手紙を書くのは初めてなので、失礼があったらごめんなさい。
 私は普段手紙どころか本もほとんど読まない生活をしています。それには理由があって、ふつうのひとよりも字を読むのが苦手で、とても時間がかかるのです。会話や日常生活には問題ありませんが、書いてある字を読んで頭のなかで言葉としてつなげるのが苦手で、今もパソコンの、音声入力機能を使って手紙を書いています。(手書きが望ましいということは分かっているのですが、字を書くのも得意ではないため、許してください)
 子どものころから、親には怠けている、頭が悪いのだと言われてきました。特別傷つくこともなく、そうかもしれないな、と受け止めて生きてきました、なぜなら両親もあまり賢い方ではなかったからです。
授業を理解するのにも時間がかかりましたが、先生の声での説明は理解できたので、周囲の人間に助けられながらなんとか大学まで卒業することができました。
 はじめて先生の書かれた小説を読んだのは、高校生のころでした。字を読むのが苦手だった私にとって、小説を読むなんてとてもじゃないけれど無理だ、とあきらめていたのですが、どうしても読みたくて、毎日少しずつ読みました。たぶんふつうの人の3倍ぐらい時間をかけて、読み終わることができたとき、生まれてはじめて泣きました。それまで「泣く」ことは時間の無駄でしかないと、絶対にそういった無駄なことはしないと決めて生きてきたのに。
 私には複数の問題があります。字の読み書きが苦手なことだけではありません。人の感情の機微にうとく、恋愛感情というものが理解できないのです。人が人を恋しく思う気持ち、求める気持ち、そういうものがどうしてもわかりません。時がくれば分かるのかと期待していましたが、高校生になっても全くピンときませんでした。
 言い方が難しいのですが、この小説を読んで、私は自分の気持ちを強く自覚しました。そして涙が出てきました。恋愛感情が理解できないのではなく、知らなかったのだと。この日のことは一生忘れないと思います。

(へたくそな文章でごめんなさい。担当編集者というものが内容を確認すると聞いたことがあるので、どうかこんな手紙を先生に読ませないでください。出版社の人ならもっとうまい言葉が思いつくと思うので、この手紙を渡すのではなく、口頭で概要を伝えてはいただけませんか。どうしても書きたくなって書いてしまいましたが、やっぱり先生に読まれるのは恥ずかしいので)

次の作品も楽しみにしています。

   
                   六月十七日   匿名のファンより

 二作目もすごく面白かったです。
 前の作品とはずいぶん違う内容だな、と思いましたが、私は先生の書く言葉が好きなので(ほかの小説をほとんど読まないので、あてにならないかもしれませんが、他を読む必要性を感じないのでいいような気がしています)
 字を読むのが苦手だと前にお伝えしましたね。今でもそれは変わりません。ですので、読み終わってすぐに感想を書きたいと思ったのにも関わらず、こんなに遅くなってしまいました。
 主人公や脇役、他のキャラクターについて共通して言えることですが、先生は視線がやさしいですね。問題を抱えた人間や、悪い人間に対しても、先生の言葉や描き方には温度があります。そういうところがすごく好きなのです。
 ううん、上手く言えなくてごめんなさい。好きなものを好きな理由について説明することが、こんなに難しいとは思いませんでした。

 先生が雑誌で好きだと言っていた、田村隆一の詩も読みました。言葉なんか覚えるんじゃなかった、と始まるあの詩、『帰途』です。

『言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
 ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
 ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる』

 確かに、言葉を覚えてしまったせいで、感情に名前がつき、明確になって、逃げられなくなる、傷つく、そういうことってありますね。知ってしまったせいでつらい。それは私にも分かります。先生の小説を読んで自分の恋を自覚したとき、ああ知るんじゃなかったな、と正直後悔してしまいました。知らなければ、自分以外と寝たり時間を過ごしたりする相手に苦しむこともなかったわけですから。
 でも私は、先生が言葉を知ってくれてよかった。先生が言葉を知っていて、それを使って物語を読ませてくれて幸せです。手紙を書くだけでこんなにも苦しいのだから、小説を書くなんて途方もなくて想像もつきませんが、私は誰が何を言おうが、 どんなくだらない批判にさらされようが、ずっと好きです。あなたの書くことば、物語が大好きです。
 
(この手紙もやはり恥ずかしいので、先生には渡さないでください。今後もそのようにしていただけると嬉しいです)

                  十二月二十一日 匿名のファンより

 こちらでは寒い日が続きますが、日本の気候はいかがでしょうか。
 わたしは今ドイツでこの手紙を書いています。
 仕事の関係で、海外をあちこち飛び回っているのですが、先生の本が出たらあの手この手を使って入手し、遅いながらも読んでいます。いつまで経っても読むのが遅いので、雑誌なんかのゲラを渡されたとき(仕事で、たまに雑誌に載ることがあります)、チェックをすることすら億劫で、ほとんどエージェントに任せきりです。
 それでも先生の小説は読みます。毎回違った驚きや発見、よろこびがあって楽しいからです。
 三作目は少し難しくて、理解するまで時間がかかってしまいました。二回読んで、ようやく「こういうことかな?」とつかめてきたような感じです。
 先生の作品には一貫したテーマがあるように感じます。選ぶモチーフはそれぞれの作品で全く違っているのに、根底に同じものが流れていて、私はそれを愛しています。小説を読むのが苦手な私でも理解できる、読みやすい言葉を選んでいるのに、面白いのです。それでも今回は入り組んでいて、もう1回読んでみようかなと思っています。
 差別を描いた作品だったので、胸に刺さるものがありました。自分自身がどちらかというと差別され、異物としてはじかれやすい人間だからか、主人公の感じる苦しみが自分のことのように感じられて、正直にいって読むのがしんどい作品でもありました。(私は字の読み書きが苦手なこと以外にも複数、人と違ったところがあり、外見にもひとつ大きなコンプレックスがあります。そのため、人と目を合わせるのがあまり得意ではありません)
でも読み終わったとき、救われました。救いという言葉の選択が正しいのかどうかわかりませんが、心がふっと軽くなったのです。ずっと重くのしかかっていた劣等感を、抱きしめてもらったような心地です。

 物心ついたころから、普通の人になりたいと思って生きてきました。でも実は「普通」なんかないんだな、それは多数派の人が決めつけて押し付けてくるだけで、正しいわけじゃない。人間として存在する、いきていくとき、多数派の人がきめた「普通」ではないというだけで罵倒され、生きる価値がないとされるのは間違っている。
 当たり前のことに気づかせてくださって、ありがとうございます。

                  二月十八日   匿名のファンより