11 荒野を歩く(後編)

 腰を抱いていた手のひらが、するすると下がっていく。尻をなでられ、うちももをさすられて、息が上がりそうになった。
「暴れて抵抗して……、殴り合いになって、最後はうつぶせにされて犯されました」
 言い終わる前に、羽瀬さんのてのひらがシャツの中に入ってきた。つめたい手のひらは腹筋をなでまわしたあとで胸の先にたどり着き、痛いほど強くつまんで引っ張られた。
「う、……羽瀬さん、」
 すりすりと指の腹で乳首を擦られ、手のひらで胸全体をもみ込まれる。体を起こそうとすると足の間に入り込んできて正面から圧し掛かられ、数秒でシャツの前がはだけさせられた。
「レイプだったって言ってるみたいにきこえるんだけど」
「ちが……。ちがいます、同意の上で…あ、……やめてください」
 熱い舌先が胸の先に触れる。いじられてひりひりするそこを舐め、吸い、赤くはれぼったくなるほど弄んでくる。
「本当にやめてほしいならやめるよ。無理強いは好きじゃない。やめてもいいかな?」
 気持ち良さよりも目の前にぶら下げられた『全店契約』の人参がおれの意思を弱くする。身体を離そうとする彼のシャツを掴むと、「そう、続けるね」とサディスティックな笑みが返ってきた。
「男は影浦くんしか知らないの?」
 指がスラックスの上から硬くなってきた局部を撫で上げてくる。膝をすり合わせて逃れようとしたが、ベルトを外されて下着姿にされてしまった。細く見えるのに、どこにこんな力があるんだ。それとも金持ちのイケメンにのみ与えられる特殊技能なのだろうか?影浦も、服を脱がせるのが異常に早い。
「いえ、……一度だけ別のひとと寝ましたが」
「じゃあふたり?信じられない。すごく開発されてるね」
 脱がされたシャツと靴下、それにスラックスが、広々としたベッドの端にたまっていく。羽瀬さんはおれの耳を嬲り、噛み、舌を穴のなかに入れてきた。
「ほら、感じやすい。潔癖そうな顔しているのにね。たまらないなそういうの」
 いやらしい水音に、拒絶の気持ちよりも早く欲情がかけのぼってくる。卑怯なことをしている自覚はあった。身上調査書には「既婚。3歳と7歳の子あり」と書かれていたし、このまま行為をすすめれば明確な不貞行為だ。こんな手段で得た仕事を、嬉しい気持ちですすめられるだろうか?
 そもそも、セックスをしたからといって仕事を得られるという保証はどこにもない。歳はひとつしか離れていないというが、こんな海千山千の男が、男との火遊びセックスぐらいで仕事を流してくれる可能性なんて、限りなくゼロに近いのではないか。
 押し返そうと胸に手のひらをあてたおれの心を読んだかのように、羽瀬さんがいたずらっぽく笑って背後から抱きしめてきた。つめたい唇が耳の下、首筋、うなじを通っていき、背中に歯を立てられる。
「いっ、……羽瀬、さん、やっぱりダメです、やめましょう」
 マットレスに手をついた身体を起こそうとしたが、伸びてきた腕がまたすぐベッドへおれを戻してしまう。もう一度、と思って腕を動かすと、うつぶせにされて腕を自分のネクタイでひとまとめにされ、縛り上げられてしまう。
「大丈夫、質問したいだけだから。君たちは付き合うようになってどれぐらい経つの」
 どれぐらいだろう。
「3年か、4年ぐらい……」
 下着の中に何かで濡れた指が尻の間にすべりこんできて、抵抗しようとしてもすぐに腰を抱き寄せられ、うつぶせの四つん這いの状態で固定される。ぬる、ぬると指が中をかきまわしはじめ、ひざが震えた。指は注意深く丁寧に中を探り、体の中のだめなところを的確に見つけ出して、しつこくそこを押した。
「なんだ。それならその間に、彼は女を6人は抱いてるよ。僕が知ってるだけでもね」
 強い罪悪感が一気に霧散した。
「うそだ。そんな」
 指の動きと一緒に腰がゆれてしまう。手をついていられなくて、ベッドに顔をつけて腰だけを突き出すような姿勢のまま、こらえきれない声をもらす。
「ん、ん……、」
 いつの間にか脱がされた下着が、足首に絡まっている。よく知らない男に背後からすべて見られていると思うと、羞恥と恐怖で顔が熱くなった。
「女を抱いた手でそのまま抱かれていた感想はどう?」
 背中に覆いかぶさるようにして、前に手のひらがまわってくる。かたくなりぬれそぼっている局部を激しく擦られ、同時に後ろも責められて、声を出して達してしまった。
「ああ、―――っ、やめ、やめろ」
 せめて顔を見られなくて済むようにマットレスに伏せて隠そうとしたが、羽瀬さんはそれを許さなかった。達する瞬間に肩をつかまれて仰向けにされ、至近距離で顔をみられた。まるでエサを前にした肉食動物のような眼で見下ろされて、目をそらすことも閉じることもできずにすべてさらけ出す。
 呼吸が整うまで呆然と天井を眺めた。涙が出そうな感情を、久々に思いだした。自覚のない裏切りへの怒りと、惨めな気持ち。それでも、影浦と別れることなんて考えたくもない自分への呆れ。それらが入り混じって、たまらないほど泣きたい気持ちにさせられる。
 気のない男にイかされたから泣きたいのではない。触られている間も、おれの頭にあったのは影浦のことだけだった。
「はじめは、君の何がそんなに彼の心をとらえたのか、よくわからなかった。だって影浦くんは明確に異性愛者だったからね。子どものころからしってるけど、男を好きになるなんて想像できなかったし」
 羽瀬さんはベッドから降りて、飲みかけのウィスキーを口に運んだ。彼は上半身裸で、下はスラックスをはいていたが、服の上からでも分かるほどそこは反応を示していた。
 おれはそこから目をそらしながら、「影浦とは古い知り合いなんですか」と尋ねた。
「ある一定の層にいる人間は、大体知り合い同士なんだよ。影浦くんの動向は、いつもみんなが注目してる。彼が一介のビール売りで終わるわけがないからね。あの商才は本物だよ。次に彼が動くときは、何か大きな新規事業を立ち上げるに違いない」
 気だるい体を起こして、ティッシュで後始末をする。出すものを出した途端に押し寄せてきたのは後悔よりも虚しさだった。
「さっき分かったんだ。君は素晴らしい肉体をしているね。骨格からして奇跡のように整っている。申し分のない完璧な筋肉と上背、顔立ちもいい。いささか目つきが悪いけどね。しかも触られることに貪欲で反応がいい。僕も欲しくてたまらなくなったものな」
 何が言いたいのか分からない。
 ベッドの下に落ちていた下着を身に着け、飲みかけの水割りを置いた出窓に腰かけた。置きっぱなしにしていた水割りを舐める。ぬるくてあまり美味くない。
「影浦くんは昔から、美しいものが好きなんだ。君の男性としての美しさと、見た目に反した淫蕩な性質に惹かれているんだと思う」
 おれが返事をせずにいると、羽瀬さんは焦れたように言った。
「意味わかってる?つまり、君の体目当てで付き合っているんだよ、彼は。心が伴っていないから、平気で別の女と関係を持つんだ」
 シャツを拾い、のろのろとボタンをとめていると、羽瀬さんが近寄ってきて顔をのぞきこんできた。そのままキスをされそうになって、顔をそらして避ける。意外なことに、少し傷ついたような顔をされてしまった。
「身体目当てでもいいです」
 それがあいつを繋ぐ材料になるなら。そう考えてから自分の重さを嫌悪した。絶対に本人に言うことはないけれど、本心だった。
「おれもそうだ。影浦の身体と顔目当てですから」
 これは嘘だった。とっくに影浦の全てに心を根こそぎ奪われていたが、この人に言う必要はない。
 おそらく羽瀬さんもおれの嘘を見抜いていたが、何も言わずに肩をすくめて聞き流してくれた。
「さて。ここから先をさせてくれないと、契約の話は水の泡だけど、どうする?」
 すぐ後ろはベッドだった。数センチ先で意地悪く笑っている羽瀬さんは、おれの手首をつかんで自分の局部へといざなった。そこは硬く勃起していて、おれは奇妙な満足感を覚えた。誰かを性的に興奮させられるのはいいことだ。少なくとも何の魅力もない男でいるよりも安心できる。
「挿れる前に、睨まれながら嫌々フェラチオされたいな。影浦くんがさせたの、なんとなく気持ちがわかるよ」
 項から髪をさぐってくる手のひらが、耳をくすぐってから離れていく。
「従順なフリをしていても、君の眼は明確に、ぼくに逆らってる。それがいい」
 おれは俯き、逡巡してから羽瀬さんをまっすぐ見据えた。

 家まで送るよ、という申し出を固辞して、自宅についたのは翌日の朝だった。酒が少し残っていて、頭の右側が重い。
 首元がひりひりする。手で喉を触ろうとして、ネクタイがないことに気づいた。忘れてきたのかもしれない。
 シャツのボタンをふたつ外しただらしない姿でポケットを探り、鍵を取り出しながら廊下を歩いた。鍵を開け、あくびをかみ殺してドアを引くと、そのドアが閉じるよりも早く、中にいた影浦の手で中に引っ張りこまれた。
 ものすごい勢いで腕を引かれたので、靴を脱ぐのが室内になってしまった。鞄がワンルームの隅に落ちて、中身が散らばる。引っ張られた勢いのままベッドの側面にぶつかって肘をついたおれのすぐ横を、影浦の足がガンッと音を立てて蹴った。
「あいつと寝たのか」
 自分の顔が怒りで歪むのが分かる。
 影浦の足を腕で振り払い、立ち上がって正面からにらみつけた。
「だとしたら何だ。お前と同じことをしただけだろ」
 胸倉を掴まれ、壁に叩きつけられて一瞬息が止まった。影浦にここまで乱暴な扱いをされたのは、初めてセックスした日、以来のことだった。
「ふざけてんのか?それとも、あてつけのつもりなのか。見当違いも甚だしい。おれのは仕事、お前のは裏切りだ」
 腕を掴んで振りほどき、胸を強く押して突き飛ばす。影浦がふらつき、足元のローテーブルがテレビボードにぶつかって大きい音を立てた。
「ふざけているのはお前だろ。おれだって仕事だ。契約をとるために合意の上でやったことだ。お前が普段やってることと何が違う?最後までやったんだろ。相手の女に興奮して、挿入して、射精したんだろ。おれとお前の間にはただ挿れる方か挿れられる方かの違いしかない。これが裏切りだというなら、先に裏切ったのはそっちだ。他人を抱いたあと何くわぬ顔でおれに触っていたくせに、よくもそんなことが言えたな」
 言いながら、自分の怒りを思い知る。哀しみと同じぐらい怒りを感じていたのだ、と分かる。
 許せない。苦しい。それでも、別れたいとは思えない。
 そういう自分が心底嫌だ。一度好きになってしまうと、二度と嫌いになれないなんて最悪だ。自分はきっと、恋愛に向いていない。重すぎる。
 影浦は一瞬目を見開き、無防備な表情をした。それから、顔をゆがめてふたたびおれの襟首をつかんで、今度はベッドの上へ押し倒した。まさかこの雰囲気でセックスに持ち込むことはないだろうが、今はこいつと絶対に寝たくなかったので、背中を殴り、膝でわき腹を蹴ったが、仰向けに押さえつけられてびくともしない。
「同じじゃねえ。おれは寝た相手に感情を持つことがない。だが悠生、お前は寝た相手に簡単に感情移入するだろう、前例がないとは言わせねえぞ、ここに当事者がいるんだからな」
 ここまで動揺するとは思わなかったが、おれは攻撃の手を緩めず追撃した。
「同じだ。ちなみに――羽瀬さんとは連絡先を交換したから、今後影浦がほかのだれかと寝ているときは、おれも彼と寝ることにした。気に入ってくれたみたいでな、」
 ――おれとのセックスを。
 わざと耳元に顔をよせて囁いてやると、影浦の顔色が白くなった。唖然とした表情。ざまあみろ、と思うと同時に、影浦が猛然とおれのポケットを探りはじめた。携帯端末を探りあてた影浦に、「その端末を壊そうがリセットしようが無駄だぞ。連絡先はクラウドに保存してバックアップもとってある」と宣言してやる。ここまでは想像の範疇だった。仕事の連絡先が山ほど入っているので、あれを消されたり壊されたりしたら困るのだ。
 力なく端末をフローリングの上に投げてから、影浦が言った。
「おれには社員と会社を守る義務がある。胸を張って誇れる商品を流通させるためなら、なんでもやる、そう決めて動いてきた」
 圧し掛かって腕を押さえつけていた影浦が、起き上がってベッドの上に座り込む。動けるようになったので、おれも身体を起こして影浦をのぞきこんだ。苦しそうな表情だった。その顔をみると、さきほどまでの怒りを継続させるのが困難になってしまった。
 影浦は――重圧を感じていたのだ。だから手段を択ばずに仕事をとった。
 あんなに自信に満ち溢れた男でも、会社や社員の人生を背負い、私財のほとんどすべてを失った上に強大な力を持つ実家を敵に回して、肩に力が入らないわけはない。本人が全く弱音を口にしないので、気づくことができなかった。
「ひとりで社員や会社を背負う必要はない。おれもほかのやつらも、みんな自分で考えて自分で動ける。ひとりひとりが少しずつ会社を、……お前を、支えるから」
 おれの言葉に、影浦は目をほそめておれを睨みつけた。世間知らずめ、とののしられているのが視線だけで分かる。でもおれは引かなかった。
「だから、もうそういうやり方で仕事をとってくるのは、やめてくれ」
 髪に触れてから、背中に腕をまわして抱きしめる。やわらかい髪と、少し細くなった身体をゆっくり撫で続けると、やがて影浦の腕がそろそろと、おれの背中にまわった。

 目が覚めると、隣に影浦がいた。
 おれよりも先に起きていることが多いので、寝顔を見られることは珍しい。起きているときよりもずっと穏やかな顔で眠っている。
 起こさないように、そっとベッドを抜け出す。セミダブルのベッドは、大人の男2人にとって狭すぎる。
 しばらくの間床に座って、影浦の寝顔を眺めた。エアコンが動くわずかな音と、窓越しに車やバイクが通っていく音だけがきこえる。微風に変えた風に影浦の前髪と睫毛がゆれていて、おれはそれを飽きもせずにじっと見ていた。
 いつだったか、影浦が言ったことがある。「おれとお前は似てるな」と。生まれも育ちも価値観もまるで違うのに、何が似ているんだ、とあの時は思った。
 でも今は分かる。
 おれも影浦も、人に甘えることが許されない環境だった。両親と疎遠で、いつも孤独を携帯していた。
 孤独というのは不思議なもので、それが長く当たり前のように続くと、寂しいとかつらいとか、そういうことを感じる心すら鈍化してしまう。そうして順応することで、タフに生きようとするんだろう。昔から孤独は、戦争の次に人を殺してきた強敵だ。おれも影浦も、孤独に負けて自殺するぐらいなら、心を鋼のように強くするほうがマシだと思って生きてきたのだ。
 影浦には兄弟や祖父やはつさんが、おれには周平がいたけれど、無償の愛を注いでくれる存在(つまり、一般的には両親)とは違う。彼らにはそれぞれ役割があり、おれや影浦を慈しむことが義務ではなかったのだから。
 辛いとき、歯を食いしばって耐えることに慣れすぎてしまった。誰かに助けを求めることを、弱音を吐くことを、まるで悪であるかのように避けてきた――そう、おれも、影浦も。
「仁、もっとおれに甘えてくれ」
 祈るようにおれが言った言葉に、影浦がうすく目をひらいた。ベッドに頭をのせているおれと目が合って、ゆっくりとまばたきをする。
「お前のためなら、ほとんどどんなことでもできる。お前がそうしろと命じるなら、好きじゃない男とだっていくらでも寝るし、寝ずに働く。無茶苦茶なノルマだって達成してみせる。だから」
 影浦が身体を起こして、おれの腕を引いた。ベッドの中に引き戻されて、影浦の手足がおれの身体に絡まってくる。冷房で少しひえていた腕や足先に、影浦の体温が移る。
「悠生」
 耳に息をふきこむように、低い声で影浦がおれを呼んだ。どちらともなく泣いているような、湿ったためいきが漏れた。
「二度とおれ以外の男に触らせるな」
 言葉に反して切ない声で懇願されて、わかった、と頷きたくなるのを我慢した。寝返りを打って背を向けると、顎を掴まれて唇を塞がれた。髪を撫でられ、頬をなぞられ、歯列を舌がたどっていく。身体は途端に熱をもちはじめ、首を振って逃げようとしてもいつの間にかマウントをとられていて身動きできない。
「お前はおれのものだ」
 頬をすべりおちた指が、首筋に、喉仏に触れる。しばらくのあいだそこを撫でていた指が、唐突に強く首を掴んだ。
「こんなところに痕をつけやがって。――あいつとどんな風に寝たんだ?この口で、」
 顎を掴んでいた親指が口の中にはいってくる。舌に指をあててから、顔を歪めて影浦が言った。
「あいつにも奉仕してやったのか?」
 その指を見せつけるように舐めてやる。影浦は舌打ちをしてから、おれのTシャツを乱暴にめくり上げた。
「知りたいか」
 仰向けで、にやりと笑い返す。苛立った影浦の指が、乳首の周りを何度か擦って、突然強く摘まんだ。
「あっ!」
 声が漏れる。痛いほどそこを抓りあげてから、濡れた舌が執拗に舐ってくる。ぴちゃぴちゃという恥ずかしい音に、おれは顔をそらして声をこらえた。
「お前だって……、そんな風に、女の胸を弄ってやったのか」
 意趣返しのつもりだったが、想像してしまって腹が立ってきて、影浦の顔を両手で胸から引きはがす。いままでも女を抱くように抱かれていたのだろうかと考えると、頭の芯がしびれるほど悔しかった。今日は黙ってヤられたくない。せめて――、
 影浦の肩をつかんで、逆にベッドに押し倒してやる。「おい!」と声をあげた影浦に、覆いかぶさるようにしてキスをした。唇を舐め、下唇を吸い、舌先で入口をノックすると、あっという間に影浦は陥落した。
 食うか食われるかのキスの間に、おれはそっとベッドのそばに落ちたシャツを拾い上げた。もう片方の手で影浦の硬くなった前をなでて気を逸らしたせいか、影浦はおれの企みには全く気付かなかった。
「……どういうつもりだ」
 ベッドのフレームに影浦の両手を縛り付け、膝立ちになってTシャツを脱いだ。下はあえて着たままだ。
「いますぐ解け!」
 影浦の声を無視して、サイドチェストからローションとバイブを取り出す。何を勘違いしたのか、影浦の顔色が悪くなった。
「まさかお前……、おれを犯すつもりか?」
 とんでもない勘違いに笑いをこらえるのに苦労しつつ、おれは言った。
「してほしいならそうするが」
 枕とクッションを背中に敷いて、顔を高くした。これで影浦の様子がよく見える。そのまま自分のジャージを下着ごと足首までずらして足を開いた。影浦からよく見えるように、羞恥心をかなぐり捨てて。
 影浦が眉をひそめてから、掠れた声で言った。
「ショータイムの始まりか。面白い。やってみせろ」
 余裕ぶっていられるのも今のうちだ。
 心の中でそうつぶやいて、ローションを左手に垂らす。多めに垂らして濡れた手のひらで自分の性器を握り、音をたてて擦った。
「う…、はあ」
 さっき影浦に触られていた名残で、あっという間に火が点く。すぐに硬くそりかえったそれを放置して、そのまま濡れた指を奥へ移動させ、右手に握ったバイブを見せつけるように口の中に入れて舌をからめた。よく濡らしておかないと、あとで自分が痛い目に合う。
「この……淫乱」
 低い声で罵られて、おれは薄く笑った。影浦の息が上がっていることに気づいて嬉しくなる。
「その淫乱のオナニーを見ておったててるお前はなんなんだよ。変態か?」
 怒った顔で影浦が腕を引く。すごい力で引っ張っているのか、フレームがギイギイと耳障りな音を立てた。
 指を一本ずつ中にいれて、少しずつ広げた。ローションを足しながら中を探り、指が3本入るところまで広げてから、太いバイブの電源を入れてあてがう。
「悠生、腕を解け。早く」
 さっきよりも切羽詰まった声で影浦が言った。おれはそれを無視して、ぬれそぼった自分の穴の中へバイブをゆっくり差し込んでいく。中が押し広げられ、開いた足がびくんと跳ねた。小刻みの振動が粘膜の中を蹂躙して、声がおさえられなくなってくる。
「あ、ああ、……いい、気持ちいい」
 バイブが一番奥まで届いたところで、スイッチを「強」に変えた。気持ちのいい場所をごつごつと突かれ、まるでセックスのような快楽が背筋をしびれさせていく。
「あーくそ。……ヤりてえ…ヤらせろよ、悠生」
 下品なことばを吐く影浦の顔はほんのりと上気していて、この上なく美しかった。
「いや、だ。ほかの女を触った手で、二度と触られたくない」
 ぐちゅぐちゅ、ぬぽぬぽと音をたててバイブを前後に動かす。一緒にもう片方の手で性器を擦ったけれど、どうしてもそちらはおざなりになってしまう。
 息が上がって、意識が遠くなっていく。気持ち良くて、虚しい。でも影浦の差し迫った顔を見ていると留飲が下がった。
 達する寸前にバイブを引き抜いて、影浦のものを乱暴に取り出す。下着は濡れて染みができており、顔に似合わない凶悪な性器の先端は、先走りで濡れて光っていた。
 影浦をまたぐようにしてそこにゆっくり腰を落としていく。熱くて硬い、影浦のものを、見せつけるようにゆっくりと飲み込んでいく。
 腕をしばられた影浦が、食い入るように結合部分を見ている。眉をしかめ、浅い呼吸を繰り返しながら、低く呻いた。
「う、うあっ、……はっ、はあ、どこで覚えてきたんだ、こんな……」
 屈辱と怒りと欲情の顔。影浦のこんな表情を見たことがなくて、ひどく興奮してしまう。
 はじめはゆっくり、次第に早く、腰を上下に動かす。影浦の腰を掴んで身体を揺らしながらその表情を盗み見る。表情は険しいが髪は乱れ、目元が赤くなり、半開きの唇からきれいに並んだ歯と桃色の舌が見える。キスをしたいという衝動と戦いながら、みだらな水音をたてる後ろを、しゃがみこむような動きで何度も擦った。
「あ、いく、いく……!仁、いくっ」
 中が収縮して、影浦のものをきつくしめつけた。内腿がびくびくと痙攣して、吐き出した精液が自分の腹をたらりと流れていく。
 早くイクために、自分の気持ち良さだけ追いかけたので、影浦は達することができなかったようだ。最高の気分だ、と苦しそうな顔を眺めながら悦に入った。中途半端なまま放置された中のものは、少しも萎えずに硬いままだ。
 憎まれ口を叩いていた影浦はいつの間にか静かになっていた。しんとした室内におれの吐息と影浦の吐息だけが鳴り響いている。
「分かった。仕事でも、もう二度とほかの女とは寝ない。だからこれをほどけ」
 情けないほど憔悴した顔で、影浦が言った。腰を動かしたそうにもぞもぞと足を動かしたが、おれが上に乗っている上に腕を拘束されているので上手くいかない。
 こんなにみっともない影浦を見たことがなくて、歪んだ満足と、続きをしたいという欲情が強くおれを揺さぶった。だがここで許すと、また同じことの繰り返しになる。
「イきたいか?」
 おれの問いに、影浦は悔しそうに唇を噛んだ。その態度をとがめるように腰を揺する。ぎりぎりまで引き抜き、根本まで埋める動きをゆっくりと、何度も繰り返す。
「悠生……、ああ、イきたい!お前の中に全部出したい、んっ、悠生!」
 かわいい声だな、いつもそんな風にしおらしくしていればいいのに。そう耳元でささやいてやると、憎しみのこもった声で「てめえ、あとで覚えてろ」と呪いを吹き込まれ、耳を噛まれた。
 緩慢な動きにキシキシ、ガタガタとベッドが揺れる。時々動きを早めると影浦が嬉しそうな顔をするので、その都度止まったり、遅く動いたりした。これを何十分も繰り返しながら極限まで高めてやってから、引き抜き、自分の後始末をしてベッドから降りた。
「えっ」という顔のまま硬直している影浦を放って着替えをすませ、荷物を詰め、部屋の鍵をローテーブルの上に置いた。
「しばらくここには帰らない。腕は自分でほどいて、家から出るときは鍵をかけてポストに入れてくれ」
 そそり立ったものを丸出しの、間抜けな姿の影浦が、虚をつかれたようにこちらを振り返る。
「あと――お前とは当分寝ないから、そのつもりで」
 影浦が何かを叫ぶよりも早く、おれは家を出た。 外はよく晴れており、世の中はおれたちが先ほどまで行っていた行為のことなど無関係な様子で進行していた。

 それからしばらくの間、都内のマンスリーマンションを借りて暮らした。思っていたよりも快適な生活だった。仕事で必要な情報は三城の協力を得てPCに送ってもらえば事足りたし、一介のユニットリーダーと会社の代表の接点なんて、ふつうはほとんどない。
 営業が主な仕事のおれは、特に不便を感じずに仕事をすることができた。影浦に使っていた時間をそのまま仕事にあてたので、その月のノルマは半月ほどで達成できた。
 夏が終わるころ、影浦が迎えに来た。
 おれは謝らなかったし、もちろん影浦もそうだった。けれどそれからというもの、影浦が女と寝ているという噂は、すっかり消えた。
「あの男とどこまでやった」
 あれから何度も影浦に問われた。そのたびにはぐらかしたり、思わせぶりな発言をしてごまかしたけれど、本当のところ、手淫以上のことは何もなかった。こういう手段で仕事を取ったら、ずっと後ろめたさを感じることになるし、自分を許せなくなる、と伝えたら、羽瀬さんはすんなりと了承してくれたのだ。

『僕と何かあったみたいに見せかけて、交渉の材料にするといいよ。恋愛は、片方が譲り続けたら上下関係ができてしまう。ときどきお仕置きしないとね』

 羽瀬さんの言葉を思いだして少し笑ったおれを、影浦は見逃さなかった。長いため息をついてから、うんざりとした声で言った。
「こんなに他人に振り回されるのは、うまれてはじめてだ」
 涼しくなった夕方の風に、影浦の前髪が流されて横顔がよく見えた。言葉とはうらはらに、その表情はどこか楽し気にみえる。……気のせいかもしれないが。
「そうか。ありがとう」
「褒めてねえよ、このド淫乱」
 誰がそうしたんだ、という言葉を飲み込んで、街を見下ろす。高層階のベランダから見える東京の街は、ひそやかに夜の装いに向けて姿を変えつつあった。
 自社のエールを缶のまま口に運んで、影浦が目を眇めた。気を付けないといつまでも見つめてしまいそうなので、首をそらして正面の空を見た。群青と赤と紫の空には三日月が浮かんでいて、みるみるうちに群青の割合が増えていく。
 視線を感じて隣を振り返ると、影浦が腰を抱き寄せてキスをしてくるところだった。数ヶ月ぶりのキスは、おれたちがふたりで育てた、苦いエールの味がした。
「この街はときどき荒野に見えるんだ。ひとりで、荒野に突っ立ってるみたいな、頼りない気持ちになることがある」
 離れようとする影浦の背中に腕をまわして抱きしめる。髪の中に鼻先をつっこまれて、吐息がくすぐったくて身をよじった。
「荒野か。だとしたら大体斜め後ろにいつもおれがいるから。たまに振り返れよ」
 おれの言葉に、影浦が破顔した。そのかわいい顔で何もかも良し、というほど絆されそうになって、慌てて顔を引き締めた。
「ああ。頼りにしてるから、……ずっとおれのそばにいろよ」
 終わりの方は風の音と間違うような小さい声だったが、嬉しくて目の前がにじんでみえた。嬉しくて、愛おしい。謝罪のひとつもできないような奴なのに、許してしまう。
 返事の代わりに影浦の手を握り、そっとキスを返してやった。

(おわり)


最後はイチャイチャして終わるんですけど、たぶん成田と影浦は価値観の違いでたびたびケンカをしたりもう別れようと思ったりしながら続いていくんだろうなと思います。
読んでくださってありがとうございました。