22 上司が社長とデキている件

 

 私の上司はとにかく身体が大きくて無表情な人なので、初めて大きいミスをやらかしてしまったときは怖くてチビリそうになってしまった。ホウレンソウは社会人の常識である。それは私にだってよく分かっていたので、怖くてチビリそうだったけどちゃんと報告した。頑張ったね、当時の私。
「すぐ報告してくれて助かった。じゃあ行くか」
 彼は全くわたしを叱らなかった。どうしてそうなったのか、原因を考えさせて次回以降の対策は練るように言われたけれど、声を荒げたり、しつこく叱責したりしなかった。それどころか、すぐに先方に謝罪にいこう、こういうのはスピードが命だ、おれが説明をするから、と驚くべき速さでフォローしてくれた。
「成田リーダー最高に男前だよね。おれめっちゃくちゃ好き。前の会社の上司に爪の垢煎じて1リットル飲ませたい。朝礼で激詰めされたりプロジェクトの失敗を全部押し付けられた淡い思い出がよみがえって殺意が湧くわ」
 同じく成田リーダーの部下である佐平くんが、そのときの話を同期会のたびにしてきて少しうっとうしい。いわく、男惚れするような要素が満載だ、成田リーダーになら抱かれてもいい、等、心酔していると言ってよかった。
 成田悠生、というのが私の上司の名前だ。彼はかつて甲子園でその名を全国にとどろかせた、成田周平さんのお兄さんらしい。
 身体が大きいといっても、余分な脂肪は1グラムだってついていない。スーツが良く似合う、厚みのある鍛え上げられた肉体の持ち主で、身長が高いから迫力が違う。私は160センチほどの中肉中背女なので、隣に立たれると影ができる。声も低くて、男性社員からは「男前」「あんな男にしびれる憧れる」などの好評を得ているが、女性社員からは遠巻きに見られることが多い人だ。
「顔もかっこいいじゃん。目つき鋭くてさ。ちょっと近寄りがたいけど整った顔してるよね。いや~ああいう人が独身だからゲイだとか陰口いうやつが出てくんのかな」
 佐平くんの言葉に悪気は全くない様子だったけれど、私は不快な気持ちになった。
「それ言ってるの石見さんでしょ。成田リーダーが代表と仲いいの僻んでるんだよ。嫌な女」
 ガード下の焼き鳥屋が主な同期会の開催場所で、参加率100%なのは私と、軟弱な佐平くんのふたりだけだった。石見いわみさんは転職組でわたしたちの同期だけれど、メリットがないと判断しているのか滅多に参加してこない。まあ飲み会なんて行きたい人だけくればいいけどね?外資系企業と合コンするときだけは絶対来るあの女が来なくても全然困りませんけど?
 もくもくと立ち込める煙の中で、焼き上がったねぎま串をがじがじとかじる。佐平くんは「うわー、ほんと南尾はイワミーナのこと嫌いな~」と言って笑っている。
「変なあだ名つけちゃって。男はああいう女好きだよね~」
 腹が立つ。わたしのような女の営業のことを、影で無能だの女使ってるだのぬかしているアンタのほうこそどうなのよ。
 媚びるような上目遣いと高い声で、男を上手く使って世渡りしようとする。ああいう女がわたしはこの世で一番嫌いなのだ。同じ美人なら、三城さんを見習ってほしい。才色兼備、超肉食系、代表と互角に渡り合う、成田リーダー以外の唯一の存在。
「誤解しないでほしいんだけど、おれは三城さんの大ファンだから。あの人のためなら死ねる」
「死なれても困ると思うわ、死体の処理に。全然望まれてないし」
「ひっでえ」
 すみませーん、と佐平くんが店員さんを呼び、ふたりぶんのビールを注文してくれた。この店は佐平くんの顧客だ。だからわたしたちは、うんと貢献しなきゃいけない。恩着せ、恩売り、義理果たし。営業にはまだまだ古い慣習が残っているが、案外嫌いではなかった。
「ゲイだっていうのは、悪いことなの?」
 成田リーダーは、おそらく異性に興味がない。それは彼の普段の態度を見ていれば分かる。したがって、石見さんが言いふらしている「成田さんって、かっこいいのに独身だよね。ゲイなんじゃない?」という笑い交じりの揶揄が、実は真実なのではないか、と踏んでいる。
 だからなんだというのだろう。私にとって成田リーダーは成田リーダーだ。
「悪いことではないけどさ、びっくりするじゃん、もしそうなら……」
 キレた顧客に灰皿を投げられたときだって、なんのためらいもなく私の前に立って手刀で地面に叩き落してくれた。酔っぱらいに絡まれたときも、遠くから飛んできて助けてくれた。
 誰よりも仕事熱心で、知識がある。部下の言葉にも真摯に耳をかたむけてくれる。大好きな、尊敬している上司だ。
「もしそうなら?」
 言い淀んだ佐平くんに先を促すと、彼はビールをごくごくと飲みほしてから腕を組んでうなった。
「イケメンなのにもったいなくね。遺伝子残せねえし」
 私は即座に反論した。
「人間の存在意義って遺伝子を残すことだけなの?」
 佐平くんは目を見開き、「ふぁー」と変な声を出した。
「考えたこともなかったな。なんかそういうもんだと思ってた」
「そういうもんって?」
 彼は食べ終わった串を竹筒の中に入れながら私に向き直った。
「結婚して子どもつくってめでたしめでたし、それが人生の目標なんかなってなんとなく思ってたな。けど、南尾と話してたら確かにそんなもんは刷り込みで、人生本来の目的じゃねえなって気がしてきた」
 いつも適当なことばかり言っている佐平くんが珍しく真剣な顔で言うので聞き入ってしまった。じゃあ人生の目的って?と問いかけると、彼はのんきな笑顔でこう言った。
「幸せになることっしょ」
「なるほど」
 単純だなー、と言いたくなったけれど、真理でもあった。わたしも腕を組んで考え込む。
「人生の目標は幸福になること……、だから女は美しさを求め、金を持つ男を求めるわけね。経済的な安心は幸福につながるから」
 でもそれだけじゃない。
 それだけじゃ、あまりにも悲しい。もっと純粋で、損得勘定のない愛があったっていいじゃない、と心の中でつぶやく。きれいごとだと分かっているけど。
「そっか。だから別にリーダーがゲイでも幸せならそんでいいな」
 佐平くんは唐突にそう言って、めでたしめでたし、と勝手に話を終わらせてしまった。私はあっけにとられ、それから大笑いした。
「ほんとだ。幸せならそれでいいね。石見さんはアホだなあ」
「イワミーナの悪口はよせ、おれの仲いい同期はイワミーナのことが大好きなんだ」
「どうせまるで相手にされてないでしょ」
「それは否定できない」
 わたしたちはビールをふたたびおかわりした。そして、代表の話になった。
「うちの俺様社長いるじゃん、あの人がいつもいってるよな。自分の頭で考えろ、って。あれってすげえ大事なことだなって今思ったわ。いつの間にか周りが決めたこととか、言ってることが当たり前って思いこんでることあんだな」
 影浦代表は説教じみた訓示などしない人だ。けれど、この言葉はきいたことがあった。
「人って本当の意味で「考える」ことをしないんだって言葉だよね。考えるのは面倒だから」
「けどさ、代表もいまいち説得力ねんだよな。イーサンに対してめちゃ風当たり強いときとかあったし。頭で考えるなら、イーサンは優秀だしもうちっと仲良くしてほしい~」
 うちのマーケティング担当のアメリカ人、イーサン。彼に対して代表がきつく当たるのには理由がある、気がする。おそらく佐平には分からないだろうけど。私にはなんとなくわかってしまう。
「それは……成田リーダーにしつこく言い寄ってたからじゃないの」
「イーサンが?!マジ!?単に代表がイーサン嫌いなだけだと思ってた」
「一時期すごかったよ。今はないけど」
「イーサンがゲイってのはおれも知ってるけどさ、確かパートナーいたよな。日本に同伴してなかった?」
 うん、と言葉少なく返事をする。成田リーダーは、曖昧な答えで相手に期待を持たせるような人じゃない。イーサンの誘いについても、何度もはっきりと断っていた。
「それなら納得だな。社内でセクハラ良くない。悪さをするなら社外に限る」
 いまいち引っかかる物言いだったものの、おおむね同意できる内容だったので「そうだね」と相槌を打った。
 それから佐平がいま狙っているという他社の女の子の話になって、会社の話は流れていった。けれど佐平の話に相槌を打つ私の頭の片隅には、ずっとあの時のことが再生されていた。イーサンが成田リーダーに言い寄っていたころ、あの時のことが。 

***

 

 情熱的だなあ、と若干引きながら見ていたのははじめの数か月ぐらいで、次第にイーサンの、あまりにもめげないしつこさに隣に座っている私ですら困惑が募っていった。
 そう、まさにさっき佐平との話に出ていた、イーサン・ジョンソンのことである。
 彼は整った容姿をしている魅力的な男性だけれど、それを鼻にかけていることが透けて見えるような態度をとっていて、萎縮してしまう日本人の社員が多かった。日本語が堪能なのだけれど、難しい話になると英語で話したがることも影響していたのかもしれない。
 成田リーダーは誰に対しても特に物怖じせず同じ態度をとる強いメンタルの持ち主のため、大した英語力もないのに堂々とイーサンと議論し、時にぶつかっていた。私は素直に尊敬した。自分の英語力に自信がないから、とてもじゃないけどあんなふうにやりあえない、と思っていた。
「君が好きだ。もっと親しくなりたい。ファーストネームで呼んでもいいかな」
 椅子に座っている成田リーダーに、イーサンは椅子を抱くようにして隣に座り(そこは私の席だった)、真剣な顔で囁いた。けれど成田リーダーは、
「職場で名前で呼ばれたくない。ここはそういう場所じゃない、仕事をする場所だ」
 と言ったのだ。欧米の文化など知ったことか、といった堂々たる態度だった。ところがその態度が、ますますイーサンの情熱に火をつけてしまった。彼は毎日毎日、仕事にかこつけて成田リーダーを口説きにきた。 

「じゃあ、ふたりで飲みにいこう」
「ランチでもいい」
「君の眼に見つめられると息がとまりそうだ」
「君の隣にいる幸福な男は僕じゃダメかな」 

 などなど。
(ほかにも色々、胸やけしそうなぐらい盛りだくさん) 

 いい~~~~~加減にしろ!!
 ……と叫びたかった。成田リーダーは根気強く断り続けていた(おそらくイーサンの能力を買っていて、辞められては困ると思っていた)が、しつこいしつこい。
 ほかの社員はどちらかというと面白がっていて、真剣にとらえてはいない様子だった。それがますます私の気を滅入らせたのだ。
「あの、リーダー。ちょっと……あんまりじゃないですか。私、代表に相談しましょうか?」
 仕事帰り、ふたりになったときを見計らって声をかけると、彼は全く気にしていない、というような平然とした顔で「それはやめてくれ。自分で対処するから」と言った。
「でも、困ってますよね」
「困るというか……、ありがたいけどしつこいな」
「困ってるじゃないですかあ!」
 リーダーは目を丸めてから、少し笑った。その顔がとても素敵だったので(滅多に笑わない人だから)ドキドキしてしまった。
「影浦…、代表は忙しい。くだらないことで手を煩わせたくない」
 そう言われてしまって、私はぐっと黙り込んだ。確かに、男性が男性からセクハラを受けている、というのはなかなか訴えにくいことなのかもしれない。自分でなんとかしろと言われかねない。……影浦代表はそんな人ではないと信じたいけれども。
 どうすればいいんだろう、と悶々としている日々は、そう長く続かなかった。
 あるとき代表がイーサンを応接室に呼び出したのだ。 

 私が気をもんでいたことを分かっていたのか、事前に代表からメールで連絡が来た。
 シンプルな内容だった。たしか、明日イーサンと話をするから問題ない、とかそんなことだった。2行か3行程度の。
 どんな話をするのか気になった私は、応接室のすぐそばで聞き耳を立ててみた。業務時間終了後だったので、社員はほかにおらず、執務室はしんとして寂し気だった。
 ブラインドが閉められていて中がみえないことが多い応接室だが、今日に限って一部開いているところがあった。ちょうど代表がこちらを向いて話をしており、中には当事者である成田さんと、呼び出されて不満げなイーサンが立っていた。
「職場で成田に言い寄るのは今すぐやめろ」
 めずらしく感情的な物言いだと思った。代表はいつもにこやかで、不敵な笑みを浮かべて自信満々に話す。こんな風に苛立ちを表に出すことはめずらしかった。
「何故。彼はフリーなんだろ。ダメな理由が分からない」
 成田リーダーはため息をついていた。そりゃあそうだろう。上司の目の前でこんな話をされたら溜息のひとつもつきたくなる。
「理由ならある。成田はおれのものだからな」 


 

 ん??いまなんて?? 

 耳を疑ったあとは目を疑った。影浦代表は成田リーダーのネクタイを掴んで引き寄せると、イーサンに見せつけるようにキスをした。それも、めちゃくちゃねちっこい奴だ。軽く唇を合わせて…とかではなく。 

「おれのものにこれ以上手を出してみろ。会社どころか、日本にいられなくしてやる」

 成田リーダーに突き飛ばされても全く意に介さない、という様子で腰を抱き、呆然としているイーサンにそう言い放つ。
 

 呆然としているのはイーサンだけではない。私も同じだった。 

****

 

 その日をきっかけに気づいてしまった。
 代表の、成田リーダーをみつめている時間と数の多さに。また逆もそれなりにあった。冷静沈着な成田リーダーが熱くなったりむきになったりするのは、影浦代表相手だけだった。
「……これが巷で噂のケンカップルか~」
 少女漫画で読んだことがある。はじめは対立しているふたりが、次第にお互いを認め合い、愛し合うようになる、ってやつ。

 なるほどですね……これが…なるほど…。そうですかあ。
 ほかにどう表現すればいいのか分からない。この感情を。 

 どうしていいのか分からなくなって、三城さんに相談したとき、彼女は困ったように微笑んで唇に人差し指を当ててみせた。とんでもなくセクシーな口封じでびっくりした。貝のように黙るしかないな、と強く感じた。
「そういうことなので、あたたかく見守ってあげてください」
「知っていたんですか」
「ええ。とてもお似合いなふたりではないですか?」
 彼女の視線は純粋な羨望しかなく(それは成田リーダーに注がれていた)、なんだかほっとしてしまった。
「確かに……、静と動、柔よく剛を制すみたいな感じですね」
 自分でも何を言っているのかわからないが、彼らが隣にいる姿を見ていると、ものすごく胸がときめくというか、あたたかく胸に押し寄せるものがあった。
 お似合い。そうだ、その通りだ。
 まったく異なった性質の、うつくしい雄がふたり並び立つ。絵になる。最高だ。納得感がすごい。
「この感情を正確に表現する言葉が思いつかないんです。私には語彙がない」
 仕事中であるにも関わらず隣で頭を抱えた私を、三城さんが慈愛に満ちた眼差しで見つめてくる。女神、実在したわ。ここにね。
「尊い、では?」
「え」
「その感情に名前を付けるなら……尊い、が的確ではないでしょうか」
 わたしからすれば、仁くんに成田さんはもったいないのですけれど、と不満げにつぶやいた言葉を差し置いて、私は「それだ!」と叫んだ。
「尊い。それですよ。尊い……ふたり並んで話している姿をみかけると、五体投地で祈りを捧げたくなるぐらいです」
 三城さんは、私の言葉に耐えきれないというように顔をそむけ、身体を振るわせた。
「女なんてお呼びじゃないってんだ……、石見さんめ、ざまあみろ」
 ぶつぶつ言いながら席を立つ。三城さんが心配そうにこちらを見ていたので、安心させるように言って見せる。
「三城さん、人はね、幸せになるために生きているんですよ。だから、成田リーダーと代表が幸せならオッケーです」
 また訳の分からないことを言ってしまった、と後悔したのもつかの間、今度は三城さんが声を上げて笑ったので、それはそれで良しということにした。 

ーーーーおまけーーーーーー

12・26指輪事件 

南尾「指輪と来ましたかあ」
佐平「こんなときどんな顔すればいいかわかんねえわ」
南尾「祝福すればいいと思うよ」
佐平「リーダーと無駄に話したら代表がこええから嫌ダス」