10 (一保)

 自分の顔が見える。
 異常に青ざめていて、生気がまるでない。かっこいい顔が台無しだ。
 成一と千葉がおれの周りに立っていて、それはもう、酷い顔でぼんやりと立っていて、母ちゃんはおれに縋りついて泣いている。深雪は泣きわめきながらおれの胸を叩いていて、親父はそれを後ろから支えている。
『まてまて。ここにいるんだけど』
 話しかけたつもりだったが、誰もおれに気付かないし、声も聞こえていないみたいだ。
 もしかして、おれ、死んでる?
 いやふざけている場合ではない。
 これ完全にダメなやつだ。死んだやつだ。
『マジか…』
 意味がわからない。
 駆けつけてきてくれたらしい合田隊長とかなっちゃんとか、綿谷いつかの姿も見える。いつかが来た途端、千葉が成一の腕を掴み、一緒に廊下に出て行って何事かを叫んでいる。そちらに行きたいと思うのだが、どうやらおれはこの部屋の、ベッドの上から動けないらしい。身体…身体といっていいのか分からないが…を動かしてみる。死んでいる自分の上に重なってみた。よく映画なんかで、肉体に魂が重なったら復活!みたいなやつを見るのでやってみたが、一昔前に流行った「幽体離脱~(リアル)」になって全然ダメだった。
 ちょっと真面目に考えてみよう。死んだことを悲しむ前に原因を知るべきである。
 綿谷いつかが家に来た。お前は死ぬ、的なことを言われて、成一がナーバスになって、高校生カップルみたいな頻度でメッセージを送ってきた。いや、あれは年頃の娘を持つ父親か何かか?「家についた?」とか「おはよう、ハンカチ持った?」とか「何時に帰ってくるの、よかったらうちに遊びにおいでよ」とか。そうだ、何度も成一とデートした。何故かあいつの元カノにも会ったし、三嶋先生と六人部さんと成一のお義姉さんと5人で遊んだ。
 その間何も起こらなかったから忘れていたけど――いまおれ、死んでるじゃないか!
 深雪の腕時計を覗き込む。デイトを見ると12月21日。あれから3日が経過していた。
『……なにがあったんだっけ、本気で思い出せねえ』
 自分が死んだ理由が思い出せないのに成仏もできないなんて地獄だ。必死で頭を回転させたけれど、車で轢かれたらしいから、その衝撃で記憶が飛んだのかもしれない。
『傘……』
 断片的な記憶はいくつか残っている。女物の傘、それもすごく高そうなやつ。それに雨。視界が悪くなるほどではない、小雨だった。あと…あとは……タイヤだ。急ブレーキを踏んだタイヤの、焦げたような匂い。車に撥ねられたとき、何かが大量に空を舞っていて、苦痛という苦痛を集めたみたいな痛みは一瞬で、すぐに意識がなくなったこと。――誰かと、会っていたこと――直前に――
『クソ!』
 モヤがかかったみたいに、自分の記憶に接続できない。これはやっぱり、おれの本体が死んでいるからだろうか。そもそもここにいるおれは何なんだ。魂なのか、それとも幽霊なのか。誰か教えてくれ、頼むから。 

「うそよ、また子どもを失うなんて、こんなの嘘よね、夢かなにかを見てるのよね」
 母ちゃんが呆然とつぶやいた言葉に、おれも、親父も、深雪も顔が強張る。そんなわけないのに、航太郎のことは、おれ以外覚えていないはずなのに。
「何言ってるんだ、しっかりしろ」
 親父の声が震えている。見開いた深雪の大きな眼、おれにそっくりな目から、涙がぽろぽろ落ちる。可哀想でたまらない。拭ってやりたいのに、おれの手や足は誰にもさわることが出来ずに通り過ぎるだけだ。
「本当に忘れてるんだ」
 小さい声だったが、おれには聞こえた。
 病室の入口で囁いたのは、綿谷いつかだった。くたびれた様子でひとり言のように言った言葉の意味が分かって、おれはあいつに走り寄ってぶん殴りたくなった。
――家族みんな、忘れたくて忘れたわけじゃない。そういう決まりだったんだ。
「可哀想な村山航太郎」
『やめろ!』
 ここから動けないのが恨めしい。どうしてあいつは余計なことを言うんだ。おれの家族を傷つけないでくれ、これ以上哀しい気持ちにさせないでくれ。
「……」
 合田隊長は黙って立っている。踏ん張るようにして、病室の隅で、おれをじっと睨みつけていた。
 まるで目が合ってるみたいに。
 そんなはずないのに。