2022.09.25 「いい湯だな」の続きなど

 更新が遅くなってしまいましたが、「いい湯だな」の6話を更新しています。
 
 そのこととは関係がないのですが、最近物語のタイトルが内容を表していることが多い(○○したら○○に○○されました、とかそういうのです)ですよね。あれは中身を提示することでとっつきやすくする、求めている読み手に訴求するアイデアらしいのですが、自分が好きだった作品が商業化するときその手のタイトルになってしまうと、心から悲しく思ってしまいます。どうして……どうして……とキメラ化してしまった元恋人の攻めに語りかける受けのようになってしまいます。

こういうことに正解はないのでしょうが、わたしにとってタイトルは、「内容を一言で表しているもの」「テーマを暗示しているもの」「そのセンテンスで物語が完結、完成するもの」という位置付けでして、好きな作家さんの本はすべて(秀逸だなあ)(このタイトルでこの物語は完成するんだよなあ)と思って読んできました。ですので、自分はそこまでの完成度はないにしても、物語の一部としての役割は担わせたいなあと思っています。

こういう感覚はもはや古いのでしょうか。自分がもしかして古いのかな、と少し悩みましたが、わたしは今後もタイトルはそういう扱いでいきたいです。