロースに着替えなければいけない。もちろんヒゲはつけない。影浦の顔を少しでも隠すものは人類の損失にあたるそうだ。その主張にはおれもおおむね同意する。
「犬みたいに呼ぶな」
 一応反抗してから、少しだけ失礼、とその場を離れる。スイートを二室借りたのは、片方は着替えや荷物置き、休憩に使うためだったらしい。贅沢な話だ。
 影浦はおれをチラチラと眺めて何かもの言いたげにしていたが、おれが頑なにそちらをみなかったので、あきらめて黙々と着替えていた。

*****

 

 どうやって調べたのか、おれと影浦が配ったプレゼントはどれも非常に喜ばれた。中には涙を流して喜ぶものまでいて(袋の中身をのぞいたのはもらった本人だけなので、中身は分からないが)、影浦の謎の能力に戦慄した。多分人を使って調べさせたのだろうが、クリスマスプレゼントのために、そこまでするか?
「さっきはすみませんでした」
 石見にプレゼントを渡したのは、影浦ではなくおれだった。女子社員にはおれが、男子社員には影浦がプレゼントを渡して回ることにしたのだ。その意図はよく分からないが、どさくさに紛れて影浦に抱きついたりする女子社員は想像に容易いので、おれとしては願ったり叶ったりだった。
「さっき?」
「代表のパートナーの目の前で不快なことしちゃって」
 思考が停止した。声は小さかったが、たしかに聞こえた。
「パートナー」
「そうでしょ?肉体関係持ってるふたりって、傍から見れば分かりますよ。でもそれって男性のパートナーなのであって、女性のパートナーは私でもいいはずですよね。だって代表はどうみてもヘテロだし」
 他の社員はみんなもらったプレゼントに気を取られていて、窓辺でひそひそ話しているおれと石見のことなど眼中にない様子だった。それでも肝が冷えて、声が低くなる。
「職場でする話じゃないな」
 彼女は片眉を上げて、笑い混じりに言った。
「どこなら許されるんです?」
 こたえに窮していると、彼女はため息をついた。
「一体どんな手を使ったんですか。ヘテロの男性をたらし込むなんて。代表って性的好奇心強そうだから、身体でも使いました?言いふらしちゃおっかな、そうしたらどうなりますかね~。男性部下の信頼が厚い成田リーダーでも、気持ち悪がられちゃうかもしれませんね」
 そのときはじめて、石見の眼にある明確な敵意と悪意に気づいた。そうか、おれがゲイだと気づいていて、嫌悪しているのだ、と心が沈む。誰でも同性愛者を受け入れられるわけではないし、それを強要することもできない。だがここまでむき出しでぶつけられるのは久しぶりのことだった。
「おれのことは好きに言えばいい。言いふらしたければ好きにしろ。ただ、」
 この場から早く離れたい。でも言うべきことは伝えたかった。
「影浦に危害が及ぶようなことがあれば、どんな手を使ってもお前を追い出す」
 彼女が小さく震えたのをみとどけてから、その場を離れる。
 プレゼントを配り終えた影浦が「貴重なサンタコス!!」と社員たちに写真を撮られているのを見て、荒んだ気分がすこしだけ和んだ。

 最後の社員をタクシーに乗せて、ようやくパーティが終わったのは夜中の1時を過ぎたころだった。
「何があった。途中からおかしかったぞ、お前」
 なるべく態度には出さないようにつとめたつもりだったが、やはり影浦にはばれていた。影浦は、パーティ会場のスイートルームとはまた別の、ディプロマットスイートという客室におれを連れて行き、足を広げて偉そうな態度でソファに座っている。部屋の中には何故かグランドピアノが置いてあり、最上階ということもあって、夜景がものすごく美しい。壁に上品に飾られている絵画や、様々な本。最高級の酒が用意されているミニバー。
 部屋着に着替えている影浦は、けだるそうな顔ではあったが、追求をやめるつもりはなさそうだった。おれが応えられずにピアノの前に座っていると、後ろから抱きしめるようにして両手が伸ばされ、鍵盤に指が沈んだ。長くて細い影浦の指が、正確に鍵盤の上をなぞる。
「All I Want for Christmas is You?……すごいな、仁はピアノも弾けるのか」
「簡単な曲ならな」
 おれの隣に無理矢理座った影浦が、マライア・キャリーの名曲をすらすらと弾いてみせる。
「この歌詞の意味を知っているか?」
「どの部分だ」
 誰も意味なんか考えずに聴いているんだろうな、と影浦は楽しげにささやいた。それはとても甘い声で、ささやくように歌いはじめる。「I don’t want a lot for Christmas……」
「There is just one thing I need……」
 続きをおれが歌うと、影浦は楽しそうに眼を細めて笑った。
 そうだった。どうせすべて知られている。ばれている。
 今日までに、何度も「何かほしいものはあるか」と影浦にきかれた。そのたびに「何もない」「何もいらない」と返してきたのだが、一番ほしいものはいま隣にいる。おれはいつだって、それで充分だった。
 酒も入っていたので、おれも影浦のとなりで適当にピアノを弾いて一緒に歌った。違う、そうじゃねえ、と舌打ちされながら、結局影浦は笑って歌っていた。多分影浦仁の歌声を知っているなんておれぐらいではないかと思う。サンタクロースの衣装からまたスーツに着替えていたおれは、ネクタイをゆるめて、腕まくりして歌った。子どものころから、耳にタコができるぐらいきいている曲だったので、なんとなくでも雰囲気が似た和音は弾けた。
「仁がこどものころは、どんなクリスマスを過ごした?」
 ピアノに飽きた影浦は、隣から腰を抱いて耳を舐めてきた。おれも同じように耳を噛む。笑い混じりの声が、「両親と過ごしたことはねえな。毎年はつか、兄姉の誰かと過ごすかだったな」と意外な答えを返してきた。
 驚いて顔を離すと、なんだ?という顔で影浦がのぞきこんできた。
「まだ10にもならねえころかな。姉とロンドンでクリスマスを過ごしたときは楽しかった。欧州のクリスマスはいいぞ。家は辛気くさくてかなわねえ」
 想像していたのと違った答えだった。だがすぐに思い出した。影浦とおれの少ない共通点のひとつが、「幼少時の孤独」だということを。
「お前は?」
 質問に、どう答えたものか悩んでいると、「まあ、そんなことはどうでもいい」と影浦が突然言って、おれを肩に担ぎ上げた。相当重いはずのおれを軽々と担ぎ上げると、広いベッドルームに連れて行き、ぽいと放り投げる。
「悠生、お前には特別なクリスマスプレゼントをやろう。このおれだ」
 吹き出してしまった。影浦も笑っている。自分でもおかしいらしい。
「うれしいだろう?泣いて喜べ」
 得意げな顔がたまらなくかわいかった。
 服は脱がされる前に自分で脱いだ。確かに、一番ほしいものではあった。
「嬉し泣きはしないが、もらえるならもらおう」
 首に腕を回して、覆い被さってきた影浦を抱きしめる。数センチ先の顔は、柔らかく微笑んでいた。それだけで、石見のことなどどうでも良くなった。誰に何を言われようが、おれのすることはひとつだ。
 何があっても、絶対に影浦を守る。

***

 目が覚めたとき、影浦の姿はなかった。代わりに、ベッドサイドのチェストに置き手紙がおいてあった。

「ずっとつけてろ」

 それだけが書いてある。走り書きだが、字はとても美しい。
 何のことかわからずに、しばらく裸のまま立ち尽くした。
 部屋の中はあたたかく、風呂が沸かしてあったのでとりあえず入ることにした。おれは今日休暇をとっているが、影浦は外せない仕事があるときいていた。
 広い風呂の中で顔を洗ったとき、はじめてメモの意味を知った。左手の薬指に、いつの間にか指輪がはめられていたのだ。
 湯船につかって、光に透かして眺めた。浴室の照明が反射して、傷ひとつないプラチナリングがきらきらと輝いている。ダイヤや装飾のない、シンプルなリングだった。
「……ハリー・ウィンストン……またこんな高いものを」
 リングを外し、内側に秘められた刻印を見て、おれはそのまま湯船に沈んだ。ダイヤモンドのついていないマリッジリング。これが意味することを分からないほど子どもではなかったが、あの影浦が、プライドの高さがエヴェレストを超えているあの男が、まさかこんなことをするとは思わなかった。
 そこにはこう書いてあったのだ。

『You’re my man』

 勢いよく風呂から出る。急いで着替えて身なりを整え、携帯端末で最寄りのハリーウィンストンを調べてみたが、なんとこのダイヤモンドのついていないマリッジリングは日本国内未発売のモデルだった。同じものを買って、セックスして寝ている間につけてやろうと思ったおれは、ひどく落胆した。
「今は海外に行けないからな……待てよ」
 そう考えてみると、このコロナ禍において指輪を用意したのは一体いつのことなのだろう。影浦のことだから、海外渡航する方法なんて一般人に比べればいくらでもあるのだろうが、それにしたってすごい。サイズもぴったりだった。何をさせても如才ない男に、喜びと同時に悔しさがこみ上げてくる。おれだって、お前に指輪をつけさせたい。虫除けになるかどうかは怪しいが、おれだけが独占しているような錯覚を楽しむぐらい許されるはずだ。
 ホテルの部屋の中をうろうろと歩き回り、それなら似たような、別の指輪を探そうと部屋を出たところで、影浦と出くわした。仕事を終えていったん戻ってきたらしい。急いでいたのか、髪が少し乱れていた。
「もう起きたのか。昼食に出るぞ、上着を用意しろ」
 部屋に入ってきた影浦が、すれ違い様に額に口づけてくる。まるで新婚のような甘さに、顔どころか全身が熱くなった。
「それとも、おれに選んでほしいのか?」
 顎を指でなぞられる。
 その左手の薬指に、まったく同じ指輪がはまっているのを見て、目を瞠った。

***

「代表の指輪、もはや隠すつもりありませんね。噂になっていますよ」
 わかっている。朝出勤してから、ずっと全社員からの刺すような視線を感じていた。
「分かる……だろうか」
 恥ずかしい。だが外したいとはどうしても思えない。
「そりゃあ、おふたりとも目立ちますからね。同じ日に同じ指輪をしてきたら、どんな鈍い人にも意味伝わっちゃいますよ」
 やり口が実に鮮やかで、ロマンチストな仁くんらしいですねえ、と三城が苦笑し、コーヒーを一口飲んだ。おれが周囲に視線を投げると、みんな慌てて目をそらす。三城との雑談すら聞き耳を立てられているのが分かって憔悴した。
「まあ、気づく人は気づいていたみたいですから。いいんじゃないですか?石見さんのような面倒な輩もこれで静かになるでしょうし」
 結婚したということでよろしいのですか?と問われて、飲もうとしたコーヒーをスラックスのうえに少しこぼしてしまった。
「ゲホ、してない」
「あらそうなんですか。それってハリー・ウィンストンのマリッジリングですよね、なのでてっきり。でも指輪って、独占欲露わで燃えますね、ウフフ」
 両手で顔を覆い隠す。本当にはずかしくなってきた。
 部下が出勤してくるたびに、おれと指輪と影浦を交互に眺め、何かを悟ったように静かに席に座るのがいたたまれない。せめて誰か何か言ってくれ。どうして誰も何も言わないんだ?
「良いクリスマスだったみたいで、安心しました」
 三城がまとめるようにそう言い、窓の外を見た。おれも助けを求めるようにそちらに視線を投げる。
 こちらを向いていた影浦が、にやりと笑ってからわざとらしく左手で髪をかき上げてきた。その薬指にはおれと同じ指輪があって、見ないようにしても自然と眼に入ってくる。
 悔しかったので、声を出さずにいってやった。
『You’re my man』
 顔を背けた影浦の耳が赤くなるのを見届けてから、席をたつ。
 もう朝礼の時間だ。今日も元気にビール売りをやらなければいけなかった。